TROPICAL PARADISE BRAZIL!!!

ブラジルでの体験談等を紹介。国際結婚、永住権、不動産、自動車免許、料理、

YOU TUBUの画像

2007年10月26日 23時24分00秒 | こんぴゅーたー、電化製品
私は、“お笑い”が好き
でも、ここは、ブラジル。サテライトTVもなければ、ブロードバンドもまだ、ここの町には来ていないので、ネットも、家には引いていません。。
でも、最近“お笑い”が、超見たくて溜まらんのだ。。。。お姉ちゃんから、“YOU TUBUでドリフターズを昨日見て、楽しかった!!”とか、メールでくる。。。でも、私は、ネットに行って、見つけるが、やはり、家でゆっくり見たい。。私は、けっこう、PC音痴なんだ。。でも、お笑いをネットで、DVDにおとしたい!!!いろんな検索サイトに行ってみた。でも、私には、難しかった。。。(PSPにやってみたけど、これも途中わけが分かんなくなり断念。。。)どうしたら、いいのかなあああ???簡単な方法を教えてくりいい!!
最近は、どのお笑いが注目???私は、普通に99、ダウンタウン、ワンナイのメンバー、ハネルのメンバー、ロンブーとかが、好き。お笑いではないけど、江原さんも、好き。家のTVで、思いっきり笑いたいのだあああ!!誰か、助けてくり!!

私の人生あれこれ エピソード19

2007年10月26日 23時15分22秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
わー、とうとう、私達は、家を購入した!もちろん、口座をこっちで持っていない私達は、一括現金だ!!といっても、当時、まだ、NATALは、安く、しかも、ブラジルの貨幣REAL(ヘアル)も100円―3R$くらいだったのだ。
(今、現在2007年は、NATALの物価も次第に上がってき、!US$-2R$から1,8R$くらいと、高い。。。イギリスポンド、ユーロをお使いの人には、まだまだ、安い!!1ポンドー5R$,ユーロは、3,5から4R$くらいじゃないかな??)。
*****さて、私達の住む“PRAIA DE GENIPABUジェニパブビーチ”だが、NATAL市内より車で約20,30分のところにある。ここジェニパブビーチは、とても広大な砂丘が広がり、イルカが時たま遊びにもやってくる。小さな町だが、何故か外国人が多い。スイス人、オーストリア人、フランス人、イタリア人、アメリカ人、ポルトガル人、スペイン人、オランダ人、チェコスロバキア人etc。。BUGGY TRIP そして、ジェニパブ砂丘の目玉でもある“ラクダ???”。これも、フランス人が遠くエジプトより運んでき、いまでは、“ジェニパブ=ラクダ”と言えるほどの有名な観光名所になった。ビーチの右端には、“BAR21バービンチウン”と呼ばれる観光スポットでもあるレストランはイタリア人(オーナーは、亡くなり、今は、その奥さんがやっている。)である。そして、第二の観光スポットになってしまった、レストラン“RAPA NUIハパヌイ”も、また、ドイツ人が設計をし、オランダ人の経営する店である。この店を今、切り盛りしているのが、何を隠そう、そう私日本人なのだ!!!!
さああ、お金の問題も解決し、いよいよ、住んでみることになった。まず、車を買った!まあ、ここは、何故か中古車がべらぼうに高い!!!日本だと、10年落ちの車で、8バックの車だと、探せば、10万位で買える。ここは、10年以上落ちていて、メーターはもう10万超えていて、エアコンは付いてないは、パワーウインドウでもない。。。しかも、オートマはない。。。ポンコツ車で、それくらい。(でも、当時3000R$が10万円として、ブラジルではやはり、日本円で30万円くらいの価値になる。)
私は、FORDの車に指を指し
“オートマはないのか?”と、聞いたところ、そのオヤジは、
“オートマだって??そりゃ、アメリカの車にしかついてねえよ。”とFORDの車を指して言った。
FORDはどこ車?????アメ車じゃない!!!!ま、捜し歩いて捜し歩いて、“これは!”と思える車はなかった。で、はっ!!バギーはどうだろう??と思った。調べてみると、まあ、バギーならそこそこのものが買えそうだ。で、早速、現金を持って、値切って買った。運転はもちろん私だ。マイクは、免許を持ってないのだから。。。
中古車屋からガスステーションまで、200m。
“ブオオオーン”とエンジンがかかった!ひゃほーい!ブラジルで最初の車だい!!!勢いよく路上に出た!!
50m、100m、あれれれれ。。。
だんだんスピードが落ちくるじゃないの!!!ふかしても“プスン、プスン。。。”といって止まってしまった。。背後の車にクラクションを鳴らされ、焦った!!ショックのあまり、シートベルトを外しにかかろうとしたら、“プツン!”と切れた!!え???シートベルトが切れた!!!
マイクは“え?どうしたの????”と、何も分かっていない様子。私は、マイクに“後ろから押せ!!”と言った。何も分からないマイクは、炎天下の中、バギーを押した。ガスステーションが出てきたぞ!!きっと、ガス欠だろうと、思い、付ける。満タンにした。が、うんともスンともいわない。。。腹かいたマイクは、中古車屋のオーナーに怒鳴り込みに行った。(だって、そこから300m先なんだもん。しかも、Uターンしてからなので、ほぼ、向かいなのだ。。)で、オーナーは、
“じゃ、バッテリー、俺のと換えてやるよ。”だって。まああ、礼儀のない奴だ!!シートベルトの文句を言うと、“そりゃ、バギーだもん。こうしてこうすりゃ、乗れるよ。”と、切れたところを、型結びして、終わった。これが、ブラジルか。。。
ま、バッテリーも交換し、何とか、左ハンドルの車にも慣れてき、家路へと向かった
暗くなってきた。ヘッドライトを付けた。。。“点かない。。。。。。”。確かに、これなのだ。。。スモールライトは点くが、肝心のヘッドが。。。しかも、家路の途中、真っ暗で、丘を幾つか越えていくのだ。その丘には、家も殆んどなく、しかも、ここら辺は、盗難に襲われやすい為、なるべく、スピードを上げていくのだ。。。そんなところでライトがつかんなんて。。。。。。。なんとも、まあ、不幸なバギーを買ったのだ。名前は、“DUNEジューン(砂丘)”と名づけた。R$3300-.このDUNEと、ハプニングが始まる。。。

