「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

夏へ向って

2008年04月30日 | 季節のうつろい

 今日で卯月も終わります。立夏まであと数日ともなれば、木々の緑も確かな彩りになってきました。草取りに追われる日々、ふと目を上げると、思いがけない発見もあります。

まさしく、兼好法師が言うように
 「木の葉のおつるも、まづ落ちて芽ぐむにはあらず。下よりきざしつはるに堪へずして落つるなり。迎ふる気、下に設けたる故に、待ちとるついで甚だはやし。」を実感しています。
 椎の葉が降らす茶色の小雨、楠の葉の舞の手振り。常緑の大きな樹木が毎日繰り返す衣更えは、まだ続いていますが、そろそろ終わりに近づいているようです。

 草取りの手を休めて見上げると、楓の花が、愛らしい花をつけていました。コテマリ、オオテマリも今が盛りの白を躑躅の赤の上に広げています。
 トサミズキは花の形もユニークですが、今の季節は変化の多い葉の姿が目を楽しませてくれます。
 今年は、梅が、どう処分したものかと不安になるほどの実をつけています。伸びた一本の枝に10個を超す実を下げているのもありますが、よくしたもので、実のつき過ぎは自然に落とされるようです。
 さくらんぼも小鳥の口に入る前に今年こそは賞味したいものと対策を思案中です。ゆすら梅も、日増しに小さな実の紅の色が濃くなって夏へ向う足取りを示しています。

 世のなかはゴールデンウイークということで、賑やかな催しも行われていますが、今は働く人たちのための楽しみの時間。自在に時間を使える後期高齢者は、邪魔しないようにと心掛けて、ひっそりと家に篭っています。
 暑からず、寒からずで、弱ってきた体には今が一番の時季ですから、連休が明けたらと、小さな旅の計画を立てて楽しみにしています。旅は出かけるまでの気持ちの弾みのほうが楽しいもののようです。


トサミズキの若葉


今は蕗が食べごろです。

牡丹

2008年04月27日 | 絵とやきもの
 はじめから百花の王たる牡丹を絵にすることは、私の手に余ることなのに、美しい姿にはつい食指が動いてしまいます。
 東洋的な風情を、古くから中国や日本の画家たちがこぞって絵にしてきました。
 蛙さんが見事に咲かせた白牡丹の写真「咲きいでぬ」に続いて、「牡丹焚火」に、油絵で表現されていたのに触発されて、取り組んでみましたがやはり失敗でした。来年の花までの一年のお預けとなります。
 自分のための記録に、模索の跡を記録しておくことにしました。批評には、「石橋」の牡丹。東照宮の眠り猫を思い出す。と散々でしたが、まさしくそれらが頭にありました。
 当然ながら落款は押せません。道の途中ですので。
 閻王の牡丹にも、紅ほのか、にもなれない悲しい牡丹です。大きさが出ないのです。まして豊麗な妖しさは勿論です。
 途中をお目にかけるのは初めてのことで、一興かと、あえて厚かましくも見苦しい道中姿です。

  閻王の口や牡丹を吐かんとす   蕪村
  牡丹散って打かさなりぬ二三片  蕪村
  白牡丹といふといへども紅ほのか  虚子




 


 



大隈言道と桑原先生

2008年04月23日 | 歌びとたち

 幕末を代表する歌人、大隈言道(ことみち)の研究家としてしられる桑原廉靖先生とは、同じ福岡の乗馬クラブに所属していて、馬術連盟の理事を夫が務めていた関係で、深いお付き合いでした。最後にお目にかかったのは平成13年の櫻の散る頃でした。

 お酒がはいると、温顔をほてらして言道讃歌を熱っぽく語られたお姿をありありと思い出します。
 開業医の忙しいお仕事の傍ら、「歌と評論」の同人として、また、歌誌「かささぎ」の主幹としても活躍していらっしゃいました。お宅に伺っては奥様から、丹精の見事なバラをいただいて帰ったものでした。

 先生は、よく「現代の歌を詠おう」と主張した歌道革新の先駆者が言道だ。」と仰っていました。「天保の俵万智」とも。そして桑原先生ご自身も率直な属目を詠われていました。


