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今回の展覧会の目玉はなんといっても「風神雷神図」でしょう。京都建仁寺から宗達が、東京国立博の光琳、出光美術館から抱一、富士美術館の其一と四人の琳派のいわば代表選手が、一堂に会しての揃い踏みで展観できました。6期に分割された後半に宗達が出るので、10月末を待っていた人も多かったと思われます。
会場も風神雷神図の前は人だかりができていて、他の宗達を回って引き返しました。やはりご本家の宗達の力の前には他の雷神たちはすくんで見えました。勿論すぐれた手法と構成でそれぞれに特徴が出ているのですが、端的にいえば、小さく見えるのです。宗達の伸びやかに屈託のない明るさは、模写には失われてこじんまりと纏っていました。
あえて雷神の太鼓を外にはみ出させて空間を可能な限り大きく取った宗達に対して、光琳はバランスよく全部入れて描いています。
全く同じサイズの大きさで描かれているというのが信じられません。宙を見る宗達のまん丸の二神の目は、笑っているようにさえ見えます。光琳の向き合う視線は新日曜美術館でも触れていました。向き合うことで空間は収斂されています。さらに抱一の目は人間の目を感じさせました。構図も重心を下げて纏めています。
ここには仏教美術の約束事などどこ吹く風、神話からも解放されています。主役のほかは何もなくただ金箔の空間が拡がっています。その拡がりが宗達が大きいのです。このような絵を受け入れた時代のゆとりを思いました。
其一の二神は屏風ではなく襖に描かれていて、表と裏に雷神と風神は分けて別に描かれています。中央よりの1枚に主役を描いた後の3枚の襖には墨で雲を表現していて三者のものとは構図も異なり、丹念な暈しが洗練されています。
全作品を見終わっても、宗達のインパクトは抜群です。養源院の杉板戸に描かれた白象や、唐獅子は一度目にしたらその大きさと共に忘れられない迫力です。
ことに和歌巻の鶴下絵に光悦が三十六歌仙和歌をしたためた巻子の最終部分を、長い巻を拡げて、ふんだんに見ることができたのは嬉しいことでした。初めて見る波の表現も新鮮で空間の広がりを感じます。
鶴下絵や蔦下絵の和歌巻はは思っていた以上に迫力のあるしかも伸び伸びとした展開でした。光悦のはったりのない上品な書風も屈託がなくよくマッチしています。同様のコラボでの豪華な謡本が多数展示されていましたが、このような美本で稽古ができたら、もう少しは私の謡も上達していたかもしれません。
本阿弥光悦の「雨雲」「峯雲」の樂茶碗、群鹿蒔絵笛筒にも再会できました。やはり、溜息が出るほど美しい緊張感があります。このような道具が日常に存在した時代を遠いものに思ったことです。残念ながら今回の展示には私の好きな「蔦の細道屏風」は出ていませんでした。
<![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/17/a8bcdb8ceb9cb109e2077f0459623b80.jpg)
俵屋宗達 風神雷神図 拡大は雷神部分
<![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7d/7e583ba05414cd72af95df6cc5baa34e.jpg)
尾形光琳 風神雷神図 拡大は雷神部分
<![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/60/1515e5a009178ba06ce4a7d3fd6977a6.jpg)
酒井抱一 風神雷神図 拡大は雷神部分
鶴下絵三十六歌仙和歌巻も拡大写真があります。雑事に追われていますが空白を置き過ぎるので、気が抜けてしまわないうちにと取りあえずUPしました。
今回の展覧会の目玉はなんといっても「風神雷神図」でしょう。京都建仁寺から宗達が、東京国立博の光琳、出光美術館から抱一、富士美術館の其一と四人の琳派のいわば代表選手が、一堂に会しての揃い踏みで展観できました。6期に分割された後半に宗達が出るので、10月末を待っていた人も多かったと思われます。
会場も風神雷神図の前は人だかりができていて、他の宗達を回って引き返しました。やはりご本家の宗達の力の前には他の雷神たちはすくんで見えました。勿論すぐれた手法と構成でそれぞれに特徴が出ているのですが、端的にいえば、小さく見えるのです。宗達の伸びやかに屈託のない明るさは、模写には失われてこじんまりと纏っていました。
あえて雷神の太鼓を外にはみ出させて空間を可能な限り大きく取った宗達に対して、光琳はバランスよく全部入れて描いています。
全く同じサイズの大きさで描かれているというのが信じられません。宙を見る宗達のまん丸の二神の目は、笑っているようにさえ見えます。光琳の向き合う視線は新日曜美術館でも触れていました。向き合うことで空間は収斂されています。さらに抱一の目は人間の目を感じさせました。構図も重心を下げて纏めています。