私の人生あれこれ エピソード18

2007年10月26日 22時54分12秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
さて、問題はAOOOXだ(トラベラーチェックの、某会社)。何度も“NO”と爆弾を落とされ、私達も戦った!全ての書類をあらゆるところから、FAXで攻め、1週間のちに電話したところ、“OK”となった!!(ヒャッホー!!)でも、基本的に、T/Cと言うものは、1日2日で、再発行出来るものらしい。が、1ヶ月かかると言われた。
私は、おいおい、ちょっと待て??もしかして、わざと長引かせてない??と思った。でも、そこは、粘りのマイク登場!!マイクはつかさず“1ヶ月ですね。では、もう紛失届けをそちらに出してから、かれこれ、20日程経ちましたね。てことは、来週の頭には出来るという事ですね??”と尋ねると、“いや。。。”と小さな返事。マイクは、もう再発行するという声を聞いたので、あとは、押しにかかった。“でも、そちらの再発行の条件は、1週間とありますよ。で、今、1ヶ月と??で、なおかつ、今から1ヶ月かかるとおっしゃいましたか??これは、おかしいですね。。。今すぐ手続きを開始して、来週頭には、終了してください!!こちらは、そちらの余計なミスの判断によって、心から疲れているんです!!それ以上延ばすと、私達は、法的な手段に出ます!”と、的確に、落ち着いて言った。これによって、AOOOXは、迅速に執り行ない、その後1週間で、全ての再発行が出来上がった。盗人にやられてから、1ヵ月後である
まあ、しかし、悪人は、お金の匂いをすぐに嗅ぎ付ける。スーパーに行ったとき、たまたま、駐車場で働いていた、若い子が近寄ってきて、
“おれさ、知ってるよ、お前さんたちの犯人は絶対に、ホテルの奴だぜ。ETC.ETC...”と勝手に話しかけてきて、最後に
“ちょっと、お腹減ってんだよ。少し恵んでくれねえか?また、情報持ってきてやるからよ。”
だって。。。“犯人はお前かよ!!!?”って、いいたくなっちゃった!!その後、そのあほブラジル人とは再会していないが。。。犯人はもちろん未だ捕まっていない。(今でも、そこのビーチ“Praia do meio”に行くと、あまりいい気分がしない。。)

FERNANDO DE NORONHA

2007年10月25日 02時08分00秒 | ブラジル(NATAL)情報2007
さ、今日は、Fernando de Noronha島
Natalから、約350Km先にある島。イルカが悠々と泳ぎ、自然保護を守っている島だ。なので、島へ行く人たちは、自然保護のために税金が課せられる。動員数も1日に0000人と限られているそうだ。(ま、そんなにめったら満員になることはないが。。)
ただ、そういった島は幾つも世界中にあるという。日本にはないね
バーチャルでこのテラピーでも有名な島を探索したいあなたへ。ポル語じゃないよ。英語だよ。
http://www.noronha.com.br/english/tourism.htm

最近の私。。。

2007年10月25日 01時24分36秒 | LIFE
最近、ブラジルは夏になった!!!!でも、サマータイムは、何故だか、南のほうだけ。。。南は、日本とかみたいに四季がちょっと、あるのだ。だから、冬場は、ちょっと、寒いらしい。。。TVとかで、コートを来ている人をみる。。ここNATAL(ナタウ)は、年中夏だ。ま、アメリカでいうと、フロリダのようなものかな。。。でも、きっと、フロリダにもサマータイムはあるんじゃないのか???ま、国の中でも時間差があるから、いいのか。。ここブラジルは、時間差は週でないのに、サマータイムだけは時間差なのだ。何かおかしい気がする。。だって、どこでも、冬は早く暗くなる。。(あ、ノルウェーとかの白銀の国は別としてネ!!)で、夏は、8時9時まで明るいものなのだ!!へたすれば、10時まで明るいのだ!!!なのに、ここノルデスチは、5時半には、日が落ち、満月の夜以外は、6時にもなると、真暗になる。。。しかも、私のいる田舎は、電灯が乏しいので、本当に、暗い。。。どうにか、ならんのかね?????

私の人生あれこれエピソード (Brasil)17

2007年10月19日 03時23分41秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
泊まっていた安ホテルのすぐ近くに観光専門の交番があった。ま、てことは、スリとか、麻薬とかが多いと言うこと
友達(?)で、ポルトガル語を教えてくれた小父さんに通訳を頼み、訳を話した。マイクも、私も、動転していて、訳が分かんなくなっていた。一緒に、警察本部へと向かい、調書を作ることになった。ま、警察もびっくりだ。あんな、安ホテルに、T/Cとはいえ、大金を置いていたのだから。。それから、私は、日本領事館レシフェへと連絡を取る。幸い、私は、パスポートのコピーを所持していたので、再発行はスムーズに進めることが出来た
しかし、問題は、T/Cだ。本当にびっくりするほどに、私は、これほどに、Axxxx会社を疑ったことはない。こんな大きな会社にて、非常に権力を利用し、消費者を屁とも思っていないのだ
ま、とにかく事の成り行きを説明しよう。私達は、T/Cを全て日本で購入した。何事もきちんとしないときが済まない私は、毎回、T/Cを両替するたびに、全てのレシートを保存していた。
さて、泥棒に持っていかれて、すぐにAxxxに電話をかけた。まあ、この緊急電話も、あちゃこちゃと、複雑で、イギリスにかけるとアメリカの本部に掛け合ってくださいとか、まず、IDとして、パスワードを取得してくださいとか、言うのだ。しかも、超機械的。ま、それから、やっと、Axxxの本部に問い合わせることが出来た。まず、マイクが、事の流れを担当の女性に話した。彼女は、“あ、そうですか。では、全ての使用されたT/Cのナンバー、日付、また、盗まれたT/Cのナンバーを詳しく書いて、FAXしてください。”と言われたので、言われるとおりにした。次の日、また電話をした。すると、違う女の人が出てきて、“会議の結果、そちらは、ブラジルですよね?いまだにT/Cが使用されていないというのは、不思議なんですよねえ。よって、今回のT/Cは再発行出来かねます。”と淡々と言うのだ。びっくりの答えに爆発したマイクは“意味が分からない!誰も盗まれたT/C使っていないから??そちらは、こちらが嘘をついているとでも??警察証明も送りましたよね??再発行できないとは??”と言うと、“あー、ちょっと、声が大きくなっていますね。それじゃ、話にもなりませんので、話は以上と言うことになります。”と、上げ足を取った、まあ、何と言うか、しゃくな返答だった。ま、そこは、マイクも声を押し殺し、“では、どうしたら再発行していただけるのでしょうか?”と聞くと、“そうですね、ま、誰かそのあなた方の言う泥棒が1枚でもT/Cを使ったら可能でしょう。”とそのAxxxの女の人は答えた。なんか、人間味のない奴だ。とりあえず、頼み込んで、1週間後にまた、電話することになった。
その間、私は、恐怖と、親切のかけらもないAxxxに憤りを感じ、高熱を出してしまった。それを感じたマイクは、不動産屋にかけあい、事情を話し、支払いや、全ての書類を完成させる前に、ジェニパブの家に移らせてもらえるように頼んだ。そこの不動産は、快く、“構わないよ。すぐにでも鍵をお渡ししましょう。‘とOKしてくれた。私は、熱でふらふらになりながらも車をレンタルし(あ、マイクは車の免許は持っていないのだ!!)荷物をまとめて出ることにした。
もちろん、その安ホテルには支払いはしなかった。それは、セキュリティーを置いていながらも、犯人を見ていないということ。あと、この安ホテルには、以前にも外国人が窃盗され、しかも、その犯人は捕まったが、そこの従業員で、無所に入ったが、出てきて、そこでまた、働いていたのだ。まるで、そのホテル全部が窃盗犯なのだ。それが警察から聞かされ、支払いをやめた。そして、さっそうと、ジェニパブの家に行った。
その夜、私たちは、“あー、やっと、ゆっくり眠れるね!”と言いながら深い眠りに入るはずだったのだが。。。
なんと、ここジェニパブは、広大な砂丘と湖があり、蚊が多いのだ!!知らなかった私たちは、窓を開け寝ろうとしたのだ。“
