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【関東大震災から100年】「記録」を「記憶」へ 教訓を未来に生かす挑戦ー 東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授

2023年09月01日 14時05分15秒 | 減災・防災から復興まで

【関東大震災から100年】「記録」を「記憶」へ 教訓を未来に生かす挑戦――インタビュー 東北大学災害科学国際研究所 今村文彦教授  

聖教新聞 2023年9月1日 〈危機の時代を生きる 希望の哲学〉

尾崎洋二 コメント:私達は関東大震災から何を学ぶべきなのか?

次に来る大災害に備えて、未来をイメージするために歴史を見つめ直すことは大切です。

一つの世代を30年と考えると、100年という時間は「3世代」に当たります。

当時の記録は限られていますし、震災を体験した人から直接、話を聞くことも難しくなってきています。それでも大災害から教訓を得て、次なる災害に備えたいものです。

だからこそ、印象に残る方法で、何世代にわたって教訓を伝えることが大切です。

災害を私達は「記録」してきたわけですが、そうして残された情報を目にするだけでは、どうしても、“人ごと”にとどまってしまいます。

それを“わがこと”とするには、記録をもう一度、共感されるような「記憶」に戻していくことです。

自分自身の記憶になって初めて災害を我が事として受け止められるようになります。

災害を“わがこと”として具体的に記録から記憶として想像することで、「意識」は「認識」へと変わり、そして、それがひいては、自らの命を守る自主的な行動へとつながるかと思います。

ここから本当の防災、減災につながっていくのではないでしょうか?

以上が 今村文彦教授が主張したいことかと思います。

------------以下 聖教新聞 2023年9月1日 本文------------------------------------ 

 1923年に発生した関東大震災から、きょう9月1日で100年の節目を迎えた。南海トラフ巨大地震や首都直下地震など、大規模地震がそう遠くない将来に起こるとされる今、私たちはこれまでの災害から何を学び、教訓としていくべきか――。東北大学災害科学国際研究所の今村文彦教授に聞いた。(聞き手=水呉裕一、村上進)

過去の災害を振り返る意義

 ――関東大震災は、近代日本の首都圏を襲った巨大地震として知られています。今、改めて、当時のことを振り返る意義はどこにあるのでしょうか。
  
 一つの世代を30年と考えると、100年という時間は「3世代」に当たります。当時の記録は限られていますし、震災を体験した人から直接、話を聞くことも難しくなってきています。私自身が震災経験者にインタビューしたのも、もう10年ほど前の話です。
 それでも、大きな節目の今この時に、未来をイメージするために歴史を見つめ直すことは大切です。
 
 関東大震災は、地震、火災、そして津波という複合災害でした。揺れそのものは、震源であった神奈川県を中心に大きかったことが分かっています。
 土砂災害に加えて相模湾での津波は、鎌倉、伊豆半島の伊東や熱海で特に被害が大きかったようです。
 しかし、多くの犠牲者が出たのは、震源地から離れた場所での火災でした。
 人口過密といった地域の脆弱性が、下町を中心に二次災害を引き起こしたのです。また、不安の中でデマが横行したことも分かっています。
 
 関東大震災を振り返るもう一つの意義は、帝都の迅速な復旧・復興が迫られたということです。
 被災者は生活を送ること自体も難しく、70~80万人という人々が、北海道から九州と、全国各地に広域避難をしています。


 2011年の東日本大震災による原発事故でも、福島の人を中心に広域避難を行いましたが、100年前にも、こうした対応が行われていた事実は知っておくべきです。南海トラフ巨大地震や首都直下地震が起こった際、同様の対応を大規模で行う可能性があるからです。
 
 近年、各地で建物の耐震化や、備蓄などの防災の取り組みが進められていますが、地域によって対策に“温度差”があるのが現状です。


 災害時には、十分に対策ができていなかった場所ほど大きな被害を受けます。
 100年という節目に際し、関東大震災を過ぎ去った歴史としてではなく、未来への教訓として捉えていくことが、大切だと考えています。

“わがこと”にするためには

 ――100年前の出来事を“わがこと”として捉え直すには、どういった観点で歴史を見つめればよいでしょうか。
  
 人間は、災害などの経験を記憶します。それを普遍的なものとして残していくために、写真や文字、映像といった形で「記録」するわけですが、そうして残された情報を目にするだけでは、どうしても、“人ごと”にとどまってしまいます。それを“わがこと”とするには、記録をもう一度、「記憶」に戻していくことです。それには工夫が必要です。
 
