「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

文化庁の国語世論調査

2008年07月31日 | ああ!日本語
 朝日新聞が、25日朝刊で「国語に関する世論調査」を取り上げていました。
 言葉のしつけに関しては、面接調査した1975人の59,7%が、子供のころ家庭で注意された経験を持ち、注意したのは母親が63%で、父親の25%と大きく開きがありました。
 特に若い世代では父親の言葉のしつけは影が薄いという報告でした。
 このことはおよそ予測されることですが、驚いたのは、言葉の意味を本来の使い方とは違う捉え方をする人が7割を超えている表現があるということでした。
 7割を超えて使われれば、もはやそれを誤りと言えるかどうかです。赤信号みんなで渡れば怖くない。という、けしからぬ文句が、昔持て囃されたことがありました。7割を超えれば、この伝で、変化したと見るべきかもしれません。
”どちらの言い方を使うか”で
     、論陣を張る(25,3%)    論戦を張る(35,0%)
      をすくわれる(16,7%  足下をすくわれる(74,1%)
”どちらの意味だと思うか”で
 話のさわりだけ聞かせる。のさわりは?
      話などの要点のこと(35,1%) 話などの最初の部分のこと(55,0%)
 憮然として立ち去った。の憮然(ぶぜん)は?
      失望してぼんやりしている様子(17,1% 腹を立てている様子(70,8%)
 檄を飛ばす。
      自分の主張や考えを広く人々に知らせて同意を求めること(19,3%)
      元気のない者に刺激を与え活気づけること(72,9%)

 これらの、本来の使い方が逆転されている現象は、このサンプルに留まらないでしょう。いろは歌留多などでも「情けは人のためならず」の解釈初め、意味の捉え方が変化してきているものも、2,3に留まりません。
 加えてカタカナ語の氾濫です。言葉によるコミュニケーションを考えるとき、日本語の生き残りのために、私たちは何をなすべきか。しばし新聞を手に考えこんでしまいました。



あと祭

2008年07月29日 | みやびの世界
 京都の祇園祭は、この「後の祭り」の花傘巡幸の後、夜11時からの八坂神社での還幸祭で、一ヶ月近い祭りは、主要部分の幕が降りるようです。
 昔は、山鉾の巡行も、前祭り20基とこの後祭りに9基と分かれていたのが、7月17日に統合され、代わって24日の花傘巡幸が始まったそうです。(昭和41年)

 京都に関わる雅の世界を撮影しては、いつも送ってくださるOさんから、30枚近くの画像が届きました。
 話には聞いていましたが、見たことのない「あとの祭り」の多数のスナップ写真で、大体の様子を推し量ることが出来ました。感謝をこめて、お福分けいたします。
 傘鉾や、花笠をいただく少女たち、子供の鷺舞(さぎ踊りと呼ぶようです)祇園甲部や、宮川町のきれいどころ、そのほか、ここには上げきれませんでしたが、幌武者や、六斉念仏の囃子、と多彩です。奉納される芸能が中心のように見受けました。

 17日の町衆による山鉾巡行は観光的にも広く知れ渡っていますが、もともとはこちらのほうが、御霊会としての本筋だったのかもしれません。
 古い都の伝統行事は奥深く、他国の者にはうかがい知れない重みを持って存在しています。枕草子に「心地よげなるもの。御霊会の馬の長」とあります。
 スライドで片鱗をお楽しみください。
 Oさん、暑いさなかの撮影、ありがとうございました。画像を圧縮したり、いじりまわしているうちに荒れてしまいました。お詫び申し上げます。

花傘巡幸 京都祇園祭 後まつり
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ミレイ展 

2008年07月25日 | 絵とやきもの
 北九州美術館で6月からミレイ展(Sir John Everett Millais)が開催中です。(8月17日まで)
 夏目漱石が、「草枕」の中で、繰り返し登場させている「オフェリア」が、ミレイの代表作として広く知られています。今は、ポスターはじめ、市中のそこここで目につきます。
 フランスの画家、ジャン・フランソワ・ミレーは、多くの作品がわが国にも紹介され、ファンも多いのですが、このイギリスが誇るヴィクトリア朝絵画の巨匠、ジョン・エヴァレット・ミレイ(1829~1896)は、その作品が紹介されることは少なく、今回のような、10代から晩年に至る絵画の全貌を紹介する本格的回顧展は初めてのことのようです。

