「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

がらが悪い

2006年08月29日 | ああ!日本語
 “がら”は、柄としか考えられません。「柄が悪い」といえば、女性ならまず着るものをはじめとする持ち物の模様を思い浮かべるかもしれませんが、勿論、これは、「人柄」に関していうトゲのある言葉の場合です。

 初対面の人でも、その人の体格や、物言い、しぐさ、身にまとっているものなどが醸しだす全体像から、「人柄」を察します。
 柄のつく単語を思いつくままに並べてみると、この人柄の他にも、家柄、身柄、事柄、役柄、作柄、お日柄、続き柄、間柄、時節柄などと、いくつも出てきます。
 これらもその物事の全体像、全体的な性格を表すようです。

 この中で、「柄」が独立して、悪いほうだけに限定された「柄が悪い」は、肩で風切って歩く、目付きの鋭い、そばに来てほしくない怖い人を指します。
 それほど極端でなくても、日常生活の中で下品な行動を取る人を指していう事もあります。

 がらが悪いのは、人だけではなく、国家においても当然存在するわけで、昨年末以来、持て囃された藤原正彦先生の“国家の品格”は、欧米流の野卑な「論理と合理」に変わって、「情緒と形」に依る「孤高の日本」を取り戻せという、まさに「国柄」を形成する行動基準をわかりやすく述べたものでした。
 数学者の提唱する、美的感覚、美しい情緒や形の尊重が、国家の品格、国柄を高めるという主張は、嬉しいもので、ベストセラーを続けたのも頷けます。



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もうひとつの甲子園

2006年08月27日 | 歌びとたち
 甲子園での熱球の応酬が展開し、優勝旗が2本あればよいのにと思わせる優勝戦が、再試合となって熱戦の末、1点差で早稲田実業の優勝で決着がつきました。

 ところで、この時季、もう一つの甲子園があるのをご存知の方は少ないのではないでしょうか。私は昨年、初めてこの大会を知りました。

 今年で9回目を迎えた“俳句甲子園”は、正岡子規ゆかりの四国松山で8月19.20日に開催されました。
 松山青年会議所の主催ですが、文部省「学びんピック」認定の事業です。

 地方7ブロックの大会を勝ち抜いた10校と、投句審査によって選ばれた26チームの計36チーム、約2000人が参加しての戦いで、今年の頂点に立ったのは、熊本信愛女学院高校でした。準優勝となったのは愛媛県立松山高校です。
 昨年は、東京開成対下館第一の対決で、開成が優勝しました。

 試合は、柔剣道のそれのように、紅白に別れ先鋒から大将まで5人が一人づつ対決してゆき、審査員の上げる旗で勝負が決まってゆきます。詳細なルールは俳句甲子園ホームページに出ています。

 次代を担う若者たちの新鮮な発想と創造性、しなやかで軽やかな感受性は、この小さな詩の未知の魅力を我々の前に開いてくれることでしょう。

 上記の開催趣旨説明の最後に置かれた言葉に言い尽くされており、強い共感を覚えます。

 今年の個人戦最優秀賞 宛先はゑのころぐさが知ってをる 
            愛媛県立宇和島東高等学校 本多秀光
 優秀賞の中から
風鈴の残されてをる廃牛舎    愛媛県立宇和島東高等学校 宇都宮 渉
月光を浴びて向日葵充電中    新潟県立巻高等学校 永井  円

 昨年、鮮烈な印象を持った句を挙げます。
題「本」
 寒月や標本の鮫牙を剥く(開成)
 遠雷や絵本に溶ける夢を見た(下館第一)

 昨年の1260句の最優秀句
土星より薄に届く着信音   京都紫野・3年堀部 葵

 これまでの大会での秀句
             かなかなや平安京が足の下
             夕立の一粒源氏物語
             のどぼとけ蛇のごとくに水を飲む
             裁判所金魚一匹しかをらず

 若い感性が生んだ一瞬の詩。そのきらめきを、いとしく、尊いものに思います。

地蔵会(じぞうえ)

