「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

時雨の日

2008年11月29日 | 絵とやきもの
 このところ時雨の日が続いています。朝の散歩も取りやめにして、道具を拡げて描いてみたいものをあれこれと形にしてみましたが、まとまりがつきません。
 どうやら、琳派展の刺激が強すぎたための後遺症があって、気持ちの方が先走ってしまいます。自分でも違うと思えるのです。あえて墨だけで押さえてみましたが、やはり思いが表出できません。
 もう少し時間が必要のようです。
 年をとると待つことは苦にならなくなっています。そのうち、自分で納得できる形が生まれるかもしれないと、虫のいいことを夢見ています。

 明日は久しぶりに八女の吉武さんの花宗窯に伺います。弟が穴窯で一緒に焼く素地を運ぶのに便乗です。
 紅葉には少し遅れましたが、杖立温泉の”大自然“に宿を予約しました。





京都の秋色

2008年11月27日 | 季節のうつろい
 居ながらにして古都の秋の色を楽しみました。
 何時も京都の風物詩を撮影しては送ってくださるOさんから、昨年の洛北、修学院離宮の秋景色に続いて、今年は東山の紅葉が届きました。現在の古都の秋の撮りたての色です。 東福寺、通天橋と記されています。
 過ぎ行こうとする季節の名残を惜しんでください。



 四条の南座に“まねき“が上がると師走の訪れを実感し、何かしら慌しくなるといわれています。
 京都の冬の風物詩であり、歳時記です。
 二枚目、三枚目の語源になったまねき看板ですが、一枚目は座主の名が書かれ、二枚目が主役がしるされたといわれています。今二枚目はイケメンと呼ぶようですが、美男子の方が情緒があります。
  下は、今年の吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎の役者名をしるしたまねき板です。


「卯花墻」に逢う

2008年11月24日 | みやびの世界
 華やかな琳派展を見た翌日、三井記念美術館で開催中の特別展“茶人のまなざし 森川如春庵の世界”に出かけました。



 今回の上京を決めたもう一つの目的でした。飛行機の時間は5時過ぎでしたから11時のチェックアウトまでホテルでゆっくりして、日本橋に向いました。いわば祭りの後の“鎮めの能“拝見のつもりでした。
 三井本館の中、重厚な静かな雰囲気の中で如春庵が出迎えてくれました。三月に図録を見て以来、自分の目で確かめてみたかった名碗と、佐竹本三十六歌仙切、紫式部日記絵詞といった所蔵品に期待がありました。
 会場は土曜日の昼でしたが人も少なく、ゆっくりと7つに分割された会場を巡ることができました。
 第一の収穫は、志野茶碗「「卯花墻」三井記念館所蔵に逢えたことでした。前から横からと眺めて、図録で見たよりも大きいというのが第一印象でした。
 たっぷりとして力強い姿形でした。
 「時雨」よりも1センチ小さい口径ですが、志野独特のやわらかな肌合いと、白の釉掛けの下にさりげなく引かれた二本の線が、大きく見せるのでしょうか。胴の削りも口辺の箆も嫌味がなく、自然です。日本で焼かれた無数の茶碗の中でこれが国宝であることを納得しました。
 期待の「乙御前」は、前日に大琳派展で見た同じ光悦の赤樂茶碗「峯雲」の連れのようで、手に持てば、「たまらぬものなり」と思えるかもしれませんが、ガラス越しの拝見では、「峯雲」の方が好みでした。
 同じく黒樂の光悦茶碗は、琳派展の「雨雲」とどちらか一つをといわれればこちらの「時雨」でした。気品高く、左右の曲線にかすかな差を見せるだけの装飾性を排除した清々しい一口でした。こんな茶碗で一服をいただいたら、どんなに波立つ気持ちも静まるだろうと想ったことでした。
 佐竹本の三十六歌仙切は、短い期間の特別展示で見ることはできませんでしたが、紫式部日記絵詞を見ることができました。如春庵が発見者である鎌倉時代のやまと絵は、源氏物語千年紀の今年を祝うかのように晴れやかに飾られていました。
 そのほか印象に残ったものに、道入作の黒樂茶碗「無我」、和歌短冊2枚。宗達が芍薬と木蓮を描いた下絵に光悦が和歌をしたためたものです。桃山時代の連歌の懐紙。藍色と紫の繊維を天地の雲形に漉き込んだ料紙が目を引きました。下の手あぶりは、七宝の釘隠しを火屋として銅で細工したもので、見立ての発想と形のよさはさすがのものを見る目でした。
 土曜日で孫娘も一緒に、娘と4人で会場を回れたのは幸せな時間でした。
 2泊3日の短い日程を充足して、豊かな気分で帰宅することができました。


