「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

琳派への三つの旅 二

2008年11月22日 | 絵とやきもの
 今回は“光琳生誕350周年記念”と銘打ってあるだけに、図録の表紙も光琳の雷神がカラー刷りされています。展覧会の構成も光琳を中心に組まれているようでした。宗達、光悦の時代から百年のあとに生まれた天才です。
 なんといっても琳派の名の由来となった中心人物です。とにかく多彩な創作活動です。

 上層町衆の家に生まれ、父に分与された莫大な財産は、夢多い前半生に気ままに使い果たし、40歳を過ぎて画業一筋に精進した人生でした。
 若い日の風雅な暮しの間に身につけた教養と美意識が無形の財産となって、その作品に反映しています。それは当時としては奇抜で人々の意表をつくデザインとなって、蒔絵をはじめとする工芸品から、実弟乾山の陶器への絵付け、また小袖のデザインに至るまで、人の眼を引く光琳ブランドとして展開しています。どれも華やかで、思いっきりのよいすっきりとした印象です。

 宗達への強い憧れを抱いて模索を続けたようです。風神雷神は勿論、メトロポリタン美術館の「波涛図屏風」も宗達の「雲竜図」に描かれた波を取り出したものです。(この絵は金泥の背景でありながら、思いがけず暗い印象を与えました。13日掲載)

 光琳模様と呼ばれるデザインは、現代に通用する単純化された様式美です。その装飾性は、勿論、突然光琳によって生み出されたものではなく、長い年月を掛け、色々な路を辿って渡来した、遠くは天平から平安朝、室町、桃山を経て齎されたものではありましょうが、琳派の水紋、波濤に見られる様式美を見ていると、それらの多様なものを、日本的なものに消化、発酵させたのが光琳だったと思えてきます。光琳の生活した元禄の世が持っていた特有の時代色も背景にあることでしょう。禁裏御用達の呉服商といった生い立ちが培った美意識もあるでしょう。それらが渾然としてこの明快大胆なきらびやかな美を生み出したものです。

 乾山にも触れておかねばなりません。兄と違って実直な乾山は、陶器作りに精進し、仁清の手ほどきで、色絵も手がけています。今回、展示されていた色絵竜田川文向付は図録で想像していたよりも大きく感じました。絵も大胆で動きがありました。
 八寸の角皿に光琳が絵付けをし、乾山が画賛を記した兄弟合作の乾山焼は堂上はじめ町衆にも人気を呼んだものです。乾山の作品は展示数は少なかったものの銹絵の皿は期待通りのものでした。

 ミュージアムショップで琳派関係の図書を選んでいた私の横で、海外からの見学者が、今回は出品されていなかったのですが、光琳晩年の代表作「紅白梅図屏風」と、「燕子花屏風」のミニチュア屏風を、折ったり、縮めたりして品定めしているのが、目に入りました。私は思わず声を挙げそうになりました。折って立てられた屏風は幅が狭まることで絵に緊張感が生じ、群立するカキツバタが立体感を持って奥行きのあるリズムを生んでいたのです。
 あの紅白梅図の中央の流れも、奧に拡がって流れるのです。気づいてみれば屏風は室内に立てられる時を計算して絵が描かれていたのです。当たり前のことを、展覧会会場で、平面として展示されるのを見慣れて、この当たり前を忘れていました。
 風神雷神図もこうして眺めてみるとまた違った見え方がします。私には一つの衝撃的な発見でした。






掛軸は伊勢物語八橋図。ら衣つつなれにしましあればるばるきぬるびをしぞおもふ の場面を忠実に描いたもの

八橋蒔絵螺鈿硯箱   絵変り向付け 尾形乾山作 色絵竜田川向付