2006年08月25日 | 塵界茫々
 8月24日は、毎年地蔵会が催されます。京都の地蔵盆はよく知られた子供中心の祭りですが、わが檀那寺の地蔵祭りは、かつては、“子供祭り”と呼ばれていましたが、今は大人の、半ば芸能祭りの様相を呈して地蔵会とか、地蔵祭りと名称も変わっています。

 夕刻、地蔵広場で、大きな地蔵立像や、きれいに洗い上げられて、新しい涎掛けをつけた小さな古いお地蔵さんの祀られている広場で、住職の読経からはじまり、7時、千灯明の蝋燭に灯がともされます。この灯明には、地蔵会に相応しく、子供や自分のための願い事を記し、思い思いの絵が描かれた素朴な角灯篭と、新盆の仏に供えられた戒名だけが入った白無地の長い提げ提灯とがあります。

 そのあと、地藏さんへの奉納の、ボランティアのセミプロや、プロの人たちの芸能が披露されます。10時の全員での盆踊りまで、夏の最後の、なごりのイベントが、次々に蝋燭の灯りの揺らめきの中で続きます。



画像は順に
     主役の地蔵さん・準備完了・奉納の角灯篭・南京玉すだれ・祈りの灯

遊び心のはがき絵

2006年08月23日 | 遊びと楽しみ
 まだまだ暑い日が続いています。グループ展を控えていますが、一向に気分が乗りません。この一年、いまさらの壁を脱けることができなくて、介護にことよせて逃げてきました。ここに到っても、なに、描き溜めたのがあるからその中から提出すればいいか、所詮遊びの世界なのだからと、横着な構えです。

 一人5枚が責任枚数です。持ち寄った中から、なるべくモチーフが重ならないようにと突合せをして、各自の特徴の出ているものを選択しました。
 次回までに仕上げる約束ですが、最後になった私の作品は、方向が定まらず、おまけに、近作でもないといったみっともない有様です。どうにか皆さんで各自5枚を選びました。

 絵にまとまらない中での、いたずらがきから拾って、暑さしのぎに、クスッの笑いをお届けします。



 仲間の批評、「もっと、物静かにひっそりでないと効果がうすい。」と没になりました。
 確かに、やんわり静かには、凄みがあって効き目があることでしょう。いつも勝てないわけがやっと解りました。

 そこでもう一枚は、蛙の声に託して。上戸の下戸の声としました。





ぽち袋

2006年08月21日 | 遊びと楽しみ
 帰省した娘が、東京からの道中の退屈しのぎにと持参していた、マール社から出た「新雛形 ぽち袋」の小型の美しい本をみて、パソコンを習い始めた頃に作ったお年玉袋や、季節のぽち袋を、また作ってみたくなりました。

 この本のぽち袋は雛形になっていて、切り抜いて使えるようですが、瀟洒なデザインで、簡潔で要を得た図柄の解説も楽しいものです。多分切り抜く人はいないと思います。
 ところで、悪い癖で、このぽち袋の「ぽち」が気になって仕方がなく、いずれ花街出身の言葉とは思うのですが、いろいろ検索してみました。
 「ぽち」は、「これっぽっち」という言葉から来た、ほんの少しという意味だと記されているのがほとんどです。

 名詞としての“ぽち”は、小さな点、ぽつ。ちょぼ。接尾語としては、「ぽっち」に同じとして、代名詞や小さな数量を表す名詞について、それだけしかない意を表す。ばかり。だけ。「これっぽち」など。というのが日本国語大辞典の解説です。この名詞のなかに、芸妓や茶屋女などに与える祝儀。はな。チップ。ともあります。
 旦那衆がひいきの芸妓に渡すこころづけとなれば、粋の見せ所、デザインにも工夫とアイデアが凝らされ、洗練されていったものと思われます。

 かくして、ぽち袋は、家紋を覗かせたもの、歌舞伎や舞踊の場面、能の装束、古典的な文様、浮世絵、絵解きと趣向が凝らされ、バリエーションが次々に拡がっていったものでしょう。