流水蛇籠文七宝釘隠 手焙

琳派への三つの旅 三

2008年11月23日 | 絵とやきもの
 光琳から更に百年の後、江戸の地で琳派の華が開きました。譜代大名家、姫路の酒井家の次男として江戸屋敷に生まれた抱一は、もともと好きだった絵や歌の道にのめりこんで風流三昧の世界に生きます。琳派への旅の最後は江戸琳派の酒井抱一です。

 光琳が江戸にあるとき、酒井家に召抱えられていた時期があり、身近に光琳の絵に接していたことから、抱一は光琳を慕い、光琳百回忌を開催し、光琳百図を出版します。このあたりから、画業に専念するようになったようですが、若い日の自由奔放な生き方といい、40歳を過ぎての画業といい、その絵同様、光琳に類似しています。抱一の生涯の作品で傑出しているのは、やはり「夏秋草図屏風」とあらためて確認しました。
 知られるように、これは、光琳の風神雷神図の裏に描かれていたものです。今は保存のため、別個に屏風に仕立てられています。憧れの光琳の屏風の裏に描くことになったときの抱一の喜びと感動が伝わる絵になっています。
 風神の裏には風に靡き吹きちぎられそうな葛の葉。飛ばされた色づいた蔦の葉、雷神の裏には、にわかの雨に打たれる夏草と、庭只海の流れを配し、表屏風の天空と、裏屏風の大地、神々と自然といったバランスを瀟洒な筆遣いですっきりと描いています。
 表の華やかな金地に対する渋く抑えた銀地として考え抜かれているようです。裏屏風として立てられる時、山折で逆になったときに、流れは前に飛び出すことなく退いて奥へ流れます。
現在のように剥がされて、平面で鑑賞されるのを抱一は悲しんでいるかもしれません。

 江戸末期に活躍した琳派の代表として今回は抱一と、その内弟子で傑出していた後継者、鈴木其一が取り上げられていました。きらびやかな描き表装や、フィンバーク・コレクションの「群鶴図屏風」、「雨中桜花楓葉図」など達者な作品が多数でていました。今年六月細身美術館で見たときと違って、展示の仕方でしょうか「水辺家鴨図屏風」が小さく感じられました。

 今回の展覧会で残念だったのは、”継承と変奏”と副題にありながら、伊藤若冲や近代の神坂雪佳などに全く触れられていなかったことでした。
 江戸時代末期で限るとしても、雪佳はともかく、若冲は寛政年間までの人ですし、異端で、琳派正統派ではないにしても“変奏”の優れた才能のれっきとした琳派であることは誰しも認めるところです。「大」琳派展ならば、代表作くらいの紹介があってもよかったのではないでしょうか。






鈴木其一 群鶴図屏風 米国ファインバーグ・コレクション



琳派への三つの旅 二

2008年11月22日 | 絵とやきもの
 今回は“光琳生誕350周年記念”と銘打ってあるだけに、図録の表紙も光琳の雷神がカラー刷りされています。展覧会の構成も光琳を中心に組まれているようでした。宗達、光悦の時代から百年のあとに生まれた天才です。
 なんといっても琳派の名の由来となった中心人物です。とにかく多彩な創作活動です。

 上層町衆の家に生まれ、父に分与された莫大な財産は、夢多い前半生に気ままに使い果たし、40歳を過ぎて画業一筋に精進した人生でした。
 若い日の風雅な暮しの間に身につけた教養と美意識が無形の財産となって、その作品に反映しています。それは当時としては奇抜で人々の意表をつくデザインとなって、蒔絵をはじめとする工芸品から、実弟乾山の陶器への絵付け、また小袖のデザインに至るまで、人の眼を引く光琳ブランドとして展開しています。どれも華やかで、思いっきりのよいすっきりとした印象です。