 言道は約200年前、裕福な博多町人の家に生まれ、明治と年号の変わる年に71歳で亡くなっています。櫻が好きで、酒を好み、三味線、琴、小鼓、書に篆刻と多趣味の人で、酒が入ると浄瑠璃も語るさばけた人だったようです。
 日田の咸宜園に42歳で入門願を出し、驚いた淡窓は客分扱いにしています。このことに関して、桑原先生は、「独自の平明な歌を心掛けていた言道が、漢詩にすぐれ、人真似を退け、個性を尊重する学者だった淡窓に、自分と通じるものをみて、自分の歩みを確かめてみたかったのだと思う」といっておられました。

 一日百首の修行も行っていますから、言道の、遺した歌も6万首余です。ただし、岩波文庫になっている「草径集」の自選歌は971首だけです。
 100人を超える弟子のなかには、大阪の緒方洪庵(註1)、博多では野村望東尼(註2)といった有名人がいます。あの筑前勤皇のヒロインが、言道のお気に入りのお弟子さんでした。

 天保に生きた言道は、西行に劣らぬ相当な櫻への入れ込みようで、櫻を歌った和歌は、2600首という多数です。桑原先生に「大隈言道の櫻」の著書ががあります。

 幕末の二大歌人として並び称される橘曙覧も福井の人で、共に地方人だったのも時代を象徴しているように思えます。
 維新以後の西洋礼賛の流れの中で忘れ去られていた二人が蘇生するのは、明治もなかばを過ぎてからです。「歌よみに与ふる書」の正岡子規が橘曙覧を、言道のほうは、学者であり、有名な歌人でもあった佐々木信綱が、行きつけの神田の古本屋で言道の「草径集」を発見したのです。明治31年のことです。
 桑原先生は木版刷りの和綴じ「草径集」3冊(百部出版)を「私の宝物」と、大事にしておられました。

 言道の歌と、桑原先生の歌を次に挙げます。多数の中からの勝手な選択で、泉下で苦笑されているかもしれませんが、おおらかな先生のこと、お許しくださると思います。

大隈言道
  待ち佗ぶる人も思はずさくらばなこころしずかに今日咲きにけり
  春来ればいづこに行くも憂かりけり出でなと花は言はぬものから
  さくらばな肩に袖にも散りくれどなつかしげなる膝の上かな
  
  みゆる日もありとはいへど荒津の沖いづれの雲か新羅なるらむ
  かへり見ぬ人あらましや故さとの今ぞ隠せる立花の山
  ほととぎす行へをしらに隠したる大城のやまの松のむら立ち
  山陰のさとの茅ぶき板やぶき雪つむ時ぞげにあはれなる

桑原廉靖
  武者絵馬に少年の日の名はありて兵には召され発ちてゆきたり
  数知らぬ命をききし聴診器象牙の色のいたく黄にさぶ
  真実を告げむか偽り通さむか手を洗ふ間に心きまらず
  今日もまた人の死ぬる日菜の花の盛りの野道戻り来にけり
  海にむけ木の鳥居立つ防人のむかしよ絶えぬいくさの嘆き
  昼ながら赤提灯に灯をともし足わるき老い蛸焼きを売る
  
左上 歌集「象牙の聴診器」
色紙は持参の馬上杯を喜ばれての揮毫 
左は、歌集の見開きの短歌
駈足に移る坂道馬逸り宝満山は冬を晴れたる
3冊は恵贈くださった中から

註1 黒田藩の蔵屋敷は洪庵の往診先でした。言道は大阪ではここにしばらく滞在、後にも出版のため、10年大阪に単身で住んでいます。
註2 高杉晋作の臨終に立会い「おもしろきこともなきよをおもしろく」晋作「すみなすものはこころなりけり」望東尼の付け合いはよく知られています。