 お金をむき出しのまま渡すことにためらいを感じ、中身のお金の額よりも、そこに籠める思い入れの「ちょっと」を伝えようとした日本人の感性が生み出したのがこの「ぽち袋」でしょう。
 ちなみに「祝儀袋」と「ぽち袋」の大きさが違うのは、入れるお札を折るか、折らないままで入れるかによるようです。


能楽観世の家元の家紋を文様化した「観世水」とよばれるものを用いたぽち袋。 
  「新雛形 ぽち袋」より。

送り火を焚く

2006年08月16日 | 塵界茫々
 連日片付けに追われて、疲れてはいましたが、張り替えてすがすがしくなった戸襖や障子、そして20年ぶりに掛けた座敷簾の古典的なロールスクリーンの風景は、まあたらしの建具とすすけた色の取り合わせながら、なにかしら、いつもとは異なる空間の涼を眼で堪能したことです。


 日ごろの静かな?暮らしと打って変わり、1日40人を超える来訪の方との応対は、見ず知らずの人ではないながらも、暑い最中、さすがに疲労がとれず、3日目はいささか辛い応対となりました。
 故人の人徳が、多くの方のお参りとなり、孫、曾孫と賑やかな集まりでした。

 15日夜、家紋の入った門灯を畳んで明りを落し、門火(かどび)を焚き、お寺へ卒塔婆を納めてお盆の行事の終了です。今は盆踊りも初盆の各家々を回ることはなく、公園に作られた櫓を囲んで行われ、川にお供えの品々を載せた精霊舟を流すこともできなくなり、万事が簡略になってゆきます。
 今夜は、京都では盛大に五山の送り火が焚かれ、先祖の霊が送られます。



画家の見た夏の風景

2006年08月10日 | 絵とやきもの
 林の中、湖のそば、あるいは海辺で、ふと、自然と共に息づいていると感じるとき、私の心に喜びが静かに湧きあがってくる。そのとき私の心は、鏡のように澄んでる.

 東山魁夷画文集の冒頭には、このように記されています。
  四季めぐりあい   全4冊(講談社)「夏」からです。
  20枚の中から、迷いながらの選択で2枚の絵をあげます。



静けき朝





池澄む


天竜寺の庭の池には、二つの性格が感じられる。
手前の水際には、大和絵の優しさ。
向うの岸辺には漢絵の厳しさ。
向うの岸が翳る時、その対照はいっそう深まる。




おしらせ: 新盆を迎えるため、慌しい時間をすごしています。お盆があけるまで、1週間ほど、ブログは記載を控えさせていただきます。
 暦の上では「秋」となりましたが、まだまだ暑い日が続くようです。みなさまには、お体に気をつけてお過ごしくださいませ。
 台風の予報も心配です。障りがないよう念願しています。

打ち水

2006年08月06日 | 塵界茫々

 このところ、打ち水の効用が取り沙汰されています。こう連日30度を超す日が続くと、たとえ2度たりとも気温が下がるのならばという気になります。

 03年の「世界水フォーラム」以来、行政のお声がかりで、各地で夏の話題になっています。
 北九州でも昨年、「打ち水大作戦2005IN北九州」と銘打って、浴衣姿の女性議員さんが打ち水している映像がながれていました。

 昔は、普通に打ち水をしていたように思います。雨水や、風呂の残り水を柄杓で撒けば、日向くさいにおいを載せた土埃と、熱気が一瞬立ちのぼり、ついで爽やかな気配があたりに漂います。夕立のあとの爽やかさのミニ版です。気温の低下は、みずのしたたりや、息を吹き返す緑の、視覚からの「涼」も多分に働いています。これに風鈴の音色が加わって涼しさの完成でした。

