尾崎洋二 コメント:
「戦後の日本は、平和国家として欧米に負けない国力を持ち、国民生活を豊かにしたいと立ち上がったが、関東大震災の復興時のような地震に強い街づくりや、首都としての品格は二の次で、ひたすら経済成長をめざしてきた。
そのつけが回り、東京は再び、地震に弱い街となってしまった。
戦後の街づくりを検証すべきだ。」との名古屋大学特任教授・武村雅之氏のアドバイスは重要です。
せっかく関東大震災からの教訓を活かして、街づ作りをしていた東京は、戦後経済成長一本やりで、首都としての品格を失ったまま現在に至っています。
防災の視点から首都分散以外の対策はあるのだろうか?と私は思います。
巨大災害における社会現象「相転移」。
この視点からの関西大学特別任命教授・河田惠昭氏の下記アドバイスも貴重です。
災害時の相転移発生の実例としては、23年の関東大震災では広域延焼火災、2011年の東日本大震災では津波避難しなかった多数の住民がいたことなどがある。
1991年の段階で、関東大震災などのデータから、人がたくさん都市に集まっているというだけで相転移が起こり、犠牲者数が大きくなるという推定ができていた。
1995年の阪神・淡路大震災の際には、老朽木造住宅の全壊・倒壊で相転移が起こり、人口密度の高い神戸市で多くの人が亡くなった。
今、東京23区の人口密度は、(1平方キロメートル当たり)約1万6000人だ。
日本全体で(同)約340人だ。東京で地震が起きたら、何かがきっかけとなり、相転移が起きる。
これによって、人的な被害、社会経済への被害が非常に大きくなる。
災害時には、社会が持つ“欠点”が相転移を引き起こし、想定外の被害を生む。
相転移の原因の候補を見つけ(それを踏まえた)事前対策によって被害は減らすことができるのである。
果たして、日本政府や地方自治体における「相移の原因の候補を見つけ、それを踏まえ上での事前対策」は?
------------- 公明新聞 2023/09/02 4面 -全文 ------------------------------------
土曜特集 巨大地震に備える都市整備
関東大震災100年シンポジウム (国交省主催)から
2023/09/02 4面
10万人を超える死者・行方不明者を出した関東大震災から、今年9月1日で100年。この節目を前に、国土交通省は8月28日、首都直下地震などの巨大地震に備える都市整備、街づくりなどに関して、「関東大震災100年シンポジウム」を都内で開催した。このうち基調講演では、『関東大震災がつくった東京』などの著書で知られる名古屋大学の武村雅之特任教授と、日本自然災害学会会長などを歴任した関西大学の河田惠昭特別任命教授が登壇。両氏の発言を要旨にまとめた。
■名古屋大学特任教授・武村雅之氏
■住みやすさ優先の東京に/「帝都復興」には先見の明あり
関東大震災は日本の自然災害史上、最大の被害を出した。死者、被害額ともに、人口比やGDP(国内総生産)比で見ると、2011年の東日本大震災の約10倍だ。そのうち、7割が東京での被害だ。東京は震源から離れ、揺れの中心ではなかった。当時の東京がいかに地震に弱い街であったかが分かる。
江戸時代に起きた、似たような規模の地震と比較しても、関東大震災の死者が圧倒的に多い。これは1868年の明治維新以降の産業都市化政策の下、都市の基盤整備をしないまま、軟弱地盤の上に人口を集中させたことが原因だ。
■反省から区画整理、道路、橋梁を整備
その反省に立ち、1924年~30年に行われたのが帝都復興事業だ。耐震・耐火を前提に、国民的合意の下で、公共性を第一に、首都として恥ずかしくない品格のある街にするという方向で街づくりを進めていった。
土地区画整理を行い、誰一人として地域から引っ越しさせないために、土地所有者から1割の土地を無償提供してもらい、道路や公園を作った。残りの土地を所有分に応じて分けて住み直した。
都心部の(主要な)街路は、この事業で整備された。将来に必ず地下鉄を造ると想定して、道路を27メートル以上の幅員にした。そのため、今の東京の地下鉄は、都営大江戸線を除けば、ほぼ全て、その道路の下を走っている。先見の明があった。
震災時、橋梁は焼け落ち、傾き、破損して、猛火に追われた市民が多数焼死した。そこで、耐震・耐火構造の橋梁が新設された。美観に細心の注意が払われ、今なお活躍する橋もある。