筑前琵琶の演奏会

2008年04月21日 | みやびの世界
 「源氏と平家―兵どもが夢のあとー」と題した筑前琵琶の演奏会がありました。
 (筑前琵琶保存会・青山旭子会主)
 19日の土曜日、ウエル戸畑を会場に、中ホールがほぼ満席になる盛況で、伝統芸能の世界を満喫した鑑賞会でした。
 表題のとおり曲目は源平の興亡を語り、奏で、たっぷり2時間を楽しませてくれました。
 遠い記憶の底に沈む琵琶の音色への郷愁からでしょうか、夫が、プレイガイドで見かけたからと前売り券を購入してきました。
 馴染みの深い平家物語の場面が、抑えた見事な尺八の伴奏で奏されると、物音一つ立てるものもなく引き込まれて聞き入っていました。

 劇団員の方によって、演奏に入る前に、物静かに情感をこめて、内容が物語られたのは、古い言葉になれない方にも親切な試みと感心しました。
 比較的日の浅い方の演奏から、順次経験豊富な奏者になってゆくと、撥音も冴え、よく通る太い声は否応なしに曲目の世界に誘い込んでいきます。

 筑前琵琶は独特で、語りの時にも琵琶の旋律が入るので、感情の移入も自然で、情景の展開につれて次第にテンポが速くなって盛り上がり、撥捌きの変化も自在で音色の余韻が他の楽器とは異なっています。
 かつて荒神祭りに家を訪問していた盲目の法師が語る平家物語は、四弦の琵琶で音色も違っていたように感じました。源氏物語絵巻、宿木の匂宮が奏でる琵琶の音に聞き入る中の君の画面が記憶にあるからか、ほぼ垂直に近い構えも意外でした。
奈良朝にシルクロードをやってきた琵琶は、正倉院に現存しています。  右の琵琶は、正倉院御物 螺鈿紫檀五弦琵琶

 船弁慶は謡曲の詞章とほぼ同一でしたが、全く違って聞こえました。平知盛の亡霊に向って弁慶が「打物技にて叶うまじと、数珠さらさらと押し揉んで、」の所を琵琶の音色で表現されていました。最後の演目は義経最後の場面で、会を主宰される方の作曲で、本人が合奏されましたが、さまざまな撥の技法が駆使されて、弁慶の悲しみが表されていました。

 琵琶の演奏を聴いていて、やはり平家物語は七五調の調子といい、平曲として語るための原本という想いを改めて確認しました。

 薩摩琵琶と筑前琵琶が今日の主流のようですが、若い演奏者の方たちのすぐれた演奏を耳にして、古典音楽の将来を頼もしく思ったことでした。
 惜しむらくは、見慣れない、また聞きなれない琵琶という古典楽器についての解説があってもよかったのではないかと思いました。






吉野山の櫻

2008年04月19日 | みやびの世界

 櫻の名所では、世界遺産にも登録されている吉野山の櫻がNO1でしょう。
今日このごろの櫻模様の配信がありました。
   上の山櫻の映像は海外在住の方からの配信だそうです

 吉野の櫻は山桜で、四月に入ってから、四万本近い数といわれる櫻が、下の千本から中、上、奧の千本と次第に咲き上がってゆき、五月の初めまで、かなり長い時期どこかで花の盛りに逢うことができます。山櫻の好きな私は時を隔てて三度訪れています。最後は6年前、近江八幡での同窓会の帰り、初めてという友人を案内しました。



 いつもユニークなコメントをくださる香HILLさんが、NHKの和歌の朗読で感銘を受けた西行の歌に触発されて、好天の先日16日日、吉野の櫻を探勝なさったようです。同じ日に、私たちの「みまき会」(従兄弟の集まり)に母親の介添えで出席するTさんが撮影した写真を添えたMAILをいただきました。Tさんは彼の友人です。

 過ぎ行く春の名残を、山桜と、「歌書よりも軍書に悲し吉野山」の歴史を偲んでください。

 学生のの頃、同好の友人たちと、ずっと奥の西行庵まで登り、さらには、万葉集の吉野の離宮跡と伝承される宮滝まで足場の悪い道を歩いたことがあります。このおとぼけ写真はいつの折の吉野の写真かわからなくなっていますが、多分、休暇で帰国した夫と出かけた折、中の千本、一目千本あたりで撮ったものと思います。