 茶道では、夏に限らず、打ち水は客をもてなす大切な作法になっていると聞いています。
 茶席の床の花には、露を打ちますし、まずは、客を迎える露地には30分前に丁寧に打ち水をするようです。三露の扱いで、途中と、送り出す前と、3回の打ち水です。しっとりと湿りを帯びた緑や、敷石のすがすがしさを心遣いするのが茶会を主催する側の心得のようです。
 水がかもすやわらいだ空間と、「清め」が、和やかな席を演出するもののようです。

 こうした特別の世界でなくても、打ち水の生活の知恵は先祖がすでに行ってきていたもので、時代劇でも、店の前の打ち水からドラマが展開するというのもしばしば見かけます。
「打ち水」を考える事は、受け継いできた自分達の生活文化を知るきっかけになるかもしれません。


夏の風物詩

2006年08月04日 | 季節のうつろい


 京都の夏の暑さは格別だったと記憶します。その暑い京の夏の風物詩に、祇園の「八朔」がありました。
 
 八朔というのは、旧暦の八月の朔日つまり、1日をいうのです。
先日の「銀剣草」の映像を送ってくれたOさんが、1日に早速MAILで届けてくださったのですが、対象が同じ花でも、草花ではないだけに撮影者の了解を得てからと、延び延びになっていました。

 「おめでとぉ~さんどす。よろしゅう~おたのもうしますぅ~」の挨拶の声が聞こえそうです。祇園花街の芸妓、舞妓さんたちが夏の紋服の正装で、日ごろお世話になっている芸事の「おっしょさん」や、出入りの茶屋へ揃って挨拶回りをする行事が「八朔」です。場所は祇園と一力茶屋の前と記してありました。

 普通、襟足は2本だけれど、正装のときは襟足は3本というのを知りました。
 土用の、暑さの峠で、見ているだけでも汗が出そうですが、汗をかかないのも修行のうちとか。
 そういえば、昔、夏のおさらい会でも、緊張からか、あまり汗の記憶はありませんから、やはり慣れの問題でしょう。今では、醜い腕をむき出しで、体を締め付けるところのない風通しのいい服でも「暑い、暑い」の連発です。

 外国からの観光客の感じ入った顔つきの写真もありましたが、海外からクレームがつくと困りますので割愛しました。

 ところで、私の住む地方でも、「八朔」の節句を祝いますが、この行事は、子どもの成長を願う祭りで、この一年に生れた子の祝いです。
男子は、八朔のわら馬を、女子はだご雛をたくさん作って縁先に飾り、訪れる子どもたちに渡します。この祝い行事は、今は9月の1日のひと月遅れで行われています。(七夕も8月7日の家が多いようです)

銀剣草

2006年08月02日 | 季節のうつろい

 関西在住の古い友人のOさんが写真を趣味にしていて、折にふれて珍しい草花の映像をMAILで送ってくれます。

 水生植物、山野草、睡蓮と、私のブログに関連したものを季節ごとに選択して、多彩です。今回は見たことのない草花でした。

 「花博記念公園の「咲くや木の花館」で、ハワイはマウイ島特産の「銀剣草」が播種から10年、初めて花をつけたと聞いて出かけました。」といって、写真に収めたものを送ってくれました。

 シルバーソートの名前で、マウイ島で見られる高山植物ということは知っていましたが、目にするのは初めてです。

 蝉は日本では大体7年の土中の暮しですが、この草花は、南方原産でいながら、随分ゆっくりと10年から20年かけて成長するようです。一生に一度だけの花をつけた後は枯死するのだとか。ハワイでは1メートルほどの背丈になるそうですが、今では簡単には見られない絶滅危惧種だそうです。

 名前はその姿そのものからでしょう。10年の歳月の重みを纏って、それでいて、映像で見る限りではどこか儚げなのは白髪を思わせる色からでしょうか。
 火消しの振る「纏草」とでも名付けると、江戸前のいなせを感じるかもしれません。

 高山砂漠に生きる孤高の老人を、人間の知恵と心くばりで、いつの世までも、絶滅させることのないよう願うのみです。

 

3株の銀剣草




上部の剣につく、向日葵の仲間のような花