TROPICAL PARADISE BRAZIL!!!

ブラジルでの体験談等を紹介。国際結婚、永住権、不動産、自動車免許、料理、

ブラジルでレストラン

2007年10月10日 04時50分29秒 | ブラジル(NATAL)飲食店
先週の金曜日より金、土、日と三日間 "Rapanui(ハパニュイ)"というジェニパブのビーチ沿いにある"RAPANUI"という大きな像が目印のレストランの代理オーナーになった!!
オーナー(オランダ人)が、スペインへ行ったので、帰って来るまでの臨時ボスさ!クリスマス前にもどるらしい。
これ、レストランのウッドデッキ
いやああ、久々、レストランに入って、楽しかった!! どうやら、私の接待はブラジルでもちゃんと、通用するらしい!!これには嬉しかった!!
レストランホール
客席
ま、日本人が切盛りしているのが、滑稽だったのかもしれんな。
階段を上がると
2階にも!
2階からの景色
ま、何とか、従業員のみなさん(といっても3人)にも、親しみを持って頂いたようだ。将来、自分の店は、ブラジルが第1号になるかな。楽しみ楽しみ
場所はこちら。
http://pininthemap.com/7a2273c6437df6a3c


西中洲 シュガー

2007年10月09日 05時45分47秒 | 日本、博多
さて、私の地元博多の友達、仲間を少しご紹介。ま、博多と言えば、中洲ですが、西中洲にある、"シュガー"というバー。。あほなことで落ち込んでいる時、超"がはは!!"と笑いたい時など、行ってみてください。なぜか、次の日すっきりします。ママは、シャンソンが大好き。ま、ハンプロ。あとは、"あおいちゃん"、彼女(?)が店をきりもりしています。こじんまりとした店で仰仰しくなく、しっかと博多弁をつかう店。観光客にも隠れた人気のスポットです。カウンターは6、7人、で、テーブルには5、6人かな。どうぞ、"あおいちゃん"訪ねたさいには、"ブラジルの姫"が写真を勝手につかっちゃった!!ごめんねって伝えてくだしゃれ。

私の人生あれこれ(Brasil) エピソード14

2007年10月09日 05時17分10秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
2003(?)年5月29日はマイクの誕生日だ。まだ、私たちは、ここポンタネグラビーチにいた
“Passeio do Buggy”というのが、ここナタウでは有名なのだ。砂丘とビーチを走っていくバギーツアーだ。さっそく、それをやることにした。別のブラジル人のカップルと一緒に乗り合いすることになった。朝8時に出発。バギーの後部座席に乗り太陽の下を走っていく。ポンタネグラビーチから北のビーチを目指す。途中、ストローハットの屋台や、テントなどに止まり、エスペティーニョという焼き鳥を食べたり出来る。なんといってもラゴスタ(ロブスター)が、安くておいしいのだ!それに、きんきんに冷えたビール!最高!
このバギーツアーの見所は何といっても隆起している砂丘を豪快に“バギエロ”と呼ばれるバギーの運転手が“これでもか、これでもか!”と運転のすごさを見せびらかすことだ。まあ、ジェットコースター並みに怖い!!しかも、後ろに座っているメンバーは振り落とされないようにしっかりとポールを捕まえておくことだけ。悲鳴を上げれば上げるだけバギエロ達はフロントミラーからちょろりと後ろを伺い、運転のレベルを上げていく。私は、基本ジェットコースターとか普通の絶叫マシーンが好きなので、叫びながらも楽しんでいたが、今日のバースデーボーイのマイクは、バギエロの助手席に座り身を小さくしていた。声も出ないようだ。。。そういえば博多でも二人で北九州のスペースワールドに行って、マイクはビーナスに無理やり私に乗せられ、降りたときに涙目で“喘息がでてきたあああ。。”と言っていた。まそれよりは、怖くないね。悪魔の私。。ヒヒヒ。。
そして、ようやく、中継地点の50km離れたムリュウビーチに沿いにあるレストランへ着く。そこで、昼食をとり、砂丘の中にあるアトラクションへと向かう。“え?これでいいの??手作り?大丈夫?”と勘ぐるようなものばかりだ。ロープが砂丘の天辺から吊るしてあって、棒切れを捕まえたまま、スライドして湖に落ちていく。下にはいかだにのったおじさんが待ち構えていて、陸まで連れて行ってくれるのだ。あと、これまた、天辺から池のようなところにスライドして滑っていくんだけど、サンドボードを似せて作った板切れ。それに、ロウを刷り込み、両手を軽く砂地に置いて滑る。両手で、バランスを取り、しかもブレーキにもなるというもの。まあ、へたな小細工がないだけに、スピードも速くまた恐怖感も倍増する。そうして、また、乾いた喉を潤すべくビールに手が行くのだ。そして、約3時半から4時頃に宿泊地へと戻る。
一人約50R$(今だと2500円くらいか。当時は円が好調だったので1800円くらいだった。)、1台貸しきると大体相場は200R$から250R$。でも、違う人と乗り合いも情報交換が出来て、結構楽しい。しかし、ずーっと、日中にいて、潮風を受けるので、かなり焼ける。しっかりと日焼け止めクリーム必要。私は、次の日から2,3日ベッドに横たわるのも大変だった。。。。
夜は、また、ポンタネグラのビーチをさまよい、マイクの誕生日を祝うべくとことん飲み歩いた。もちろん、次の日は、二日酔いだ。