 宗達への強い憧れを抱いて模索を続けたようです。風神雷神は勿論、メトロポリタン美術館の「波涛図屏風」も宗達の「雲竜図」に描かれた波を取り出したものです。(この絵は金泥の背景でありながら、思いがけず暗い印象を与えました。13日掲載)

 光琳模様と呼ばれるデザインは、現代に通用する単純化された様式美です。その装飾性は、勿論、突然光琳によって生み出されたものではなく、長い年月を掛け、色々な路を辿って渡来した、遠くは天平から平安朝、室町、桃山を経て齎されたものではありましょうが、琳派の水紋、波濤に見られる様式美を見ていると、それらの多様なものを、日本的なものに消化、発酵させたのが光琳だったと思えてきます。光琳の生活した元禄の世が持っていた特有の時代色も背景にあることでしょう。禁裏御用達の呉服商といった生い立ちが培った美意識もあるでしょう。それらが渾然としてこの明快大胆なきらびやかな美を生み出したものです。

 乾山にも触れておかねばなりません。兄と違って実直な乾山は、陶器作りに精進し、仁清の手ほどきで、色絵も手がけています。今回、展示されていた色絵竜田川文向付は図録で想像していたよりも大きく感じました。絵も大胆で動きがありました。
 八寸の角皿に光琳が絵付けをし、乾山が画賛を記した兄弟合作の乾山焼は堂上はじめ町衆にも人気を呼んだものです。乾山の作品は展示数は少なかったものの銹絵の皿は期待通りのものでした。

 ミュージアムショップで琳派関係の図書を選んでいた私の横で、海外からの見学者が、今回は出品されていなかったのですが、光琳晩年の代表作「紅白梅図屏風」と、「燕子花屏風」のミニチュア屏風を、折ったり、縮めたりして品定めしているのが、目に入りました。私は思わず声を挙げそうになりました。折って立てられた屏風は幅が狭まることで絵に緊張感が生じ、群立するカキツバタが立体感を持って奥行きのあるリズムを生んでいたのです。
 あの紅白梅図の中央の流れも、奧に拡がって流れるのです。気づいてみれば屏風は室内に立てられる時を計算して絵が描かれていたのです。当たり前のことを、展覧会会場で、平面として展示されるのを見慣れて、この当たり前を忘れていました。
 風神雷神図もこうして眺めてみるとまた違った見え方がします。私には一つの衝撃的な発見でした。






掛軸は伊勢物語八橋図。ら衣つつなれにしましあればるばるきぬるびをしぞおもふ の場面を忠実に描いたもの

八橋蒔絵螺鈿硯箱   絵変り向付け 尾形乾山作 色絵竜田川向付

琳派への三つの旅 一

2008年11月21日 | 絵とやきもの
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 今回の展覧会の目玉はなんといっても「風神雷神図」でしょう。京都建仁寺から宗達が、東京国立博の光琳、出光美術館から抱一、富士美術館の其一と四人の琳派のいわば代表選手が、一堂に会しての揃い踏みで展観できました。6期に分割された後半に宗達が出るので、10月末を待っていた人も多かったと思われます。

 会場も風神雷神図の前は人だかりができていて、他の宗達を回って引き返しました。やはりご本家の宗達の力の前には他の雷神たちはすくんで見えました。勿論すぐれた手法と構成でそれぞれに特徴が出ているのですが、端的にいえば、小さく見えるのです。宗達の伸びやかに屈託のない明るさは、模写には失われてこじんまりと纏っていました。
 あえて雷神の太鼓を外にはみ出させて空間を可能な限り大きく取った宗達に対して、光琳はバランスよく全部入れて描いています。
 全く同じサイズの大きさで描かれているというのが信じられません。宙を見る宗達のまん丸の二神の目は、笑っているようにさえ見えます。光琳の向き合う視線は新日曜美術館でも触れていました。向き合うことで空間は収斂されています。さらに抱一の目は人間の目を感じさせました。構図も重心を下げて纏めています。
 ここには仏教美術の約束事などどこ吹く風、神話からも解放されています。主役のほかは何もなくただ金箔の空間が拡がっています。その拡がりが宗達が大きいのです。このような絵を受け入れた時代のゆとりを思いました。
 其一の二神は屏風ではなく襖に描かれていて、表と裏に雷神と風神は分けて別に描かれています。中央よりの1枚に主役を描いた後の3枚の襖には墨で雲を表現していて三者のものとは構図も異なり、丹念な暈しが洗練されています。