ブーン”“ブーン”と耳元で聞こえ次第にその数は増え、窓を閉めたが、数は減らず、足の先まで、シーツを被り、シーツの上からでも刺してくる蚊に奮え、汗びっしょりとなったまま、朝を迎えた。もちろん、眠れるわけがない。。。
“私たちは、ブラジルに居たいのか??こんな経験をしてまで??”と、何度も、心の中で繰り返した
次の日、私は、Axxxで、日本語カタコトの通訳者つきで話した。私は、この女の人にかなりの嫌悪を感じており、“日本語の通訳ではなく、日本人のAxxxの人と話をさせてください。”と懇願した。すると、飄飄とその女の人は“不可能です。私が担当なのですから、替えることは出来ません。日本の電話番号もお教えできません”と言うのだ。もちろん、私のT/Cも帰ってこないというわけ。毎日、電話をして担当を替えるように言った。が、答えは同じ。1週間後、私たちは、傷心し、もうこうなったら、力のある人を探すしかないと、なった。心配をかけさせたくなくて黙っていたが、私は、日本の姉に電話をし、訳を話し、姉は、日本のAxxxの番号を探してくれ、“OOさんに言ったら、それは、おかしい話だ!!妹さんに、電話をこちらへかけてください。って言ってくれたよ。”と強い返事が来た!早速電話をし、すると、その人は、“きっと、お金もお困りでしょう。私が、電話しなおしてあげますよ。何番ですか??”と全てを無くしかかってる事を心配までしてくれた。そして、彼が、Axxxのアメリカの本部に伝えてくれることとなった。で、まあ、私のT/Cは辛うじてOkになったのだが、マイクのはまだ駄目だと言う。
こうなったら、やけくそ、ブラジルには、“PROCOON”と呼ばれる消費者の苦情を受け付けてくれる場所がある。そこに行ってみることにした。そこには、敏腕の弁護士などが控えている。で、英語の堪能な弁護士がいて、事情を話すと、“ブラジルだから信用にならないと言うことなんですね。じゃ、まず手始めに、もう1度、警察のところに言って、T/Cの会社がそう言ってるといってみてください。”と言った。
私たちは、もう1度行き、その旨を話すと
“なんだと!!警察証明も私の判子入りで送ったのに、信用ならないだと!!よし、そこの若いの(私達のことである。。)。わしが、もう1枚、書いてやる。これでも、信用ならんのなら、相手になってやる!とアメ公に伝えるんだ!!こりゃ、全面戦争だ!!”と、所長は、大怒り。で、書類を作ってもらい、また、弁護士のもとへ行き、その書類と、弁護士に書いてもらった、書類をFaxで、何枚にも渡って送った。私たちはそれでも、駄目だと言われたら、訴えるつもりだった。それくらいにAxxxはひどかったのだ。Faxを送り、まだ、意気消沈してる中、車に戻った。“あれ??車が。。。ここに止めたはずの車がない。。。”ちょっと、目先が真っ暗になった。もう1度、警察本部へと行く。マイクは、血相を変えて、“今度は、車がなくなった!!!! ”と、所長に叫んだ。それと同時に、必死で耐えてこらえていた私の神経は、“ガラガラ”っと崩れ落ち、腰の力が抜け、泣き崩れてしまった。マイクは、所長と共に、駐車していた場所へと向かった。私は、警察の人に、お水をもらい、背中をさすられたまま、
“もう、帰ろう!日本に帰ろう!もう、こんな場所には居たくない!!なんで、私たちだけが、こんな目にあうの!!ブラジルなんて。。ブラジルなんて。。”と、一人、日本語で、ぶつぶつ言っていた。
10分後、マイクが帰ってきた。
エミ!!安心しろ!車は見つかったぞ!!”
“へ??見つかった??”と私。マイクの横の所長さんも、ニコニコ顔だ。“どうやって?どこに???なんで??”って聞くと、“話は、あとだ。”と言って、署を出た。
話を聞くと、こうだ。
マイクと所長は、車があった場所に行った。そこには、幾人か車を見張っている若い子達がいる。その一人に、所長が聞いた。
“おい、お前。ここに止めてあった白い8バックの車どこに行った?”
“いや、知らないです。。”
“だから、お前は、ここの番だろ!知らないとはなんだ!”
“本当に知らないんです。”
所長は、その若いこの胸倉を掴み
“本当のことを言わんとお前も豚箱行きにするぞ!!!!”と、殆んど、殴りかかる寸前だった。
その時、マイクは“ハ!!”っとした。“まさか。。。。。。”と思い、所長に“ちょっと。。。”と、声をかける。所長は、ヒート寸前の手を下ろし、“なんだね??”と、マイクのほうへ行った。二人は、なにやら話しながら、路地へと曲がった。
で、マイクは、“やっぱり。。。所長、、、言いにくいことなんですがね。。どうやら、私たち、1本道を間違えていたみたいで。。。ほら、ありました車。ここに。。。。”と、指を刺した。
そうなんです。。私たちは、二人して、道を一本間違えていたんです!!!!そりゃ、その間違えたところに車はあるはずないし、その若者も知るはずはないのだ。。。。
でも、その所長さんも若い人も、腹かいて“相手にならん!!”と言われるかと思いきや、
“あー、良かったね!!!!車が見つかって!!本当に良かった!!”と、すぐに、笑顔で喜んでくれたのだ。穴があったら入りたいとはこのことで。。。。。
私たちは、迷惑をかけた若い子に5R$渡し、所長さんには、頭を下げそこを出ることになった。。。。