私の人生あれこれ(Brasil) エピソード13

2007年10月05日 02時05分42秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
さ、いよいよ出発だ!福岡空港まではお姉ちゃんとお父さんが一緒に来た。
お母さんは
なんね、そげん大袈裟な!どうせすぐ帰ってくるちゃろうもん。気をつけて行ってきんしゃいよ。お母さん、今からプールに行かないかんけん。”
と言ってあっさりと来なかった。母は強し??
空港では、一緒にプリクラをとったりした。搭乗手続きの時間だ。お姉ちゃんと私は、
ちょっと外国人ぽくHUGしちゃろうか!”
とかケラケラ笑いながらHUGをした。
お父さんは、
はいはい。。”
と言ってるだけ。この先、娘の将来が心配なんだろう。でも、ま、これも私の決めた道だ。もう先に進むしかない。飛行機の中から、お姉ちゃんとお父さんを探した。内心、自分では不安で堪らんのだ。でも、マイクに合える喜びも当然ながらこみ上げてくる。
福岡から成田(1時間半)。成田では6時間の空き時間だ。ネットをしたり、お金を両替したりした。もう、なんだか日本じゃないみたいだった。外国人がたくさんいるのだ(国際線だもん当たり前だ。)。何も面白いことは起きなかった。。
成田からダラス(11時間)。待ち時間5時間。ダラスではテロリスト対策からなのか、乗り継ぎでも、イミグレのチェックが厳しくなっていた。まあ、指紋取ったり、質問があったり。英語の分からない人達はちょっと、大変だったようだ。私は、適当にイミグレの小父さん達と話しながらの余裕の通過ぶりを見せた。乗り継ぎの待合で待つ間、気づいた!なんと、圧倒的にツアーが多いのだ!あとはビジネスか、最低でも2人の旅。みんな楽しくおしゃべりしているのだ。。私は1人。しかも、洋服もダラーンとした格好でいかにも貧乏さが染み出ていた。。。
乗り継ぎでは、サンパウロに向かう便と、あと、違う国に向かう便等それぞれあり、何人かのおばさん達は、私の後ろを同然のように付いてきて、
え?あなたリオに行くの?じゃ、私たちはどこに行けばいいの?”と聞いてきた。
“え?ちょっと。。私は添乗員じゃないしい。。。自分で探してくれよお”って感じだった。もちろん、そこら辺の人を捉まえて
この人達を案内してください。”といい人になっていましたが。。。。
私は、一人だからか、いろんな人からよく声をかけられる。空港でも機内でも。だからあまり待ち時間は退屈しない。みんなかわいそうにと思って話しかけてくれるのだろうか????
ダラスからリオ(12時間?)。待ち時間3時間
リオからサンパウロ(1時間)に着いた。待ち時間4時間。まああ、リオもサンパウロもなんとまあ、コンクリートだらけの薄暗い、ちょっと興味のない空港だった。ただただ広い。リオの空港では英語が通じる。サンパウロでは、英語とあと、日本語がぼちぼち通じる(これにはびっくりした。さすが、日本人の移民が多いことが分かる。)。待ち時間、ちょっぴりブラジルの味を確かめるべく、Bramaというビールを口にした。なんだか、日本のほろ苦いビールとは違って、気の抜けたビールだ。。。
サンパウロからレシフェ(4時間)
ぼちぼち、日本語も英語も通じない圏へと突入してきた。アテンダントさえも、駄目になってきた。レシフェに着く。何と、降りる人だけが降りて、あとの人は、機内で待つのだ。初めての経験!(普通、みんな降りん??)もちろん、何人かの人は、間違えて、降りている人もいた。そりゃ、ちょっと、ちゃんとそこら辺言っておいてくださらないと。。という状況だ。ここはあんまり乗客に対して親切なアナウンスがない。。。ブラジル人でも間違えるなら、私も間違えるさ!(ま、乗る前に、乗り換えなしだけど、レシフェの次です。と言われていたので、???と思いながらも、そこまで動揺はしなかったが。)
そして、レシフェからナタウ(1時間)
ナタウの空港に下り立つ。お、イミグレではどうやら英語が通じる。ほっと一息トイレに入った。すると陽気なブラジル人のおばさんが、何か言ってる。
私は、
あついですねええ!”と英語で言うと
へ??意味が分からーない。”とポルトガル語で言ってるようだった。3回くらい言ってみた。
するとその小母さんは
あら、おかしな子がいるわ。”っていう顔をして、去っていった。ちょっと、がーんとした。
“もしかして、ここ、英語駄目??”
ゲートを出て、マイクを探す。いない。。。もう1度よく見渡す。いない。。次々と乗客が家族や友達と再会のHUGをしている中、私は、大きなバックパックを背中に抱えたまま、呆然とした。しかも聞こえてくるのは意味の分からんポルトガル語らしい。頭の中には“え、マイク、明日と勘違いしてない??”“何か事故にでもあった??”“ここの空港じゃない?”“他にもゲートがある??”と、100以上のハテナが頭に広がり、だんだん、顔色も薄くなっていった
でも、“落ち着け。きっと、ちょっと遅れているだけさ。”と自分に言い聞かせ焦る鼓動を落ち着かせながら椅子に座った。何人かのタクシーらしき人が、“乗らないのか?”と言う感じで聞いてくる。私はひたすら“ノー。”と答えた。みんな私の方を見て通り過ぎていく。
“ま、もし、マイクが明日と間違えてるとして、ここなら、ま、寝ても安全かなあ。”とか、考える。どうやら、殆んどの人が去っていったようだ。待っている人が話しかけてくるが、もうポルトガル語のちんぷんかんぷんの私は、“止めてくれー!話しかけないでくれー!”の心境だった。
遠くから、こんがり小麦色に焼けたのっぽの人がこっちに笑いかけながら汗を拭き拭きやってきた。マイクだ!!!“あー!助かったああ!!”と心底思った。聞くと、渋滞したのと、やはり時間を間違えていたらしい。。。。。全く。。。
ま、ひとまず、私のどでかい荷物をタクシーに積み、ナタウの1番の観光スポットであるPraia do Ponta Negra(ポンタネグラビーチ)に向かった。とても南国を漂わせるPousadaプサーダ(いわゆるペンション)に着いた。さっそく荷物を降ろし、ビーチで、祝杯をあげた。Scolという名前のビールを飲んだ。大瓶は600ccだ。旅の疲れと、太陽がさんさんとしている事からだろうか、 睡魔に襲われ、部屋で休みを取った
夜になって、元気に時差ぼけもふっとび、夜ご飯を食べに行った。なんといってもChurrasucoシュハスコ(いわゆるBBQ)だろうか!!ビールを飲みながらシュハスコを頂いた。ここのビーチは夜も賑わうのだ。
“わー!ブラジルに来たのだ!!”と、実感する。マイクはなんとか、ポルトガル語を話しているようだった。英語圏の人間でもポルトガル語が必要なのか!?じゃ、私はもっと、必要なんだ。。。困ったぞお。だって、This is a pen.のレベルもないのだから。。。
と不安を隠しつつ、マイクとずーっと、飽きもせず話し続けた
“明日は、両親に電話を1本いれよう。。