 ポイントは「共感」です。一例として今、白黒の写真をカラー化する技術がありますが、町を焼き尽くす炎や、避難する人々の衣服などに色が着くだけで、100年前といっても、“今と変わらない”“似ているね”と思えます。
 そうして捉えた100年前の記憶を、今度は、自分が直接見聞きした災害の記憶と結び付けられれば、他者の過去の出来事であっても、身近に感じることができるようになります。
 現在、津波の再現シミュレーションも行っていますが、最新技術を駆使することによって、よりリアルに震災当時の津波をイメージすることができます。
 
 本年2月に発生した「トルコ・シリア地震」の被災地を先日、視察しました。
 トルコでは耐震基準を満たしていない建物が多く、大きな被害が出ましたが、拠点病院は耐震・免震化されていたため、病院機能が失われなかったことを知りました。
 聞くと、東日本大震災の被災地をトルコ政府が視察し、耐震・免震化された石巻の赤十字病院が災害時に果たした役割を知ったことで、帰国後、迅速にトルコでも同様の対策を行ったといいます。甚大な被害が生じた中で、病院という重要なインフラが守られたことは、遠く離れた東北の記憶を、トルコの未来へと還元した一つの実例だといえるでしょう。

歴史の風化に抗う取り組み

 ――記憶は、風化との戦いでもあります。
   私たちは日々、新しい情報に接して生きています。時とともに、過去の記憶が脳の奥へと追いやられていくことは、ごく自然のことです。それでも歴史を風化させずに、未来へと生かしていくよう努めなければならないからこそ、古い記憶を時々、表に出して、新しい記憶として取り入れ直すことが大切です。
 震災を扱ったアニメや映画を見たり、避難訓練に参加したり、震災の伝承施設を訪れたりと、どんな方法でもいいと思います。
 
 私は今、“産・学・官・民”連携の「3・11伝承ロード推進機構」という新たな取り組みを立ち上げています。
 これは一人でも多くの人が震災伝承施設を訪れ、災害の教訓を知ってもらうためのもので、東北各地に点在する施設の情報を分類・整理し、効果的に学べる仕組みをつくっています。
 やはり、現場で遺構を直接見て、語り部の生の声を聞くと、震災の捉え方は大きく変わります。小・中学校の修学旅行も含め、南三陸の自然を楽しむと同時に、遺構に足を運んでいただきたいと思います。
 
 また同時に、私たち東北大学災害科学国際研究所はこれまで、震災に関する写真や動画、証言などをアーカイブ(記録・保存)する「みちのく震録伝」というプロジェクトを推進してきました。誰もがアクセスできるデータとして公開し、防災・減災対策に結び付けられることを目的としてきました。

正しい「認識」が取るべき行動に

 ――昨今、自然災害の頻度や規模は私たちの想像を超えるほどです。どのような「自助」の意識が求められているのでしょうか。
  “災害多発時代”にあって、備蓄品をそろえるなど、防災の「意識」は高まっていると感じます。
 その意識を、これからは災害への正しい「認識」に変えていくことが必要です。それがあって初めて、取るべき「行動」が見えてきます。
  ひとえに自然災害といっても、地震と水害では、避難すべき場所も違えば、対応も異なります。
 まずはハザードマップなどをもとに、自分が住んでいる地域は“いざ”という時に、どんな被害をどれくらいの規模で受けるのか、どこに避難すべきかなどを具体的に個々に認識しておくことが大切です。
 
 災害ごとに、あらかじめどういった状況になったら動くか、どの情報をもとに、どのタイミングで避難するかという“しきい値(境目となる値)”を設けておくことも、リスク認識の一つとして大切でしょう。一緒に避難する家族に高齢者がいる場合や、住んでいる地域が被害の出やすい場所なのか否かによって、行動すべきタイミングは異なります。
 避難行動に移すかどうかという判断に、個々人の価値観が働くのも自然なことです。だからこそ、自分はどうするかという「主体性」が不可欠です。
 
