あも&サチアキの交換日記

どうやら交換日記が続いているようです(祝何年目?

我が強いということを感じる時

2021-12-14 | from:sachiaki
知人が投稿していた「お酒に強いということが偉いわけじゃない」
という価値観が浸透してきてくれたおかげで
お酒が飲めないことで悔しい思いをしてきたのがなくなり
だいぶ生きやすくなった……というものを読んで
私もあと私の友人もお酒が強いわけじゃない(なんならアレルギーある)けれど
お酒の席でめちゃくちゃ楽しそうに混じってたし、
お酒が強いとか弱いとかで場を悪くしたことがないので
結局ヒエラルキー大好き人種といるかいないかで
生きやすさが違うんじゃないのかい?
なんてことを思ったsachiakiです。

あと環境って成人したら自分で選べるようになるので
ヒエラルキー大好き人間が周りに多いってことは
自分もヒエラルキー大好きってことの証左なんだと思う。
たぶん。

なんでそんなことを思うかといえば、
学歴コンプレックスと呼ばれるものも
とくに感じたことがないし、
可愛さ云々で人を計るような人たちとは付き合わずに済んできているのは
そういった人たちから距離を置きながら生きてきたので
代わりに「空気が読めない」とか「マイペースだね」とか言われてきたけれど
同じようにマイペースでものごとを進める人たちといたおかげか
どんなこともそういうもんだよね
って許容できる場にいたれたので生きやすくなったよなぁ
なんてことを思ったりするんです。
それこそ専門学校に入る前までは
「〜であるべき」やら「〜しなくちゃ」でいっぱいだったけれど
(それでもポンコツではあったけれど)
専門学校に入って、ダメなところがいっぱいあっても誰も気にしなくて
自由で作品だけがその全てだと教えられて
とにかく良いものを描くぞ!っていう気持ちにさせられたのは
大きな変化だったし、専門学校に入ってよかったと
一番に思う理由の一つだったりするのです。
成人する前にあのユルダラな、
しかし課題に追われて大変だった時代があって
本当に良かったと思うし、
「人は人」っていうのを学べたのは最大の成果だったと思うの。

つまるところ、私も我が強い側の人間であって、
我が強いことを抑えこむような環境では
生きるのがしんどかったのだろうな
と思うわけです。

なので、早めの段階から「人は人」を貫くことができて
「お酒が強いんですね。すごいですね」とはなっても
「お酒が弱いわたしはダメなんです」とは思わなかったって寸法さ。
そもそもうるさい飲み会がそれほど好きじゃないってこともあるか。
好きな人たちと楽しく飲んだ末の出禁はあるけれど。。
あと、お酒が弱いって人に無理強いをするような
体育会系とは肌に合わなくて最初から避けているのも大きいのかな。
損をしていることも多いのだろうけれど、
別にそれでいいかなって。
そんなことを知り合いの投稿から考えていました。

「人は人」っていうの、今の時代だからこそ重要だと思います。
「それはあなたの怒り?」ってアジテートされているものから距離を取ることもね。
そもそもアジテーションって何かを問いただりするもんだと思うんだけど
その問いが正しいのかどうかをちゃんと見極めなくちゃいけないわけで
ただただ扇動されて感情をかき乱されている場合じゃないよね〜と。

「正しい問い」というのはなかなかに難しいものです。
悪魔の証明に代表されるように”ないものを証明することはできない”ことや
”その正しさに反論することで自分の立場が悪くなるからできない”、
という隙のない論は最終的に全体を滅亡へと追いやるので
全体的にみたら間違っていることなどもあります。

己をしっかりと持ち、やすやすと人の領分に乗っからないこと。
そういったことを大事にしつつ、
しかし、その我の強さでなにかを押し通してはいないか?
ってことを自戒することも忘れずに。

推して参る!とばかりにはいかないですし、
それはさすがに自分を高く見積もりすぎってことでもあるしね。

そんなことを思いました。

さて、今日ももう後半戦。
素材落としも終わっていないのでマジやばです。
とりあえず頑張る……。

そんじゃまた。モイモイ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする