描き溜めた小さな「はがき絵」を整理した中から、自分なりにテーマを決めて模索したものを記録しておくことにしたものです。
<![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/43/a9f36f46cd0bf53d1342cdb4969ecc76.jpg)
秋の季節は「井筒」を好んで謡います。その舞台のイメージで、すすきを何枚も描きますが「こころあまりて」で、納得できないでいます。
「昔男の 名ばかりは。在原寺の跡古りて。松も老いたる塚の草。これこそそれよ亡き跡の。一叢すすきの穂に出づるはいつの名残なるらん。草茫々として露深々と古塚の。真なるかな古への。跡なつかしき気色かな。」手桶を提げ、数珠を手に登場する美しい女を思い浮かべながら、やがて静かな錯乱の中に、われと人との混濁を舞う姿を髣髴しながら筆を運ぶのは結果は別において、私には至福の雅の時間です。
李朝の壺?は、眺めても飽きることがありません。次第に異形のものになり、気品がなくなってしまいましたが、何枚も描いています。ひとつには、技法の修得のためでもあります。
最後の1枚は口直しの遊びです。(すすきと壺は各二枚入っています)
<![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/2b/28c376a9818535df1bf16683156b85fc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/da/f51abc780cf77eecf46b10c583566731.jpg)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2f/43/a9f36f46cd0bf53d1342cdb4969ecc76.jpg)
秋の季節は「井筒」を好んで謡います。その舞台のイメージで、すすきを何枚も描きますが「こころあまりて」で、納得できないでいます。
「昔男の 名ばかりは。在原寺の跡古りて。松も老いたる塚の草。これこそそれよ亡き跡の。一叢すすきの穂に出づるはいつの名残なるらん。草茫々として露深々と古塚の。真なるかな古への。跡なつかしき気色かな。」手桶を提げ、数珠を手に登場する美しい女を思い浮かべながら、やがて静かな錯乱の中に、われと人との混濁を舞う姿を髣髴しながら筆を運ぶのは結果は別において、私には至福の雅の時間です。
李朝の壺?は、眺めても飽きることがありません。次第に異形のものになり、気品がなくなってしまいましたが、何枚も描いています。ひとつには、技法の修得のためでもあります。
最後の1枚は口直しの遊びです。(すすきと壺は各二枚入っています)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/2b/28c376a9818535df1bf16683156b85fc.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/32/da/f51abc780cf77eecf46b10c583566731.jpg)
謡、雅、幽玄の世界に誘われて。
「筒井筒井筒にかけしまろが丈 生ひにけらしな 妹見ざる間に」
「振分けの髪を短み青草を髪にたくらむ妹をしぞ思ふ」伊勢物語や万葉歌に拡がります。
薄い煙のようにたゆたふ薄、夜霧がつつむ気色。「秋の想い」に 変わりゆく刹那が捉えられていました。おみごとです。
素朴な模様の李朝も、boa!さんの手は楽しげ。
お心が映っています。自在に遊んで無心になれる。
ステキな時間!
新境地を展かれたboa!さん ここはいったい何処でしょう、異邦人のつもりになって、晩秋の彩りを眺めています。モダンですね。
たくさん学べて嬉しいです。蒟蒻問答ですが、懲りませず、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
生いにけらしな。老いにけるぞや。さながら見えし・昔男の。かむり直衣は女とも見えず。男なりけり。業平の面影。見れば懐かしや。われながら懐しや。亡婦魄霊の姿は・しぼめる花の。色のうて匂い残りて在原の寺の鐘もほのぼのと。明くれば古寺の松風や芭蕉葉の夢も破れて覚めにけり夢は破れ覚めにけり。
数年前に不退寺(在原寺)を訪れた折り井筒の古蹟が在る旨を知らされ見に行き想像していた姿との違いに驚き現在は小さな公園に成っておりました。夢が覚めたのでしょうか?
画像は4枚ずつ用意したのですが、煩わしすぎると半分にしました。
イメージの街角は、二年前、毎日の病院通いの抜け道に続いていた欅と銀杏の並木の記憶です。最初はもっと”きれい”だったのですが、きれいだけど、弱いといわれて、あとから墨を入れて汚して、強くしたものです。
壺は墨で外から攻めていくうちに形がどんどん変わってゆきます。おもしろいのですが、意図したものとは別のものになるのを、どう活かすかの勉強でした。
「髪にたくらむ」愛らしく遠い懐かしい風景です。今の妹は何をたくらむのでしょう。たくらみは何時も切なく悲しいものですね。
宝生のキリはどう舞われるのでしょう。恵まれた環境でお能のご鑑賞の機会も多いのを羨ましく拝見しています。
私もいろいろな方の「井筒」の能を拝見しましたが、先代の美しさとはまた違って、今の梅若六郎師のキリは、翔の囃子で驚いた記憶があります。
面も「逆髪」だったと記憶します。雅のなかの狂は、華やかに悲しい印象を刻みました。
「松風」同様に、恋人の衣装を身にまとって、狂わんばかりに恋慕するさまは、やがて業平そのもの。井筒の後半はもともと狂乱の世界だったのだと思い当たりました。 この幽玄のきわみの曲目の序破急は、本来こうあったのではないか、今の極端にゆったりと舞われる序の舞の方が解釈が違うとさえ思って拝見しました。
ともあれ「井筒」は最高の曲目であることに変りはありませんね。
以前の(20年位前です)不退寺はもっと荒れていました。昔とは面変りして立派になっていますね。
佐保路も次第に変貌してゆくようです。今のうちに見ておきたいものも多すぎる奈良です。