Nossa Senhora Aparecida

2007年10月18日 02時43分39秒 | ブラジル(NATAL)情報2007
こどもの日
ここブラジルでは、10月12日は、子供の日だ(Nossa Senhora Aparecida直訳するとマリア様の出現!になる。。が、殆んどの人は、今日は、子供の日だから!!と言っていた。。ここだけ???)。しかも、もう夏なのだ!で、金、土、日とビーチは溢れるばかりの人人人。さて、私のいるRAPA NUIもてんてこ舞をした。必死にポルトガル語を聞き取り、ばたばたと走り回った
この日ほど、“やっぱ、駄目だわ。言葉が分からんわ。。無理やわ。。。”と、何度も忙しい中、思った。私に出来ることは、料理を待つお客さんに何とか、いらいらせず落ち着いて辛抱してもらうことだ。“すみません、料理が送れて。申し訳ありません。”と回った。
帰り際に多くのお客さんが“ここのレストランは素敵よ。料理もおいしかったわ!もちろん、料理はかなり時間がかかったようだけど、あなたが、とても優しい人だから、全てちゃらよ。”と私を“SIMPATICO”と、呼んでは握手を求めてきた。もちろん、忙しい最中にも写真も取った
ま、ここら辺では、売り手が強いために、客が多少小言を言い出すと、大体、売り手は“ふん!”としてしまう。で、なおさら、買い手も“ムッ”となる。でも、私のモットーは常に“お客様は神様だ”と言うことを頭に叩き込んでいる。ので、あまり謝らないブラジル人に対して、腰を低くして、全ての小言を受け入れた。それが効いたのかな??
普通、日本でそこまで絶賛してくれるときは、大体、手の中におひねりが入っている。。。が、よく考えたら、私はボスなのだ。だから、貰えるわけがないのだった。。。(悲)
従業員の子達もがんばってくれている。一段落して、キッチンの子に“あー、顔のマッサージが欲しいわ。。。吊ったわ。。。”って言うと“へ?”って言うので、“だって、ずーっと、ホッペタあげてニコニコしてたらもう筋肉痛で、元に戻らないのよオお。。。”って振り返って、でっかい笑顔を見せると、さっきまで疲れていた顔の従業員も、疲れを忘れて笑ってくれた
ま、こんなんで、3日間の祝日が終わり、また、静かなジェニパブビーチになる。明日は、SAKURAを洗ってあげようかなあ