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この2枚目の画像は、<オフィーリア>のための習作。プリマス市立博物館所蔵 インクでのペン描きで、上部アーチ型 

 テート・ブリテンの所蔵品を中心に約80点の作品が展示されていました。
 私は「草枕」で興味を持っていた「オフィーリア」の作品が目当てで、かの漱石に衝撃な印象を与えた絵を自分の目で見てみたいというのが最大の関心事でした。
 ラファエル前派の何たるかも解せず、滅多にない国際的回顧展というだけの興味から出かけていったものでした。

 展示は、制作年代順に並べられ、画風の変化も解りやすく、また、完成した油彩の横に、小さなインクによるペン描きの習作が並べて展示してあるものが多くて、完成に至るまでの、さまざまな試みのあとを辿ることができ、変化する画家の息遣いが窺えるような気がします。

 コローが好きな連れ合いは大満足で、珍しくほぼ同じ時間で会場を回り終えました。絵にこめられた詩情と、物語性が見終わった後の余韻を豊かなものにさせます。
 私はどうしても、漱石の草枕が浮かんで離れず、”那美さん”を重ねて、代表作と持て囃される絵に素直に入ってゆけませんでした。胸の上で左右に開いた腕、かすかに歌を口ずさむ唇、そして、丁寧な解説は、一つ一つの花の意味する寓意を花言葉を添えて関連付けていました。

 史上最年少でのロイヤル・アカデミー入学(11歳)も、後にその王立美術学校会長にまで上り詰め、「サー」の称号を得た経歴とは別に、好きな絵の制作年代は1850年代から60年代にかけてのころの作品でした。
 勝手な選択で、好みの作品を少しあげます。

 いつもと違って、夏休みの平日は若い人たちが多く、活気がありました。日本での展覧会は、この後、東京展があるのみで、2箇所だけです。

「初めての説教」1863年  92,7×74,2㎝  モデルは5歳のミレイの長女。教会の礼拝に始めて参加する少女の緊張感が、表情にも、体全体にも感じられて可愛らしい。
「二度目の説教」1865年  97×74㎝  長い説教に飽きて居眠りをする少女。前の絵の続編。すこしかしいだ頭、開いた足、全身から漂う軽い疲労感が、愛情をこめてとらえています。
「マリアナ」1851年  59,7×49,5㎝ テニスンの同名の詩にインスピレーションを得て描いたものだそうです。。鮮やかな色彩が特徴のミレイの作品の中でも特に美しい色使いです。床に描かれた鼠や落ち葉。婚約者を待ち続けるマリアナに気持ちが、身に纏った濃いブルーのドレスとそのポーズに象徴されて、不思議な空間をかもしはし出していました。ラファエル前派の特色のようです。
「1746年の放免令」 1853年 102,9×73,7㎝ 戦いに傷つき捕らえられた男が家族との再会する場面。昂然と突きつける右手、腕の中に眠る幼子を抱えた右手は夫の手を握り、、その上にじゃれつく犬。飛び出してきた足ははだしのまま。妻の表情が語るこの場の喜びの複雑さを余すところなく物語っています。
「露にぬれたハリエニシダ」1890年 170,2×121,9㎝ 晩年の作品のなかでは、この作品に惹かれました。何の物語も描かれてはいないのに、豊かな詩情があふれているのを感じます。映像では解りませんが、左手前には巣篭もりする雉が描かれていました。

詳しくは朝日新聞asahi.comをご覧ください。

夏目漱石 草枕より
不思議な事には衣装も髪も馬も櫻もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけはどうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレイのかいたオフェリアの面影が忽然と出て来て、高島田のしたへすぽりとはまった・・・

すやすやと寝入る。夢に。
 長良の乙女が振袖を着て、青馬に乗って、峠を越すと、いきなり、ささだ男と、ささべ男が飛び出して両方から引っ張る。女が急にオフェリヤになって、柳の枝へ上って、河の中を流れながら、うつくしい声で歌をうたう。救ってやろうと思って、長い竿を持って、向島を追懸けて行く。女は苦しい様子もなく、笑いながら、うたいながら、行末も知らず流れを下る。余は竿をかついで、おおいおおいと呼ぶ。