 吉水神社、如意輪寺に南朝の歴史を、勝手神社に静御前の悲哀を偲び、そして、ここには、何よりも櫻と共に吉野のシンボル蔵王堂があります。
 蔵王堂は修験道の総本山、ここは聖地なのです。信仰によって多くの人が一本一本献木して植え続けた櫻は、今では一種芸術品の風格を備えています。
 
 吉野山こずゑの花を見し日より心は身にも添はずなりにき

 吉野山奧をもわれぞ知りぬべき花ゆゑ深く入りならひつつ

 吉野山こぞのしをりの道かへてまだ見ぬかたの花を尋ねむ  三首 西行

 これまでどれほど多くの歌人が吉野の櫻の歌を詠んできたことでしょう。わけても、西行の歌は心にしみるものがあります。
 
 そぞろ心をそそられて、「まだ見ぬ方の」櫻を尋ねてみたくなりました。







三枚はTさん撮影の画像です。
上から、歌舞伎義経千本櫻、忠信ゆかりの花矢倉から見る蔵王堂。中千本のビュースポット。
西行庵の案内板。このあたりまでくると花盛りの頃でも静寂そのものでした。
枝垂れ櫻は、水分神社(みくまりじんじゃ)の境内のもの。
この「御子守」の、秀吉が祈願によって秀頼を授かったという桃山建築のお社もこの櫻もまだ見ていません。




与 勇輝の人形展

2008年04月17日 | みやびの世界
 もう二十数年も前のことですが、人形を作っていた時期がありました。ことばの通じない海外の暮らしの中で、針を動かし、ちいさな人形を本を頼りに作っては人にあげていました。
 人形作りは、弟嫁の、いまは亡き母君に手ほどきを受けたものでした。人形の顔に長い針を頭の後ろから刺して、目や口の表情を作る作業が苦手で、自分の顔にどうしても似てしまうので、いつのまにか遠ざかってしまいました。

 今日は「与勇輝の人形芸術の世界展」に招待券をいただいていたので、あまり興味のなさそうな夫を誘って小倉まで出かけました。
 新聞などで紹介されているとおり、活き活きとした表情と、詩情あふれる表現は、布という素材のやわらかさもあって、ゆったりと静かに語りかけてきました。
 殊に、繊細に表現された何気ないしぐさの指の表情が、人形たちの気持ちを伝え、物語るのに感心しました。
 着物にしても、人形のために特別注文したのかと思うくらいに、ぴったりの細い縞や絣、花柄が選ばれていました。
 写実的でいて、ファンタスティックな叙情は、見るものに郷愁と安らぎをもたらします。
 チラシの文言に「自然体ですっくと立ち、小さな体いっぱいに魂の輝きを放つ人形たち。私たちが忘れかけていたふるさとの原風景を思い出させてくれます。」とあることばに言い尽くされています。

 今回の展覧会はパリ・バカラ美術館での会期を終えて帰国した記念展で、与さんが敬愛する小津安二郎監督へのオマージュ作品20体を中心に代表作と合わせて130体が並んでいました。
 明治から昭和初期の風物詩といった人形たちのほか、妖精や、携帯のとりこになっている現代の若者風俗まで変化に富んでいいますが、やはり、郷愁を誘うのは、木綿の普段着の子供たちの姿でした。それは、私の幼い日にはまだ実在していた懐かしい風景でした。

東京物語(小津監督)
 東京の子供たちの所で自分たちがあまり歓迎されていないのを感じて、周吉がとみに「もう帰ろうか」と呟いている場面。
 同じ展覧会の人形は、名古屋松坂屋での展覧会記事に画像が多数出ています。ご覧になりたい方はリンクからどうぞ

 人形は立体ですから、画像ではイメージが異なります。特に後姿がいいものが多かったようです。「かえり道」の安心しきって頬をくっつけた子と、負ぶっている子の愛らしい人形で、斜め後ろから見たときの体の傾きに情緒がありました。。



お手頃

2008年04月14日 | ああ!日本語
 久しぶりに贈りものの品定めにデパートをのぞきました。
 男物のスポーツ・シャツを眺めていたら、近寄ってきた店員さんに、「セールに入っていますので、お値段もお手頃ですよ。」と勧められました。