 全作品を見終わっても、宗達のインパクトは抜群です。養源院の杉板戸に描かれた白象や、唐獅子は一度目にしたらその大きさと共に忘れられない迫力です。
 ことに和歌巻の鶴下絵に光悦が三十六歌仙和歌をしたためた巻子の最終部分を、長い巻を拡げて、ふんだんに見ることができたのは嬉しいことでした。初めて見る波の表現も新鮮で空間の広がりを感じます。
 鶴下絵や蔦下絵の和歌巻はは思っていた以上に迫力のあるしかも伸び伸びとした展開でした。光悦のはったりのない上品な書風も屈託がなくよくマッチしています。同様のコラボでの豪華な謡本が多数展示されていましたが、このような美本で稽古ができたら、もう少しは私の謡も上達していたかもしれません。
 本阿弥光悦の「雨雲」「峯雲」の樂茶碗、群鹿蒔絵笛筒にも再会できました。やはり、溜息が出るほど美しい緊張感があります。このような道具が日常に存在した時代を遠いものに思ったことです。残念ながら今回の展示には私の好きな「蔦の細道屏風」は出ていませんでした。

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俵屋宗達 風神雷神図 拡大は雷神部分

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尾形光琳 風神雷神図 拡大は雷神部分

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酒井抱一 風神雷神図 拡大は雷神部分

鶴下絵三十六歌仙和歌巻も拡大写真があります。雑事に追われていますが空白を置き過ぎるので、気が抜けてしまわないうちにと取りあえずUPしました。




おのぼりさん その二

2008年11月18日 | 旅の足あと
<新宿御苑の秋色>
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 笑われながら,35階からの眺めをカメラに収めました。新宿御苑が目下に広がっています。紅葉がはじまって樹木の色がさまざまの彩を見せています。高島屋の下を僅かの間隔でつぎつぎに入ってくる列車を上から眺めていて、よくこれで事故が起らないものと、おのぼりさんは感心していました。
 「大琳派展」はどう切り取ったものか、まだ考えが纏りませんので、つなぎに旅の記念のスナップです。

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<東京国立博物館正面>


 東京博物館の庭園は、年2回、春と秋に一般公開されます。公開の時期に行き逢いました。展覧会会場にはなるべく遅い時間に入場しようと思って、先にお庭を拝見することにしました。ただし、肝心の展覧会への余力を考えて、余り奧のほうのお茶室までは回らないことにしました。入り口近くの春草庵と、転合庵を見て、六窓庵や、十輪院校倉跡は、遠望して引き返しました。他にも応挙館、九条館といったお茶室もあるようです。
 何度か訪れている博物館ですが、本館の北に隣接してこのように広いお庭があるのを知りませんでした。博物館の敷地はもと寛永寺の境内ですから、このお庭も寛永寺の庭だったのでしょう。池の枯蓮の周りには水鳥達が遊んでいました。

おのぼりさん

2008年11月13日 | 旅の足あと
 羽田で京急に乗り継いで品川まで出るという私と、モノレールがいいという連れ合いの間で早速食い違いが出て、ここは私が譲り、無事新宿駅南口まで辿りつきました。
 2泊の宿はただ利便性を考慮して、駅に最も近い宿というので新宿駅サザンテラス口から徒歩1分のセンチュリーサザンタワーを予約していました。
 移動する距離と時間の釣り合いは、この10年ほどで極端に短くなっています。北九州空港を発って、1時間15分で羽田空港です。快晴の秋空に五合目近くまで冠雪の富士山が裾を曳いていました。