宮崎監督もこの「オフェーリア」に強い衝撃をうけ、「崖の上のポニョ」発想の原点になったとか。そういえば、主人公の名前も宗介、崖の下に住んだ門の主人公は宗助でした。

暑中お見舞い申し上げます

2008年07月23日 | 季節のうつろい
 連日猛暑日が続いています。皆様にはお変わりなくお過ごしのことと存じます。
下の映像は、以前、配信をいただいてストックしていました「南極の氷」Nature is amazing ! です。

 暑中お見舞いに、お福分けさせていただきます。しばし目からの凉で暑さをお凌ぎくださいませ。時節柄どうぞお大事にお過ごしくださいますように。

 願わくは、この星に住む人間の人智を集約して、美しい氷の壁がいつまでも健在でありますように祈るばかりです。

南極の氷
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「乱れ」と「変化」

2008年07月20日 | ああ!日本語
 昨日(19日)の朝日新聞の、土曜日に付いてくる”be”紙に、「日本語の乱れを感じますか?」というアンケートの集計が出ていました。(回答者数:4548人)

 「はい」と回答した人が96%という圧倒的な数です。ただ、このアンケートの回答者は任意の抽出ではなく、朝日新聞に自発的に登録しているモニターによるものですから、もともと言語に関して意識している人が多いと思われますので、任意の抽出アンケートだと数値は違ってくることが考えられます。それにしても、乱れを感じないという人が僅か4%という極端は、まだ日本語のために救いがあると嬉しく思ったことです。

 この少数派の人を代表する意見が、「『いまどきの若者』によって文化が変化するから、変化は止められません。」という、乱れではなく変化とする意見が大半を占めています。(61%)
 なかには、「意味がわかればよい」という極端や、「年寄りが受け入れないだけ」という耳の痛い「いいえ」の人もいます。

 さらに、「はい」と答えた人の、日本語を乱す張本人は?の回答の51%がテレビ、次が若者(28%)です。あとは極端に少なくなって一桁ずつです。
乱れを感じるサンプル表現10個をトップから順に挙げると
  1、千円ちょうどからお預かりします(2994人)
  2、飲めれる(2884人)
  3、わたし的にはオッケーです(2842人)
  4、全然大丈夫です(2692人)
  5、コーヒーで良かったでしょうか(2467人)
  6、見れる(2068人)
  7、雨が降るっぽいね(2048人)
  8、終わらさせていただきます(1746人)
  9、○○会社さま(1480人)
 10、超かっこいい(1341人)
以上の順になっています。
 気が付いてみると、この数が示すように、自分で使わないまでも、10のような表現に抵抗感は余りないようになっています。
 謙譲語が尊敬語に流用される現象や、「やる」と「あげる」、「こだわる」の、本来は否定的な意味が、逆転する使い方などにも、以前のようには気にならなくなってきています。
 初めて目にする「さ入れ言葉」「れ足す言葉」という乱れ言葉を表す分類があるのも知りました。ひところ、(6)のような「ら抜き言葉」がよく取り上げられていましたが、今度は、逆に入れたり(8)、足したり(2)する表現が出てきているのですね。1,5はマニュアルでしょうから修正は簡単なはずです。
 若い人たちが仲間うちで使う言葉の、その垣根を壊しているのがマスコミではないかといった趣旨の意見もありました。

 「美しいと感じる日本語は?」には、「ありがとうございます」「かしこまりました」などの挨拶や謙譲語を挙げる人が多く、季節や、自然、色合いを表す日本語が挙げられていたようです。
 敬語を否定するのではなく、逆に過剰な敬意表現を試みようとする若い人たちがいるということは、敬語は美しい言葉と思うからでしょう。してみると『いまどきの若者』も捨てたものではありません。
 大人の責任において正しい表現を示す場が必要となります。
 テレビをはじめとするマスコミの努力も期待されます。方言で会話する人たちも、共通語が理解できない人はまずいないのは、功罪の功のほうの力ですから、出来ないはずはありません。
 そして、大事なことは、形だけどんなに美しく整えられていても相手の気持ちに対する思いやりに欠けた言葉遣いは、敬語以前の問題ということでしょう。
 日本語のような細かな敬語表現がない外国語では、相手の気持ちを刺激するようなことは口にしないという嗜みが発達しているようでした。プライバシーに関することに無神経に踏み込んでくることはしないようです。
 敬意のこころが欠けていると、言葉は時に凶器のような役割を果たしてしまいます。