 こうした買い物をしばらくしていない私にとって、値頃かどうかは、こちらの財布の中身にかかわるもの。5700円という値段は、「お手頃」よりは高額に思えたのです。
 「お手頃」ということで、こだわってしまいました。確かに”手に余る”ほどでも、”手の届かない”値段でもなかったのですが、また出直しますと引き下がって、お手頃の頃合いを考えてみました。程々、程合い、頃合い、相応、と、すぐ浮かんでくる同類の日本語も多彩です。
 これらは数値的な量も、質も示すものではありえません。極めて曖昧なもので、それでいて、何か人を納得させる通念のような性質を携えています。ただ私の今日の買い物の場合のように、人によってその「お手頃」は異なる厄介なものです。

 契約書や取扱説明書に使われるような表現では、生活の場での会話は成り立たないのは勿論ですが、受け手にとってさまざまに解される表現というのも、生活の言語としては困りものです。にもかかわらず、この頃の朧の月同様、やわらかく、あからさまでない言い方を私たちは従来評価し、好んで使ってきました。
 その一方で、コミュニケーションの手段であるからには、相手に正確に内容が伝わる必要があります。正確に伝えるためには、曖昧な意味を出来るだけ明らかなものに置き換える努力をしなければならないという矛盾の中で生活しているわけです。
 私でも、自分の中に分相応の度合いを計る目盛りは持っているつもりですが、川面に投げるのに手頃な石は、計れても、度を過ごさぬ程度の程々は、お酒の場合と同様、その場の雰囲気でも動くもので、定めがたいものです。

 “いい加減“にしろと、うんざりした顔が浮かんできました。”程々”というのは難しいものです。ということで。「お手軽」なこの項を閉じます。



 

今朝の庭の歳時記

2008年04月12日 | 季節のうつろい
 雨上がりの庭で、花々の装いに驚きました。2,3日前まではそれと気づかなかった花々が、季節の装いを凝らしていっせいに季を告げていました。
 誰にも知られないまま、藪の中で、すでに花の時が過ぎようとしているものもありました。
 満天星(ドウダン)が、若葉の間に恥ずかしげにうつむいて、白い星を木いっぱいに輝かせる日ももうすぐです。花蘇芳のすこし下品なほど鮮やかな色の粒も春の日ざしの中では、周囲の燃え立つ若緑と調和を保って見えます。
 白の山吹も咲き始めています。あわただしく咲き急ぐ花たちの挨拶がしばらく続くことになります。

今朝の庭の歳時記
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■岩八つ手 葱坊主のようなうす紅の時から、葉が出て、盛りを過ぎても味わいのある姿です。■立波草 浮世絵に描かれる波頭を思わせる姿を捉えて、立浪とはよくも名づけたものです。■射干シャガ。胡蝶花とも。遠い昔中国より渡来のあやめ科の花■蔓桔梗 一面に地を覆いつくす勢いの日々草は、玉石の間からも蔓を延ばしています。はじめは斑入りでした。■白花都忘れ 紫の都忘れはもうしばらく化粧に時間がかかるようです。■山茶花 遅咲きで、椿かと思う豪華な花のうす色を好んでいます。■山吹 白花に先駆けて鮮やかな姿を見せ始めていました。■馬酔木 花が終わって萌え出た新芽を刈り込む前に。■ぼけ 淡い紅をさした愛らしい花なのですが、幹のとげを嫌われて小さく切り詰められてしまいました。花の盛りはとっくに過ぎていました。■八重桜 親株は虫にいためられて切られたのですが、根元からのひこばえが大きくなりました。
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雨の日のことば遊び

2008年04月10日 | ああ!日本語
 予報どおりの雨になりました。部屋の片付けをしていて、一昨年、お見舞いに頂いた本に目が行き、手が止まってしまいました。
ことば遊びの世界」です。お時間のおありの向きはお試しあれ。