 4年ぶりの東京は、また変貌していて、この不気味な大都市はどこを目指してゆくのかと思います。35階の窓からは東京タワーのオレンジ色の明かりがビルの間に見えています。足元の新宿の夜は、きらびやな灯りが眠らないで瞬いています。
 旅情をいとおしむ、しっとりとした時間はここには存在しません。自分の足で峠を越えて他国に入ったときに、いにしえ人が抱いた旅の情感などとは全く無縁の空間が、世界の大都市の何処とも格別に異なることのない風景で拡がっています。
 落ち着けないのがせめてもの旅情と言うべきでしょうか

 サザンテラスには、クリスマス・イルミネーションがすでに点灯されて、静閑な暮しとの甚だしい格差で、人の数と非日常の幻想世界に戸惑います。

 明日は下の尾形光琳筆 波図屏風 (メトロポリタン美術館)にも逢えます。



琳派への旅

2008年11月12日 | 旅の足あと
「いづくにもあれ、しばし旅だちたるこそ、めざむるここちすれ」は兼好法師の言葉ですが、「めざむる心地」を期待して上京してきます。4年ぶりの東京です。

 関東地区にお住いの方々のブログで、今年は光琳生誕350年にあたり、東京国立博物館で「大琳派展」が開催されているのを知っていました。
 雪月花さんはまだ暑いうちから案内を小魚庵便りで掲載されていましたし、展覧会を見ての卓越した見解もありました。別所沼だよりの蛙さんの記事は多くの画像を伴って展覧会の感動を伝えておられます。
 「琳派、琳派」と騒々しい私にいろんな方からご親切なお誘いがあっていましたが、先日、思い入れの激しい私を見かねてでしょう、紫草さんから、思いもかけず分厚い図録が送られてきました。
 繰り返し眺めるうち、これほどの大集合は滅多に見られるものではないと、重い腰を上げる踏ん切りがつきました。皆さんのブログをはじめ、予習もできて、密度の濃い見学が期待できそうです。
 あまりに盛り沢山ですから、一日だけの日程ではどれだけを観ることができますか心もとないのですが、的を絞って大和文華館や、細見美術館、根津美術館で見たもののうち、再確認したいものや、兼ねて一度見てみたいと願っていたものに的を絞って、見るべきものを見るようにしようと、心弾ませています。
 出光美術館の「名品展」で、風神雷神の対比を見たとき以来の感動が、今回は宗達、光琳、抱一、其一と、個性的に際立つ四人の揃い踏みの展示で鮮やかに蘇ることと期待しています。 
 思い返せば昭和47年今から30数年前に「東京国立博物館創立100周年記念特別展 琳派」を東博で見て以来です。同じ作品も大分展示されていますが、長い年月を隔てて、自分の目にどう映るのか今からわくわくと予想しています。

 足弱の二人旅では、その日の調子次第、予定も組むことはできません。2泊3日の慌しい一っ飛の旅になりますが、明日から土曜日15日までは「おのぼりさん」です。


俵屋宗達下絵・本阿弥光悦筆 鹿下絵新古今集和歌巻断簡 秋の歌 山種美術館

秋の想い

2008年11月09日 | 絵とやきもの
 描き溜めた小さな「はがき絵」を整理した中から、自分なりにテーマを決めて模索したものを記録しておくことにしたものです。

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 秋の季節は「井筒」を好んで謡います。その舞台のイメージで、すすきを何枚も描きますが「こころあまりて」で、納得できないでいます。
「昔男の 名ばかりは。在原寺の跡古りて。松も老いたる塚の草。これこそそれよ亡き跡の。一叢すすきの穂に出づるはいつの名残なるらん。草茫々として露深々と古塚の。真なるかな古への。跡なつかしき気色かな。」手桶を提げ、数珠を手に登場する美しい女を思い浮かべながら、やがて静かな錯乱の中に、われと人との混濁を舞う姿を髣髴しながら筆を運ぶのは結果は別において、私には至福の雅の時間です。
 李朝の壺?は、眺めても飽きることがありません。次第に異形のものになり、気品がなくなってしまいましたが、何枚も描いています。ひとつには、技法の修得のためでもあります。
 最後の1枚は口直しの遊びです。(すすきと壺は各二枚入っています)

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