また、隅田、錦糸、浜町の3大公園、52の復興小公園が建設された。小公園は、地域のシンボルとなる素晴らしい公園だったが、戦争で破壊され、往時の姿に戻ることはなかった。
第2次世界大戦後、東京では、空襲から生き残った震災復興の遺産である公園、橋、水辺が1964年の東京オリンピックをめざし(て建設され)た高速道路で破壊され、東京は首都としての品格を失ったまま現在に至る。
震災後の32年、東京は現在の23区の範囲に街を広げたが、明治時代と同じように都市の基盤整備を怠り人口集中を許した結果、郊外に木造密集地を抱えることになった。
2000年以降、高層ビルの林立による異常な人口密集という新たな問題も生じている。過酷な長時間通勤を生み、ひとたび地震が起これば大量の帰宅困難者が生じる。
■戦後の街づくり検証を
戦後の日本は、平和国家として欧米に負けない国力を持ち、国民生活を豊かにしたいと立ち上がったが、関東大震災の復興時のような地震に強い街づくりや、首都としての品格は二の次で、ひたすら経済成長をめざしてきた。そのつけが回り、東京は再び、地震に弱い街となってしまった。戦後の街づくりを検証すべきだ。
街は市民に対し、平等に利益をもたらすものでなければならない。そのような住みやすさ優先の街にこそ、市民の連帯意識が生まれ、共助の心も育まれる。
関東大震災発生100年を起点に、大震災後の復興事業の理念を思い起こして議論し、地震に強い街に造り替えていってほしい。
■関西大学特別任命教授・河田惠昭氏
■事前対策で被害を軽く/原因となる社会の“欠点”踏まえ
文献調査によると、日本で過去1500年間で1000人以上亡くなった災害は、平均すると15年に1度だったが、明治以降になると、巨大地震は平均6年に1度発生するようになった。
なぜか。人口がどんどん増え、みんなが住みたい所に住んだからだ。川が氾濫し浸水被害が大きくなる、台風が来ると高潮が起こる、地震が起こると被害がとても大きくなる――。そういう所に住むようになった。
1946年以降の災害被害は公共事業の投入で、確実に減少してきた。中小災害は減っている。しかし、首都直下地震や南海トラフ巨大地震などが起きた場合、どれくらいの被害があるか。100年前の関東大震災では犠牲者の90%が火災で亡くなったが、昔と同じような被害が出るとは限らない。東京の姿がどんどん変わってきているからだ。
■「相転移」の発生で被害が大きくなる
じゃあどうするかと考えていったら、災害が起こった時、何かが原因となって被害が大変に大きくなることを発見した。これは巨大災害における社会現象「相転移」である。
水は0℃になると突然、固体の氷になり、100℃を超えた途端、気体の水蒸気になる。このような相(様相)の急変を熱力学で相転移と呼んでいる。災害によって、こうした相転移が起きなければ被害は小さくなる。
91年の段階で、関東大震災などのデータから、人がたくさん都市に集まっているというだけで相転移が起こり、犠牲者数が大きくなるという推定ができていた。95年の阪神・淡路大震災の際には、老朽木造住宅の全壊・倒壊で相転移が起こり、人口密度の高い神戸市で多くの人が亡くなった。
今、東京23区の人口密度は、(1平方キロメートル当たり)約1万6000人だ。日本全体で(同)約340人だ。東京で地震が起きたら、何かがきっかけとなり、相転移が起きる。これによって、人的な被害、社会経済への被害が非常に大きくなる。
災害時の相転移発生の実例としては、23年の関東大震災では広域延焼火災、2011年の東日本大震災では津波避難しなかった多数の住民がいたことなどがある。
■「首都直下」停電で複合災害も
首都直下地震が起きたら、間違いなく長期広域停電が起き、それに伴う複合災害として、情報通信や病院、交通などがだめになり、食料品や飲料水の供給停止などが起こる。そして、自治体の行政まひやエレベーターの停止・閉じ込めなど連続滝状災害がのしかかる。こういう被災の構造が分かってきた。
何が相転移して巨大被害が起こるかが事前に分かり、起こらないようにするには、「文明的な開発」とともに、社会習慣を成熟させていく「文化的な発展」に向けた対策、街づくりをやり、社会の防災力を大きくしなければならない。
災害時には、社会が持つ“欠点”が相転移を引き起こし、想定外の被害を生む。相転移の原因の候補を見つけ(それを踏まえた)事前対策によって被害は減らすことができるのである。
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