「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

琳派への三つの旅 三

2008年11月23日 | 絵とやきもの
 光琳から更に百年の後、江戸の地で琳派の華が開きました。譜代大名家、姫路の酒井家の次男として江戸屋敷に生まれた抱一は、もともと好きだった絵や歌の道にのめりこんで風流三昧の世界に生きます。琳派への旅の最後は江戸琳派の酒井抱一です。

 光琳が江戸にあるとき、酒井家に召抱えられていた時期があり、身近に光琳の絵に接していたことから、抱一は光琳を慕い、光琳百回忌を開催し、光琳百図を出版します。このあたりから、画業に専念するようになったようですが、若い日の自由奔放な生き方といい、40歳を過ぎての画業といい、その絵同様、光琳に類似しています。抱一の生涯の作品で傑出しているのは、やはり「夏秋草図屏風」とあらためて確認しました。
 知られるように、これは、光琳の風神雷神図の裏に描かれていたものです。今は保存のため、別個に屏風に仕立てられています。憧れの光琳の屏風の裏に描くことになったときの抱一の喜びと感動が伝わる絵になっています。
 風神の裏には風に靡き吹きちぎられそうな葛の葉。飛ばされた色づいた蔦の葉、雷神の裏には、にわかの雨に打たれる夏草と、庭只海の流れを配し、表屏風の天空と、裏屏風の大地、神々と自然といったバランスを瀟洒な筆遣いですっきりと描いています。
 表の華やかな金地に対する渋く抑えた銀地として考え抜かれているようです。裏屏風として立てられる時、山折で逆になったときに、流れは前に飛び出すことなく退いて奥へ流れます。
現在のように剥がされて、平面で鑑賞されるのを抱一は悲しんでいるかもしれません。

 江戸末期に活躍した琳派の代表として今回は抱一と、その内弟子で傑出していた後継者、鈴木其一が取り上げられていました。きらびやかな描き表装や、フィンバーク・コレクションの「群鶴図屏風」、「雨中桜花楓葉図」など達者な作品が多数でていました。今年六月細身美術館で見たときと違って、展示の仕方でしょうか「水辺家鴨図屏風」が小さく感じられました。

 今回の展覧会で残念だったのは、”継承と変奏”と副題にありながら、伊藤若冲や近代の神坂雪佳などに全く触れられていなかったことでした。
 江戸時代末期で限るとしても、雪佳はともかく、若冲は寛政年間までの人ですし、異端で、琳派正統派ではないにしても“変奏”の優れた才能のれっきとした琳派であることは誰しも認めるところです。「大」琳派展ならば、代表作くらいの紹介があってもよかったのではないでしょうか。






鈴木其一 群鶴図屏風 米国ファインバーグ・コレクション