 あなたの好きな次代に伝えたい日本語はどんな言葉でしょう。「品格」ある美しい日本語は大事にいたわって存続させていきたいものです。



逢うのを楽しみに

2008年07月18日 | 遊びと楽しみ
 今、楽しみに待っているのが「崖の上のポニョ」です。「もののけ姫」97年「千と千尋の物語」01年「ハウルの動く城」04年から4年、好きな宮崎監督のアニメにお目にかかっていません。
 偶然に目にしたテレビの番組で、製作過程の紹介があり、今までのようなCGを使っての制作ではなく、すべてを70名のスタッフを指揮しての手描きでの制作とありました。

 ストーリ自体も今まで以上にファンタステックなもので、視点も変化しています。
 明日19日から全国の東宝系の映画館でロードショウ開始です。私は夏休みが終わるころ、ゆっくり映画館で鑑賞するつもりです。

 娘がスタジオジブリ作品のファンで、子どもたちの幼いころ、プレゼントの品のリクエストは決まって、ジブリ作品のビデオを指定されていました。
 「となりのトトロ」「魔女の宅急便」などが孫たちの幼い日の懐かしい思い出と共に浮かびます。私は「風の森のナウシカ」や「もののけ姫」に堤中納言物語の虫めづる姫君を重ねてみていました。
 「千と千尋の物語」は、52回ベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞して随分騒がれました。台湾旅行で訪ねた九份の古い茶館で情景をなぞったものでした。

 今回の「ポニョ」は、人魚姫を思わせはしますが、5歳の宗介と魚の子ポニョを通して、海とのかかわりの中で現代を考えるファンタステックな作品のようです。
 音楽も、久石 譲、作画監督 近藤勝也、美術監督 吉田 昇と、いつものメンバーです。
 ことに海の表現にこだわり、正面から取り組んだということで、是非その成果を拝見したいものと期待しています。

 公式ページで映像ほかをご覧ください。



   サンシャインシティ30周年記念展ポスターより

祭りの後

2008年07月16日 | 塵界茫々
 半月に亘った博多祇園山笠も昨日早暁の“追い山”でフィナーレを迎えました。
 とうとう今年は出かけることなく、テレビで見ていました。
 徒然草に言うような、物事は「目のみにて見るものかは」の悟りが、あればいいのでしょうが、俗物は、「家を立ち去らでも」とは行かず、やはり目の前を全力疾走で駆け抜ける山を、勢い水のしぶきを浴びながら熱狂してこそ、祭りが果てた後の鎮めの能に、祭りの終わりの情趣もしみじみと味わえるというものです。

 山笠に気をとられている中で、大野 晋さんの訃報を遅れて知りました。
 日ごろお世話になっている岩波古語辞典、広辞苑の編集者の一人であるだけでなく、何度となく引用する岩波の「日本古典文学大系」で、万葉集1~4、日本書紀上下の頭注執筆の仕事もなさっていました。
 国語学の学者としても積極的に時代へ関わり、率直な発言をなさっていました。、
 狭山事件にも、脅迫状の鑑定で、筆跡と文章表現から、国語学者としての見
解を述べられ、再審への道を提言されていたのは、記憶に新しいところです。

 思えば、「上代仮名遣いの研究」で、万葉集の時代には、カ行やハ行、ワ行
などに二通りの発音があり、50音の今とは異なり数が多かったのを知ったのが最初の出会いでした。もう書かれていた大方を忘れていますが、面白がって、「ふぁな」(花)とか、春を、PARU-FARU。蹴るをKWERUなどと言い替えて喜んでいた記憶が蘇りました。
 近年では、180万部を超えるミリオンセラーとなり、日本語本ブームの火付け役になった「日本語練習長帳」がありました。このブログでも何度か登場しています。
「が」と「は」の使い分け始め、随分この本には教えていただき、自分の不確かな「日本語」を顧みたものでした。

 ご自分の意見を明確に主張されるため、軋轢も少なくはなかったようですが、行動する学者というイメージと、それに加えて、南インドのタミル語を日本語のルーツとする説のロマンも私好みでした。
 まだまだ、大きな仕事をなさる方と思っていたのに、惜しい方がなくなってしま
いました。導きの恩恵の深さにあらためて感謝し、ご冥福をお祈りします。

