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お彼岸参りに出かけた弟のところで、名古屋の知人から贈られたという図録を見せられました。「茶人のまなざし 森川如春庵の世界」と題した300ページ大判の分厚い図録です。
名古屋市博物館が、開館30周年を迎えて、記念事業としての特別展です。
茶道の世界には遠いので、この中京地区を代表する茶人、如春庵を私は知りませんでした。
図録を借りて帰って、ページを繰るうちに、世の中にはこんな人もいるのかと驚きの連続でした。(
上の画像はバーナード・リーチ筆の如春庵像)
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黒樂茶碗 銘「時雨」重要文化財 本阿弥光悦作 17世紀
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赤樂茶碗 銘「乙御前」本阿弥光悦作 17世紀
まず、この本阿弥光悦の黒樂「時雨」と、赤樂「乙御前」の所持者だったことです。しかも、この天下の名碗「時雨」を招かれた茶会で拝見し、養父にねだって手に入れたのが、16歳のときと言うのです。その3年後には、鈍翁が「たまらぬものなり」と箱裏に記した愛らしい限りの「乙御前」をも入手しているのです。恐ろしいまでの目の持ち主です。
さらには、益田鈍翁(註1)に出会ってから、40歳近くの年の差がありながら、茶の湯を介しての忌憚のない親交は、鈍翁の他界(昭和13年の)直前まで続いています。
この鈍翁の推挙で「佐竹本三十六人歌仙絵巻」切断の折の審議委員を務め、鈍翁はじめ名だたる数寄者に混じって抽選に応募して、執念の一番籤を引き当てる強運にも恵まれています。
このころ、「紫式部日記絵詞」一巻も発見し、今では切断されたそれぞれが国宝や、重文指定を受けています。そのほかにも「元暦校本万葉集切」「狭衣物語断簡」と数々の蒐集品が出ています。
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紫式部日記絵詞断簡 第2段
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茶人としての道具の蒐集は如春庵の蒐集の中で最大のもので、光悦の「蓮下絵百人一首和歌巻断簡」はじめ、光悦の短冊など。桃山時代の黄瀬戸、織部,青磁花入(南宋時代)茶入、茶杓(註2)茶釜と網羅しており、この道の人にはまさに垂涎の展覧会と思われます。
驚きはこれら優れた蒐集品にとどまりません。古書の鑑識が一流であっただけでなく、数寄者の多くがそうであるように、如春庵も、書画、和歌俳句。作陶を手がけていますが、どれもがそれを専門とする人に引けを取らない作なのです。特に光悦の「時雨」の写しは優れたものがあり、作陶には熱心だったようです。
昭和42年、80歳を迎えて、如春庵は、蒐集品の88件を、翌年には100件を追加して名古屋市に寄贈しました。その保管場所を名古屋城に指定しています。
平成18年、幻の森川コレクションと呼ばれていた蒐集品は、一括名古屋市博物館に移されました。
今回の展覧会は、このコレクションを中心に、「茶人であり、古美術品蒐集家でもあった如春庵がかつては所持し、今は他所にあってそれぞれ高い評価を得ている茶道具・美術品を一堂に会し、森川如春庵の人とその蒐集の精華を再考しようとするもの」と記されているとおり、みごとな集大成がなされていました。
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志野茶碗 銘「大海老」森川如春庵作
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黒樂茶碗 銘「初時雨」森川如春庵作
記事は名古屋市博物館の図録に基づくものです。
註1、三井財閥の根幹を築いた実業家で、旧三井物産初代社長。近代を代表する茶人の一人。多くの古美術品を蒐集。
註2、古田織部の手製の茶杓。共筒。写真を参照ください。
註3、展覧会会期
名古屋展 4月13日まで。 会場 名古屋市博物館
東京展 10月4日から11月30日 会場 三井記念美術館