私の人生あれこれ (Brasil)エピソード16

2007年10月18日 02時35分55秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
さて、いろいろと、家を見に行った。まああ、びっくりすることに、屋根はあっても、天井のない家ばかり。。。そして、窓も大体、木で作られている。ガラスじゃないのだ。そして、日本だと、大体、物を売りたいときには、何かしら綺麗にしておくものであるが、ここでは、違う。。埃はしっかりかぶり、庭も荒れ放題なのだ。浮浪者でも居そうな感じ。。。ちょっと、見栄えを良くしておこうとは考えないのだね。。で、探すうちに一件何とか住めそうな家に出くわす(ま、それが今の家。)。で、購入を決める。(私たちは、決断が結構早かった。決断を延ばし伸ばしにすると、結局は、何も買えなくなるものなのだ。)私たちは、クレジットカードを二人とも持っていなく、全て、トラベラーチェックで、持参していたので、毎日Banco do brasilに行き、両替した
*ブラジルでは、1回のT/Cの両替は3000R$までと決められている。(その代わり、手数料は、一定なので、両替屋よりはレートも良くなる。)行って見られるとわかるが、1回並ぶと2度目は遠慮したくなるくらいに、人がいるし、待ち時間は相当なものなのだ。。銀行のカードでも、3000R$以上のお金を引き出す際には、前もって、銀行側に、“明日、いくら引き落としたいのですが。。”了承を得なければいけない
ま、そうこうお金をせっせと両替してるときに、変な日本語が背後から聞こえてきた“あなた、日本円交換するの??日本人??こんにちは。。”振り返ると、ちょっとふとっちょのせっかちな男の人が私に話しかけていた。“ギョ”と思った。だって、その人は、“いやああ、僕は、リオから、家族と旅行に来ているんだ。何??両替するの??僕について来て、こんな、列に並ぶことはないよ。だって君たちは大きなお金持ってるんだ。”と言い、せっかち親父は私たちを列から外し、さっさと、カウンターの前列に行き、“あー、ちょっと、この外国人サンたちは、日本円を変えたいそうだ。なんとかしてやってくれ。”って。“じゃ、僕は失礼するよ。あ、ところで、どこに泊まるってるの?僕の奥さんは日本人なんだ。遊びに来るよ”と言うので、私達の泊まっている安ホテルを紹介した。そのせっかち親父が去ったあと、もちろん、私たちは列に戻り、順番を待つことになる。。有りがた迷惑。。。
その日の夕方、そのせっかち親父が、日本人妻と、子供を連れてやってきた。どうやら、ここに泊まるようだ。日本人の奥さんと話した。久々の日本語で、感動するところだったが、話があまり。。。。と言う感じ。嫌いではないが、苦手なタイプで。。。。。。なんというか、さっぱりしてないというか、話で笑えないというか。かみ合わない。。。。その旦那は旦那で、冗談を言っては、自分で笑って、せっかちの早口。。おもしろくない。。
夜、食事に一緒に行こうか?と誘ったが、どうやら、その家族かなりお金を詰めて旅行しているらしく、“そこのレストランは高いですか??”“普通かなあ。”って言うと、“いやああ、もっと、安いところを探すので、遠慮します。。”って言われた。。。。(ま、私だったら、久々の日本人再会で、今夜くらいは!って、一緒に行くけどなあ。)で、食事してホテルに戻ると、その家族はもう戻っていて、ちょっと、会話をした。で、“金曜日だし、せっかくだから、外で、ちょっと飲みましょうか?”と提案したけど、“あー、やめときます。。。”って言うので、”じゃ!“と言って、私たちは、ビーチに飲みに行った
ホテルにちょうど12時1時戻る。ここは、多少の蚊がいるので、神経質だった私は、手にグローブをつけ、靴下を履き、その中に長ズボンのすそを入れ、長袖シャツ、で寝ていた
朝が来た。トイレに行きたくなった私は、寝ぼけ眼で、用を足し、また眠りに着こうとしたが、その時、ふっと、周りを見た。足元に置いてあった小さなリュックサックがない。フッと見ると、かけてあったバックがない。良―くちょっと二日酔いの頭を整理してみた。ベッドの下を覗いてみた。ない。クローゼットの中にある大きな、バックパックはある。妙だ。。妙だ。。と、手袋をしたまま、1,2分。ベッドに座ったまま考えた。で、これは、おかしい。。。か??と思い、マイクを起こす。もちろん彼も二日酔い。。説明すると“はああ??”って感じのかれは、ゆっくり辺りを見回した
何日も通って両替したお金は、辛うじて取られていなかったが、私のナイキのかわいいショルダー(その中には、パスポート、500R$、T/C10万円分、ETC)で、来週洗わないかんねええ。。なんて、思っていた汚れ物を入れたバック(このポケットには、T/Cが100万円分)、テレビの上に置いていた、薬箱(正露丸とか、大正胃腸薬とかね。)と、小銭。そして、マイクの汚いバック(この中にもT/Cが100万円分)が無くなっていた。きっと他にもあるだろうが、分からない。。クローゼットに入れていた、バック、お金、カメラ、ビデオ、マイクのパスポートなどは、無事だった。どうやら、開けなかったらしい。でも、これって、強盗?????ひいいい
それから、フロントに降り、警察に行くまでは、誰もが、犯人に見えた。日本人とブラジル人の家族が、“おーい!おはよう!!”と、近寄ってまた、あさから、ぺちゃくちゃと話し出した。が、その時は正直“うざい”と思った。。
ドアには鍵がかかっている。でも、窓の鍵は、サッシが悪く、かからなかった。どうやらここから来たようだ。しかも小銭がなくなっているところから、寝てる合間だ。名探偵EMINHAの鑑定が始まる


