雪月花 季節を感じて

2005年~2019年
2019年~Instagramへ移行しました 

「大琳派展」 宗達と光琳

2008年10月17日 | 雪月花のつぼ ‥美との邂逅
 
 線は神だ、といった人がいる。質の高い芸術に触れるとき、それを感じる瞬間があり、書であれ絵であれ、ゆるぎない確かな線を感じて、感動と同時に安心感を覚える。分かりやすい例でいえば、仙や蕪村、宗達と光琳の、自由自在に筆を操る手から生まれた一筆書きのようなユーモアあふれる絵。対象を消化し尽くした後に生まれる線描画である。逆に、背後にその線を感じぬものに、感動はない。

 そんな線を意識して、「大琳派展」を見る。神的な線の存在は、これまでに何度も光悦や宗達に感じてきたけれど、今回は宗達と光琳を並べて見る機会に恵まれ、ふと、ふたりの線はまったく異質なものであることに気づく。平たくいえば、宗達は線、光琳は線分ということだ。わたしは線と線分の精確な意味を知らないので、線は無限で線分は有限、というくらいの意味で使っている。その意味で、わたしは光琳が、宗達にどんなに私淑してもとうてい及ばないということを、光琳自身がはっきりと自覚していたと確信する。


● 宗達の線
 宗達の真骨頂は、画面をはみ出さんばかりの大柄な絵というよりも、宗達にとっての対象は森羅万象であり、画布は自分をとりまく空間全体であるところにある。神が手すさびに地上絵を描いたようなもの、といえばよいだろうか。実際にわたしたちが見る扇面や屏風は、あくまでもその大画布の一部にすぎない。でなければ、「舞楽図」「蔦の細道図」「和歌巻」など、体ごと吸いこまれてゆきそうに大胆な余白や、悠久の音楽のようなパターンは生まれないとおもう。宗達が無意識に引く線には、行き止まりや終点がない。
 法橋位にまでなった宗達が、その生没年月日すら不明で、人物像などほとんど分かっていないことも、神さびていていい。神は容易にその姿を見せたりしないんだわ、とおもったりする。


● 光琳の線分
 宗達の画境に到達できないことを自覚していた光琳は、独自の線を極めることを選ぶ。『光琳図案』(芸艸堂)などを見ていると、光琳の線は有限だ。かならず始点と終点がある。ところが、光琳の非凡さは、その始点と終点の位置決めにある。宗達を模写するとき、光琳は引くべき線の始点と終点を即座に見極め、さらに構図や線の量に修正を加えることによって、絵を最大限に輝かせ、躍動させる工夫をほどこしていった。ただ、光琳は線分の始点と終点を画面上(画面内)には置かなかったために、トリミングの効果は生き、有限を感じさせない仕上がりになっている。また、光琳の線分は「八橋蒔絵螺鈿硯箱」「流水図乱箱」「佐野のわたり蒔絵硯箱」など、光悦が試みたものの宗達の線では実現できなかった立体的作品を可能にし、新しい境地を拓いた。言い換えれば、宗達を超えるには光琳はあまりにも“器用すぎた”のだ。



 以上のことは、宗達が扇屋であり、光琳が呉服商出身であることも関係しているだろう。末広がりの団扇や扇面と、きものの意匠。描かれる絵が、無限と有限になるのもうなづける。宗達の地上絵はきものにどうにも納まりきらないが、光琳デザインはどこをとってもきものの意匠である。神さびて謎めいた宗達にくらべ、光琳の魅力は、見る者に「光琳でなきゃ、できない」とおもわせ、本人にまったくその気はないのに、どこまでも、何をやっても光琳が露になってしまうことにある。わたしは、光琳の隠しごとのない人間性に強烈に惹かれるのだ。


● 光琳以後
 さて、抱一と其一になると、もう写真のような世界。限られた枠にみごとな構図できっちりと納まる。線分の始点と終点も、その枠内にある。今回の展観で、抱一がそっくり模写した光悦と宗達の「和歌巻」を初めて見たが、みごとな模写にもかかわらず、不思議なことに光悦と宗達の地上絵はもうそこに存在しない。「夏秋草図」は別格としても、きれいさなら一流の抱一の魅力は、蒔絵などの小品にもっとも光っているとおもう。蒔絵師の原羊遊斎との合作などは、何度見てもすばらしい。琳派はかろうじて抱一、其一の時代までであろうと考える。


 光悦と宗達が宇宙なら、太陽系が光琳で、その恩恵を享受した星々が抱一と其一。 ‥などと、いつも突飛で愉快な想像をさせてくれるのもまた、琳派の魅力である。



 最後に‥ 神さびた線なら、現在サントリー美術館と国立新美術館で同時開催中の「巨匠 ピカソ」展でも触れることができる。わたしは、ピカソにも、宗達や光琳と同じ類の線を見ている。