 災害を“わがこと”として具体的に想像することで、「意識」は「認識」へと変わり、それがひいては、自らの命を守る行動へとつながるのです。

小中学校での「出前授業」

 ――災害科学国際研究所では、小・中学校で出前授業を行っていますね。子どもたちが災害を“わがこと”と捉えるための取り組みであると思います。
  
 はい。私たちもそこに期待をしています。
 出前授業では、科学的な裏付けのある津波の映像を見せたり、最新の災害の話題などを取り入れたりしながら、普段の学校とは違う授業を心がけています。
 一見、おとなしそうに聞いている子でも、ワークショップなどを通して一緒に防災について考える中で、「なぜ?」「どうして?」と、率直に疑問をぶつけてくれます。
 
 文部科学省が数年前に「学習指導要領」を改訂しましたが、改訂に込められた思いとして、「『生きる力』を育む」と記されています。“この目標はこれからも変わることはない”とも。
 防災は“生き残る力”“生き抜く力”を考えることです。まさに防災教育こそが、今の日本が目指す教育の大目的に適ったものだと思います。
 
 災害が起きたらどうするかを一緒に考える。“共に生きるために、共に学ぶ”のが防災教育です。
 そこで培った力は、災害に備えるためだけのものではなく、人生全般に役立つ力を育むことができるものだと思うのです。

防災は「共に生きる力」を磨く地域の魅力を再発見する機会

 ――“共に生きるために、共に学ぶ”という防災の観点は、地域社会にも通じるものです。今村教授は、地域の未来を考える「事前復興」の大切さも語られています。
  
 事前復興は、災害が起こることを前提として、被害想定をもとに災害に強い町づくりを事前に行うというものです。
 
 東日本大震災の時もそうでしたが、実際に災害が起きた時には、計画なんか議論できないほど混乱します。だからこそ、重要な公的施設や住宅施設をどう造っておくかを事前に検討し、少子高齢化・人口減少時代に合わせた災害に強い町にしておこうという考え方です。
 先日、出席した内閣府の「南海トラフ巨大地震対策検討ワーキンググループ」でも、大きなテーマの一つでした。
 
 この事前復興は、災害に備えるとともに、地域の未来を語るチャンスでもあります。大きな被害があった時、災害の前と後で、全く同じ町づくりはあり得ません。であるならば、災害があってもなお、未来へと残していきたい地域の魅力とは何なのか。それを考えることで、事前復興は、地域の魅力を再発見するプロセスにもなるのです。
 
 そこには、ぜひとも地域の未来を担う若い人たちにも関わっていただきたい。地域として、どう災害に備えるかを考えることで、その地域に住む一人としての「自助」「共助」の姿勢も大きく変わっていくと思います。
 
 私自身、東日本大震災からの復興の歩みを通して思うのは、復興する力とは、「地域を大切に思える力」であるということです。
 その思いがないと、いくら行政が予算をつけ、インフラを整備しても、中身のないものになってしまう。
 事前復興の取り組みは、地域の絆を結ぶ絶好の機会になると考えています。
  

 ――事前復興の取り組みがもつ可能性は大きいですね。
  
 今、個を大切にする時代の流れがある中で、住民同士の地域コミュニティーといったつながりは、一昔前に比べて希薄になっています。しかし、東日本大震災でもそうであったように、大変な時に互いの支えとなるのが、身近な人のつながりです。そんなつながりを、日常から増やしていくことは、事前復興の大きな柱であるとも思います。
 
 一方で、最近は災害時にインターネット上で情報提供をするといった“デジタル共助”の可能性が模索されています。実際、災害時にSNSで情報をもらって命が助かったという事例もあります。場所や空間を超えて「共助」が育まれる時代だともいえます。
 
 身近な地域であっても、SNS上であっても、相手の置かれた状況を“わがこと”として捉えて、思いをはせていく。「共に生きるための力」を磨く防災は、そんな思いやりの心を育むものでもあると思います。
 そういった意味でも、「防災」を私たちの社会や教育の大きな柱としていくことは、課題が山積する困難な時代を生き抜き、幸福な未来を築いていくための確かな力になっていくと信じています。

 いまむら・ふみひこ 1961年、山梨県生まれ。東北大学工学部卒。同大学院博士課程修了。同大学助教授、京都大学防災研究所客員助教授、東北大学工学研究科教授、同大学災害科学国際研究所所長などを歴任。現在、同研究所災害評価・低減研究部門津波工学研究分野教授、「3.11伝承ロード推進機構」代表理事、復興庁復興推進委員会委員長。

 

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