子犬達の行方。5

2007年10月17日 05時17分43秒 | SAKURA(犬)の人生
実は、男の子が欲しかったのに、ホモの人に取られてしまった人が、"この娘はひとり足が太いからおおきくなるかもねええ"っていったら、"じゃ、おれが貰っていく!!"といった。このひとは、ジャングルマンで、うちの庭も手入れしてくれるそして、動物が好きな人。

子犬の行方 no3

2007年10月17日 04時44分50秒 | SAKURA(犬)の人生
3人目の人はカメラがなくて撮れなかったのだ。。。本当はこの人にはめすの予定だったのに、紹介した人が間違え、結局、オスをもっていった。。。でも、そのこを貰う予定だった人は知り合いだったので、自分達で話し合ってくださいって、いったの。。そしたら、その子をもらう予定だった人が来て、
"エミ!!なんで、奴に渡した!!あいつは、あほで、ほものとんでもない奴だぞ!!!"
と叫んでいた。どうやら、取り返せなかったらしい。。。。

子犬達の行方。

2007年10月17日 04時26分44秒 | SAKURA(犬)の人生
さ、とうとう、SAKURA(愛犬)の子供たちは、里親へ引き取られていきました。。日本では、だいたい、抗体の注射を打って、兄弟の犬社会を体験してから、里親へ行きますが、ここブラジル(ナタウだけ??)では、1ヶ月くらいで引き渡します(というより、取りに来ます。。。。)。あ、もちろん、ぺディグリーは違うでしょうが、うちの子は雑種だから。で、里親が、生後42日後に抗体の注射を打ちにいきます。。でも、義務づけられていないために、それをしてない子が多いようです。SAKURAは、家に生後2ヶ月で来ましたが、やはり何もされていなかったので、いっときは、病気の子でした
子犬たちは、3週間目から5週間目の間に離乳します。私は、3週間後に、おかゆを炊いて(2日間分くらいを炊いておくと楽。)、粉ミルクを混ぜて徐々に回数を1週間かけて増やし、次の週は、缶詰の肉をおかゆに少しずつ混ぜて徐々に離乳させました。ささみを茹でて割いて入れる手間ひまがなかったので、子犬用の缶詰で応用しました。
動物病院のホームページで、1週間おかゆ、2週間おかゆ+ささみ、3週間おかゆ+ささみ+肉、4週間、子供ようのドッグフードを柔らかくしてあげると、いきなり高たんぱく質の食べ物にならないので、アレルギー体質の子にならないと書いてあったので。ちょっと、アレンジして活用してみました。私も賛成です。離乳でいきなりドックフードを柔らかくして与えるというのは、どうかと思っていたので。。手間ひまはかかるけど、子犬もおいしく食べてくれるし、あまったら、SAKURAに食べさせました。ので、残飯はでないのです!!
里親はそれぞれ個性があり、でも、みんなちゃんと、かわいがってくれそうです。家の子犬6匹は、父親がどうやら3匹いたようで、1匹は、近所の黒いちょっとだけ天パーのある犬(この犬は、飼い主に忠実で、まあ、よく知らない人を吠えまくって、たまに噛むこともある強い犬なのだ。。)。で、2匹目は黄金色をして綺麗な顔を持つ野良犬君。3匹目は、どうやら、どっかに、SAKURAしかしらない犬(きっと、ちょっと、大き目の鼻の尖っていない犬。ピッチブル??)。。。なぜかと言うと、子供たちが3パターンの顔を持っていたから。もらっていった人達は、いかに、母犬や父犬が忠実かとか、強いかというのに関心を引いていたようで、里親探しには全く苦労しませんでした!!!日本じゃ、ありえないかな。。ま、ようやくみんな、旅に出、お医者さんに来てもらい、SAKURAには、狂犬病と妊娠しない注射を打ってもらいました。40R$。

