あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

今年最後のおしめりタイム

2021-12-29 | from:sachiaki
本日ちょっとした知人が亡くなったというお知らせをいただいたので
お通夜のために高津区までおでかけしてきたsachiakiです。

お店が終わってからでかけたので、式場に着いたのは
閉式の15分前だったのですけれど
それでも会場にはたくさんの方が歓談をされていて、
とてもお通夜の会場とは思えないほど和やかな雰囲気で、
なによりも驚いたのが、
普通、棺が祭壇の前に横向きに安置されていて
顔だけ見られる…みたいな感じになっているし
厳か〜〜〜〜〜って雰囲気が立ち込めているものなのに
その人の祭壇は、祭壇こそお花でゴージャスに飾り立てられ
元気だった頃の遺影が飾られていて(それもかなりロックな出で立ちでした)
いるところまでは同じなのですが、
棺が横付けされているのではなく、
ホールの前方真ん中に縦に置かれていて(立っているんじゃないよ)
入室した人が祭壇に足を運ぶと、自然と棺の横を通る形となり
安置されているご本人と対面できる形になっておりました。

死装束もそれっぽいものではなく、
たしかに白っぽいものを着ていたように思いますが、
胸ものにはその人が生前携わっていたお店のオリジナルTシャツがかぶせてあり、
Tシャツの上側には「やったるぞー!」だったかな…
という生前その人がよく口にしている言葉がマジックペンで書かれていました。
型破りにもほどがあるだろう……と思ったけれど
そういう型破りな葬儀を許してくれたご親族もすごいし
その人らしさを継いだ葬儀を取り持ってくれた周囲の人たちもすごい。
故人は精力的な人だなぁと思っていたけれど、
様々な人たちと繋がって、多大な影響を与えて来られたのだろうな〜と思いました。

人の真価は死んでから決まると聞きますが、
本当にそうなんだろうなって感じる一日となりました。

お店もどうするのかな?と思っていたら
これからも人と人を繋ぐ場であることが故人の望みだと思うから
引き継いでいきますとのお話でした。

自分はどうなんだろう?
いなくなったら泣いてくれそうな人は5人ぐらい思いつくけれど(主に家族)
たぶん影響はないし、誰かが意志を継いでくれるってこともなさそう。
そもそも「意志」をちゃんと示してないしなぁ。
とか、そんなことをつらつらと考えながら帰宅しました。

さて本年もあと二日。
大事に過ごしていきましょう!
そんじゃまた。モイモイ。

追記:
お通夜行ってきた〜ってこの日記を書き上げてから
Facebookを見に行ったら、やっぱり対して絡んでいたわけではないけれど、
すごく立派な活動をされていた知人が26日に亡くなったとあり、
あぁ…と声にならない声を上げてしまいました。
年末は…年の節目は本当に多いですね。
こちらの方は希少難病の当事者さんで最後の1年は
がんのステージ4になってしまったとのことで
余命が半年という投稿を見ていただけに
余命の猶予は多少あったとはいえ、
やっぱり厳しいのだな……とため息です。
希少難病と呼ばれるものの種類がとても多岐にわたること、
それが保険に適用されるように国の「難病」指定を受けるのが
とても大変だっていうこと、そういった話を悲壮感なく
困難があるからこそ生きがいがある!と言わんばかりに
精力的に希少難病をたくさんの方に知ってもらうための活動をされていて
昨年はお子さんも生まれたばかりで
人の一生……って気持ちになりました。
私の残りの寿命を1/3でもあげたかったわ。

とはいえ、残された側はもらったバトンのようなものを受け取って
粛々と生きていかなくてはならないもんだし、
こういった活動もあったのだとせめてリンクを貼っておきますかね。
▶︎希少難病ネットつながる

思い出してしまった言葉もセットにぺたり。

人を残す人生こそが上なり
金を残す人生は下、事業を残す人生は中、人を残す人生こそが上なり。
                          ー後藤新平

私はなにを残せるんだろうか。
残さなくても良いんだけど、せめて詩のようなもの、
絵画のようなもの、だれかの心を慰めるような
そんなものが残せたらいいなぁ。
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言葉がうまく出てこない

2021-12-29 | from:sachiaki
言葉がうまく出てこない。
そんなことはよくあることなんだけど、
あちらを立たせばこちらが立たず……的なもので、
全方位に気を使っても言葉足らずであったり、
気づかなかった差別心に繋がっていたりして。
古の言葉の通り、「雄弁は銀、沈黙は金」なのかもしれないな
なんてことを思っていたsachiakiです。

このことについては、ロバと老人夫婦のイラストが有名なのでご覧くださいな。



どんなことにも批判する人はいる。
ちなみに「批判」というと、私などは否定の意味が強いと感じておりましたが、
もともとの批判とは、比べて判じるなので
良いことも悪いことも含む話で
嫌味を言うために使うものではないんですよね。

何が言いたいのかというと特にないのですが
こちらの日記以外ではあまり自分の言葉を使えなくなってしまったなぁと
ボンヤリしていただです。

哲学対話に初めて参加した時に
哲学科の先先に「自分の言葉で語りなさい」
「引用はしても良いけれど、それについて自分はどう思ったのかを入れてください」と言われ、
もともと頭が悪い分暗記が出来ないから
自分の言葉でしか紡げないタチなんですけれど、
そのことについて忘れることができるのも
それを自分の言葉に出来ることも大切なことですよ、と励ましてもらい
これからも沢山のことをインプットして血肉にしていこうと思ったのでした。

だからまぁ、遠慮せず日記以外でも書けば良いのかもだけどねー。
SNSこわいわー。(まんじゅうこわい)

さて、そろそろ夜学開けに行ってきます。
そんじゃまたねー。モイモイ。
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