尾崎 コメント: 仮設住宅における災害関連死を防ぐ意味では、重要な事例です。
防災においては「諦めない」という言葉と実践力が必要なんだと痛感しました。
仮設住宅の開発提供における「名古屋工業大学教授 北川啓介さん」の素晴らしい見本事例を紹介します。
きっかけは、3.11 東日本大震災の時、石巻市の中学校の避難所を取材して帰ろうとしたときです。ずっと私(北川啓介さん)たちについてきてくれていた、2人の小学生の男の子が、「ちょっと、こっち来て」と導くのです。そしてグラウンドを指さして、「なんで仮設住宅ができるまでに何カ月もかかるの? 大学の先生だったら来週建ててよ。」という要望でした。
1-能登半島地震の被災地に、計172棟の屋外用の簡易住宅「インスタントハウス」が建てられた。従来の仮設住宅とは異なり、設置も手軽で、コストも割安。快適性も確保されているという。
2-完成したインスタントハウスは、20平方メートル(約12畳)のだと、材料は40リットルのスーツケース二つ分です。一つはテント部分。もう一つは断熱材です。飛行機の機内に持ち込めるくらいの荷物で1棟建てられます。
膨らませるのは小さな扇風機でもでき、断熱材を吹き付けるところまで一人で簡単に作れます。揺れにも台風にも強くて、冬は暖かく、夏は涼しく快適です。価格も一般的な仮設住宅の半分から3分の1程度です。
3-能登半島地震の被災地のある女性の方が、「この家は私たちに希望を届けてくれた」と言ってくださいました。地震で倒壊した家屋も多く、建物に対する恐怖心もあったと思います。避難所生活も、その日をどうやって生きるかで精いっぱいなはず。その中で、「明日や来週など、少し先のことを考えられるようになった」とおっしゃったのです。
-----------------------以下本文---聖教新聞 2024年8月11日---------------------
〈スタートライン〉 名古屋工業大学教授 北川啓介さん2024年8月11日
簡易住宅「インスタントハウス」開発者: 世界に希望を届ける家
能登半島地震の被災地に、計172棟の屋外用の簡易住宅「インスタントハウス」が建てられた。従来の仮設住宅とは異なり、設置も手軽で、コストも割安。快適性も確保されているという。開発した名古屋工業大学教授の北川啓介さんに話を聞いた。
――開発のきっかけは?
東日本大震災です。私は大学の建築の教員として、いわゆる美しい建築、かっこいい建築の意匠や設計について研究していました。
震災から半月ほど経過した頃のこと。新聞記者さんから、建築家として被災地に取材同行してほしいと頼まれました。
石巻市の中学校の避難所を取材して帰ろうとしたときです。ずっと私たちについてきてくれていた、2人の小学生の男の子が、「ちょっと、こっち来て」と導くのです。そしてグラウンドを指さして、「なんで仮設住宅ができるまでに何カ月もかかるの? 大学の先生だったら来週建ててよ」と言うんです。
何も答えられませんでした。過酷な状況の人たちが目の前にいるのに、建築家である自分は何もできない。とても悔しく、自分が許せなかった。その日の夜から“来週建てられる仮設住宅”をどうすれば作れるか、真剣に考え始めたのです。人生観が百八十度、変わった出来事でした。
――なぜ仮設住宅はすぐに建てられないのでしょうか。
まず、行政から専門業者に発注をかけるところから始まるので、調整や手続きが必要です。資材をトラックで運ぼうにも、道路が寸断されていたら、すぐには運べません。基礎工事や組み立て、外壁工事などに必要な職人さんを確保するのも困難です。少年たちに言われた日の夜、ホテルの部屋で課題をノートに書き出したら40個もありました。
そこで、いったん建築から離れて、対義語を考えました。重いなら軽い、大きいなら小さい、高価なら安価、人がたくさん必要なら一人でとかです。
そうやって考えながら、帰りの新幹線で名古屋駅に降りたときです。何げなくかばんの中から、小さく丸めたダウンジャケットを広げて羽織ったときに、「これだ!」とひらめいたのです。それは「空気」です。空気という素材が全ての課題を解決してくれるとイメージできたのです。どこにでもあって、軽くて、断熱性もある。しかも、無料です。
――解決のヒントは目の前にあったのですね。そこからどのように開発を?
最初は、大道芸人の方とかが使う細長い風船を編んで家の形にしてみました。他にも、布団やスポンジなどを入れた圧縮袋を、掃除機で空気を抜いて、開封したらぱっと広がるようなものも実験しました。明らかに失敗すると分かっていても決めつけず、とにかくいろいろ試して、挑戦を続けました。
そうして5年半が過ぎた2016年の10月、白防炎シートというテントに使う素材を気球のように膨らませて、内側から硬質発泡ウレタンという断熱材を吹き付ける、今の形の試作品ができたのです。
その後、完成したインスタントハウスは、20平方メートル(約12畳)のだと、材料は40リットルのスーツケース二つ分です。一つはテント部分。もう一つは断熱材です。飛行機の機内に持ち込めるくらいの荷物で1棟建てられます。
膨らませるのは小さな扇風機でもでき、断熱材を吹き付けるところまで一人で簡単に作れます。揺れにも台風にも強くて、冬は暖かく、夏は涼しく快適です。価格も一般的な仮設住宅の半分から3分の1程度です。
――実際に能登半島地震の被災地に導入されました。
一刻も早く現地にと必死でした。すると、ある女性の方が、「この家は私たちに希望を届けてくれた」と言ってくださいました。地震で倒壊した家屋も多く、建物に対する恐怖心もあったと思います。避難所生活も、その日をどうやって生きるかで精いっぱいなはず。その中で、「明日や来週など、少し先のことを考えられるようになった」とおっしゃったのです。うれしかったですね。
――安心できる空間は文化的な生活の大前提ですね。
私はこれまで、トルコやシリア、モロッコなどの大地震の際、少しでもお役に立とうと、インスタントハウスを届けてきました。自然災害に遭った方々、難民・避難民の方々などを含め、私はこの地球上で、住む家がなくて困っている人たちが、当たり前に家を持てるようにしたいと思っています。
人々が自分の家を持つ。その家が集まればコミュニティーが生まれる。そこから仕事が生まれ、経済が動き出す。そうやって真の意味で自立ができれば、未来を考えることができる。そのプロセスを現地の人が楽しんでいければ、素晴らしい社会が建設できると考えています。
――未来をつくる仕事です。最後に若者へメッセージを。
私の実家は和菓子屋で、小さい頃は和菓子職人になりたくて、仕事ぶりを見ていました。インスタントハウスで空気を使う発想も、父が作る羽二重餅が空気を含むことでフワフワになっていることも参考になっています。だから人生、何が役に立つか分かりません。時には、周りと違ったり、遠回りしたりするかもしれません。でも自分を信じて、達成したいことを頑張れば、夢は必ずかなう。そう信じています。
私たちが勉強を始める時は教科書が必要です。でも教科書だって時代とともに変わります。その未来の教科書をつくるチャンスは誰にでもあるはずです。
- プロフィル
きたがわ・けいすけ 1974年、愛知県名古屋市生まれ。2001年、名古屋工業大学大学院工学研究科社会開発工学専攻博士後期課程修了、博士(工学)。2018年から現職。
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