 「浪花みやげ」より、美しいところから、三段なぞを少しだけ。
 ○冬の鶯とかけて、破れ障子と解く。こころは?  春(貼る)をまつ
 ○鴨とかけて、二月堂と解く。こころは?     水鳥(お水取)
 ○浄土宗とかけて、うつむく稲と解く。こころは? 豊年の稔り(法然の御法)
 ○お多福の面とかけて、谷の櫻と解く。こころは? 両方(頬)が高くて花(鼻)が低い

 この本によると、“なぞ“の遊びは、連歌の席の余興として発達した由が記されていました。つまり、連歌の賦物フシモノ(約束事)と関連したようです。
賦物の種類として、
一字露顕(同音異義を利用する。例 日を火,気を木などの別の語彙にする。)
二字反音(二音の語彙を転倒させ、別の語にする。例 妻を松、夏を綱とする。)
三字中略(三音の語彙の中央を消去して、別語彙に導く。例 嵐を足、霞を紙に)
四字上下略(上下の一音を消去、例 鶯が杭、苗代が橋などとする)などがあります。

 面白かったのが、「和七」に“とだな“とルビがふられ、「大和、七夕」のヒントが記されていました。白を九十九と読んで、百に一つ足りないとしています。これなどは周知のように今も、「白寿」ということばに残っています。「難字和解」
 「木を書いて、春はつばきに夏えのき、秋はひさぎに、冬はひいらぎ」と短歌形式にしたのを載せていますが、これのパロディー本では、実在しない造語の“嘘字”の遊びが登場しています。
 上の漢字の木偏を人偏に置き換えて、人偏に春として、「うわき」と読ませ、人偏に夏は「げんき」同じく秋は「ふさぎ」冬は「いんき」、最後に人偏に暮と書いて、「まごつき」と読ませています。
 歌にして、「はるうわき、なつはげんきで、あきふさぎ、ふゆはいんきで、くれはまごつき」の狂歌仕立てになっています。お終いを”き”で統一したところが味噌でしょう。
 入門編の最後は前半に無理な問いを置いて、後半で同じ理屈で答えるということば遊び、「無理問答」です。つながるように組み合わせてみてください。

   
 A 小豆に大納言とは如何に、      
 B 水を沸かすに湯を沸かすとは如何に、
 C 天にほうき星とは如何に       
 D 女子の名にあらずしてお神酒とは如何に 
 E 咲きもせずして牡丹餅と言ふが如何に 

1 散りもせねどさくら鯛と言ふが如し。
2 男の名にあらずして源五郎鮒と言ふが如し。
3 米を炊きて飯を炊くと言ふが如し。
4 地に空豆あるが如し
5 鳥にも五位鷺のあるが如し。

 太平の御世の庶民の「ことば遊び」です。
 札の偏と旁の間に池を挟んで、「さいけつ」と読む造字など今もむかしに変わらぬ文字遊びをやっている人もいるようです。先人たちの残したことば遊びに、ささやかな楽しみを見出すひとときです。
    念のための、蛇足。A・5  B・3  C・4  D・2  E・1
     瀬戸馬の目皿 江戸時代後期

今年の小倉城の櫻

2008年04月06日 | 遊びと楽しみ
 花盛りの今日、午後からは雨の天気予報に反して快晴となりました。連日のお出かけとはいえ、今年の櫻も今日で見納めかと、雨を控えて、限られた日の櫻となれば、いつまで花に逢えるかと考えて、近くでと条件をつけ、希望を尋ねると、当然のように「小倉」と、即答が返りました。

 夫にとっては、中学に通った少年の日に目に留めた、「小倉城の櫻」以上の櫻はないようです。私にとっては、小倉城周辺は、かつて学徒動員で12時間勤務の過酷な労働で、風船爆弾の紙貼り作業をした小倉造兵敞の思い出にどうしても繋がるのですが、口にしないで出かけることにしました。

 昨年よりは少ない人出のようでした。ここは「年々歳々花相似」ですが、整備されて馬場も広くなっています。風が誘う花の雪に包まれてのそぞろ歩きは、春をまとう想いです。若やいだ華やぎの余韻はいいものです。

色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける 紀友則 古今集



げにや年を経て。花の鏡となる水は。散りかかるをや。曇るといふらん。」



  映像は、八坂神社側からの天守閣です。