私の人生あれこれ エピソード12

2007年10月05日 01時47分45秒 | 私の人生!!独身時代のハチャメチャ履歴書
さて、マイクと2度目の付き合いを始めることになった。今回は、美野島(博多区)に部屋を借りた。2年間住み,計画通りにブラジルへ行くこととなる。でも、結婚の文字は出てこないらしい。両親にはどう言うべきだろうか。。マイクは、両親に会って、何を言うのだろうか?結局、両親には、かわいそうだが、
“もしかしたら、ブラジルに住むかもしれんけん。でも、結婚は2の次だから。。。”と伝えた。
まあ、どこの親でもこんな心配なことはない。どこの馬の骨とも分からん男(しかも、外国人で、日本語での会話も出来ない。)。つまり、お父さんの気持ちからいうと、腹を割って話せないのだ。で、しかも、結婚はまだ。でも、ブラジルには一緒に行くと言う。どうなるかは分からない。はちゃめちゃだ
マイクがイギリスに帰る前に本当は両親にも会う予定だった(この時点では、まだ、1度も会っていない。)が、会わずにイギリスへ帰る。。。。で、マイクがブラジルに入り、NATALに落ち着き、私は、両親の心配を他所にブラジルNATAL行きのチケットを購入する。
もうそこまでくると、両親も姉も、ただ、娘の幸せを祈るしかないのだ。この歳になるまで、まあ、まだ親不孝をしている私。。ちょっとなああ。。。ま、この2年はひたすら働き、別にたいした話もなく過ぎていった。さ、これから、ブラジルへ行く。何が起こるか楽しみだ