私の人生あれこれ(Brasil) エピソード15

2007年10月17日 04時10分30秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
さて、ずっーと、POUSADA(いわゆるペンション)に泊っているわけにもいかないのだ。だって、安いとは言え、1日70R$(当時2500円位)はいい金額だ。家を買いに来てるわけだから、そんなところで、無駄金は、使ってられないのだ
で捜し歩いてる時に、たまたま、Praia do Maioというビーチ沿いに見るからに安そうなホテルを何件か見つけた。で、マイクが金額を聞きまわってる頃、私は、荷物と共にレストランで待つことになった。待つ間、本を読んでいると(もちろん、日本語の本。)、“もしや、お嬢さん??(ポルトガル語で)”という声が聞こえたが、無視した。すると今度は、英語で聞こえてきたので、振り返ると、まるで、70年代のヒッピーから出てきた様な、仙人のようなあごひげが長くカーリーヘアーで、丸い眼鏡をかけた小父さんだった。ひげを触りながら、
“一人のようだが、困った事でもあったかい?
と聞かれた。(おっと!!ここに、なんと、どうやら英語を喋る人がいるぞ!しかも、どうやら、ネイティブぽい!)ま、踊る気持ちを抑え、
“いいえ、ありがとう。でも、今、私の彼が、ホテルを尋ねていてもうすぐ帰ってくる予定です。あなたは、どちらの方ですか?”
と聞くと、何とスコットランド人。名前はGeorge(ジョージ)。マイクと同じ国の人だ!どうやら、彼は、Fernando de Noronha(フェルナンド デ ノローニャという離れ島に住んでるらしい。で、年に何度か、病院通いの為に、Natal(ナタウ)にくるらしい。
*Noronha島というと、とても美しい海に囲まれ、イルカが住み着いていて、人々が精神面の医療を求めてやってくるという有名で美しい島だ。かなり癒されるらしい。Natalからは、飛行機で1時間程。
マイクが、帰ってきた。最初、訝しげに私とジョージが話しているのを見、紹介するとびっくりした。だって、英語圏の人間でしかも同国。マイクは、訳を話すと、ジョージは、“そんなことなら、俺と同じところに泊まれよ。超安いし。ま、錆びれてるが、ビーチ沿いの部屋なら、なかなかだぜ!”ということで、決定。1日1部屋20R$(ヒー、約500円。経験上、最高に安い!ジャマイカでは600円だった。インドネシアとか、マレーシア、あと、韓国では、1000円くらいだったもんなああ。まあ、それでも安いか???)!。1ヶ月だと、500R$に安くしてくれるらしい。しかも朝食付。(だいたいどこでも、ブラジルでは、朝食つき。そして、一人いくらではなく、一部屋で、換算される。リオの場合は朝食が設けられていないところもあるらしい。)ビーチ沿いの2階に部屋を取り、一時、家を買うまでの間、泊まることになった。ここは、Natalの町にも近く、交通の便が好いのだ。しかも、2Fで、ベランダからはビーチが望める。最高じゃないか??横には、por Kilo(ポルキロと呼ばれる1kgのはかり売りのビュッフェスタイル)のレストランもある。
ちなみに、Self service(同じように、ビュッフェスタイルだが、これは、ポルキロとは違い、皿いっぱいに盛って一定の値段。私の柔術友達らは、それをポルキロに対して、盛りキロと名づけている。。。)ちょっとした観光地でもあるので、夜も、屋台が道沿いに並び賑やかな場所。ただ、ポンタネグラに比べると、こちらは、ブラジル人の観光客が多い。ので、ちょっと、気ぜわしいところがある。。。さっそく、家のリサーチを始めた。もう、観光の気分ではないのだ。。バスで、南に行ったり北に行ったりと、毎日結構、歩きずくめできつかった。しかも、安ホテル暮らしなので、昼夜は外食。。。あっさりしたものや、沢山のサラダとか欲しかった。どこも、塩が濃く、そして、こってり煮が多いのだ。暑いからだろうか?不動産屋にも何度も足を運んだ。ここは、見栄張りが多い。。外見はとても、綺麗に作ってあったりするが、中に入ると、ガラーンとしていて、あちこち、壁が剥がれていたりする。。しかも、内装と同じで、業者も、ちゃんと、シャツとズボンや、綺麗なスカートを穿いているわりに、何にも物件に関しての知識もなく、格好だけ、プロ意識を持っているのだ。ま、そんなで、10件くらい回って、ようやくまともな不動産に出会う