「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

洛北の紅葉

2007年11月13日 | みやびの世界
 修学院離宮の紅葉のさまを写した写真を貰ってきました。
 胃の摘出手術という夫の大病で、あわただしく暮らす私を気遣っての遠慮から、折を見て私に渡してほしいと、昨年、友人に託されていた写真です。

 撮影は祇園会や、北野天神の梅といった京都の風物詩を四季折々に送ってくださるOさんです。

 生活の場を老人ホームに移した友人と、写真を介して、次から次の思い出ばなしが弾みました。
 昭和23年、終戦からようやく復興への歩みが始まったころ、すべてが不自由の中での修学旅行で訪れた京都でした。
 その折も、今頃の季節で、離宮の樹木の梢は色付き初めていて、比叡山から吹きおろす風が冷たかった記憶があります。

 「借景」という言葉の意味が、この離宮の実景で、すんなりと頭に入ったものでした。

 修学院離宮は、「紫衣事件」で、怒りに任せて譲位された、あの後水尾上皇が造営された離宮です。高台に上の茶屋、中間の音羽川にそった中の茶屋、一番低いところに下の茶屋と、三段に配された御茶屋によって構成されています。
 離宮の中には田園も取り込まれ、耕作する農夫も生きた添景とした雄大な構想の離宮です。
 御意のままにならない鬱憤を晴らすためとでも思いたくなるような、豪壮な規模と景観です。


上の茶屋(隣雲亭)から浴龍池を望む


様々な色の変化をみせる紅葉

 特に上の茶屋、隣雲亭からの眺めは壮大で、大刈り込みを辿る先には、浴龍池が展開し、池には三つの島が浮かんでいます。北には遠く鞍馬の山々が、西には愛宕山、嵐山が一望されます。
 土庇(どびさし)のたたきに埋め込まれた色とりどりの鞍馬や鴨川の小石は、デザインとしても面白く、一二三石(ひふみいし)と呼ばれることもここで知りました。

 一極集中に近く、たっぷり時間をかけ、貸切状態での学習でした。今考えると、卓見の先生がおられたと感心します。半世紀以上を過ぎても、若い日の鮮烈な印象は消えることなく記憶の底に刻まれています。


浴龍池の舟屋の紅葉