 かくて、今日は祭りの後の寂しさが一段と身にしむことです。

 櫛田入りの画像は先年撮影したものです。

桔梗

2008年07月14日 | みやびの世界
 折々に京都の雅の風物を撮影してはお届けくださるOさんから、今が見ごろの蘆山寺(ろざんじ)の桔梗が届きました。

画像をクリックしてください。
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<蘆山寺境内 紫式部邸宅跡の碑 >


 夏ごもりの気分転換に庭の桔梗を描いていた折の、絶好のタイミングでした。
 蘆山寺は、御所の東側、紫式部の屋敷跡に建つ寺で、つとに桔梗で知られています。まさしく紫にゆかりのお寺です。
折りしも、京都は源氏物語千年紀ということで、どこも、源氏づいていますが、この地こそ、紫式部が源氏物語を執筆した場所でしょう。

 長年、庭の土と相性が悪いのか、何度持ち込んでも根付いてくれなかった桔梗でしたが、五年前からどうやら馴染んでくれて、六月の終わりごろから花を見せてくれるようになりました。今では株も増えて、白の花が混じることもあります。
 この花は、絵になりやすく見えて、描くとなると厄介なものです。どうしても月並みなものになってしまいます。つぼみは五角形という先入観を捨てろと指導されても、それがないと私の桔梗にならないと反発してしまいます。
 
 蘆山寺の、枯山水の平庭に咲く桔梗は、白砂に苔で隈取られて、気品があります。


夏篭り

2008年07月12日 | 塵界茫々
 今日は午後3時過ぎから、博多山笠の”追い山ならし“が行われました。
 15日早暁の”追い山“に出かけるのは無理でも、この追い山ならしは、午後の時間で、見物に出かけやすいのです。この行事は、本番に向けてのリハーサルで、距離が少し短いだけで、本番さながらにタイムを計り、勝った、負けたと盛り上がります。
 出かける予定にしていましたが、先日来の草取りと、10キロの梅干の天日干し作業が少し無理になったのか、腰に違和感があります。今日は土曜日と重なったので、人出も多いと考えてテレビで見物することにしました。
 西流れの25分というタイムに驚いていましたら、優勝常連の千代流れはさらに速い”廻り止め”入りでした。

 出かけることも、庭仕事も止めにした夏籠りを、自分の部屋で細かな針仕事です。合間には、先日の京都、細見美術館でみた若冲の鶏を、自分流に描いてみたりしています。いずれも短時間で終わるものしか出来ません。
 終りに近い半夏生も色々と描いてみましたが、1枚ずつUPします。





ブラジル暮らしの記念

2008年07月09日 | 私のブラジル
 どこにいても、何かしら興味を持つとすぐ手を出してしまう癖は改まることがありません。その上、初めての二人だけの暮らしになり、私は仕事からも解放され、充分すぎる時間がありました。
 異国文化の刺激もあって、次から次に試みるものが出てきました。
 織のタペストリー、それにポルセラーナの真似事の「ピンツーラ」が、その記念品です。
 その合間には、骨折のベットで始めた糸絵もあります。怪我の功名で、臆面もなくUPしましたが、これは、ブラジレイロにも珍しがられました。
ただ、織は大きくて持ち帰っても日本家屋には合わないので、請われるままに全部プレゼントの置き土産にして帰国しました。
 名残を留めていた色鮮やかな織の財布も年月の中でいつか消耗してしまいました。

 記念に持ち帰ったのは、旅のスケッチブック2冊と、自分で絵付けした果物用の盛鉢、絵が不揃いのデミタスカップ。大皿1枚と細身の花瓶ぐらいです。花瓶は取り落として割ってしまいました。食事のスタイルが異なるので、これらの品もあまり出番はありません。
 (料理は、すべて大皿に盛りつけ、各自、必要な分量を自分で取り分けていただきます。取皿も20センチぐらいのものを用います。)
 銀のナイフやフォークも持ち帰りましたが、後始末も大変で、磨きの手間を考えると使うのを躊躇います。
 お手伝いさん相手の馴れない生活は、手伝ってもらう以前にこちらが疲れてしまい、住み込みは落ち着けなくて、通いにしてもらいました。それでも彼女の来ない休日はホッとしたものです。

 使われないままに処分される運命を思って、せめての記憶のよすがに痕跡を留めておくことにしました。

 早朝5時半から草取りに精出す日々です。日盛りの午後はお昼寝が日課になりました。

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<豊富な果物を盛り付けます>