ここには仏教美術の約束事などどこ吹く風、神話からも解放されています。主役のほかは何もなくただ金箔の空間が拡がっています。その拡がりが宗達が大きいのです。このような絵を受け入れた時代のゆとりを思いました。
其一の二神は屏風ではなく襖に描かれていて、表と裏に雷神と風神は分けて別に描かれています。中央よりの1枚に主役を描いた後の3枚の襖には墨で雲を表現していて三者のものとは構図も異なり、丹念な暈しが洗練されています。
全作品を見終わっても、宗達のインパクトは抜群です。養源院の杉板戸に描かれた白象や、唐獅子は一度目にしたらその大きさと共に忘れられない迫力です。
ことに和歌巻の鶴下絵に光悦が三十六歌仙和歌をしたためた巻子の最終部分を、長い巻を拡げて、ふんだんに見ることができたのは嬉しいことでした。初めて見る波の表現も新鮮で空間の広がりを感じます。
鶴下絵や蔦下絵の和歌巻はは思っていた以上に迫力のあるしかも伸び伸びとした展開でした。光悦のはったりのない上品な書風も屈託がなくよくマッチしています。同様のコラボでの豪華な謡本が多数展示されていましたが、このような美本で稽古ができたら、もう少しは私の謡も上達していたかもしれません。
本阿弥光悦の「雨雲」「峯雲」の樂茶碗、群鹿蒔絵笛筒にも再会できました。やはり、溜息が出るほど美しい緊張感があります。このような道具が日常に存在した時代を遠いものに思ったことです。残念ながら今回の展示には私の好きな「蔦の細道屏風」は出ていませんでした。
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2d/17/a8bcdb8ceb9cb109e2077f0459623b80.jpg)
俵屋宗達 風神雷神図 拡大は雷神部分
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/7d/7e583ba05414cd72af95df6cc5baa34e.jpg)
尾形光琳 風神雷神図 拡大は雷神部分
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/60/1515e5a009178ba06ce4a7d3fd6977a6.jpg)
酒井抱一 風神雷神図 拡大は雷神部分
鶴下絵三十六歌仙和歌巻も拡大写真があります。雑事に追われていますが空白を置き過ぎるので、気が抜けてしまわないうちにと取りあえずUPしました。
「あえて雷神の太鼓を外にはみ出させる宗達 伸びやかに屈託のない明るさ…」 目で聴く風・雷神に惹かれました。
嬉々として躍り出る雷神・風神。今まで、かき曇る天を見あげましたが、その姿はみえませんでした。おかげで想像がかたちになって躍りでて。こんな愉しげな顔をしていたのですね。
「模写はこじんまりと纏って」どうしても勢いを失う、装飾的になってますね。 宗達もboa!さんも拡大のわざ!で凄いですね。参りました。元気が出ました。
2本の筆を同時に使って波図… 意図せぬ迫力もうまれ 真似てみたいとおもいました。
一本の筆が自由にならないのに、土台無理な話と納得しました。
厚塗りの胡粉の剥落があっても、宗達の絵の迫力は圧倒的です。
和歌巻の下絵でも、遠慮なく力強く自在に書いています。鶴を真似て描いてみて、その力量に改めて脱帽でした。一見、できそうに見えるでしょう。「無謀です。勇気がある。意欲は買うけど・・・」といわれてしまいました。宗達に憧れた光琳も手も足も出なかったみたいですね。
拡大すると、違いがよくわかりますね。光悦・宗達に7部の時間を掛けて鑑賞しました。
光琳の能への造詣の深さを「白楽天屏風」に見ました。相当な演じ手だったようです。謡本の美しさに見とれていました。近松、西鶴、芭蕉を生んだ背景として光琳も生きていた元禄時代という時代の魔力のようなものを感じました。
小林秀雄がエッセイ”光悦と宗達”で記していたが光悦は光悦町と言う芸術家を創設し、家康の尊敬を平然と受けていた・・。
”琳派という名は悪い名である”という読解不可能な
ヤヤコシイ文章で終わっている琳派サポーターの小林の文章に比べ主宰の文章は明快。
17・18世紀の江戸時代は世の中、太平も、
琳派は激動の幕末はどうしていたんでしょうね?
小林秀雄のような大御所と違い、生半可の知識だから勝手な独断が可能なわけでして、深くは知らないということは幸いなるかなです。ブログだから書けることでして・・・・
さて、明治の御代に変わる40年前ぐらいに江戸琳派の酒井抱一はこの世を去っていますが、抱一の弟子其一は安政五年の没だし、その子鈴木守一も、幕末から明治に活躍して品位のある作品を残しています。酒井道一も内国博覧会や、シカゴ万博などに出品して気を吐いています。
ただ、琳派が当初から工芸意匠として深く工芸と関わってきたいわば絵模様のため、江戸後期の工芸の実力者達の仕事の中に吸収されて、絵画としての琳派は取り上げられなくなったのは事実ですが、琳派模様としてゆるぎないデザインとして存続されていきました。かくてまたわが神坂雪佳を得て、明治20年代に再生します。先ごろ亡くなった加山又蔵氏は現代の琳派を目指しておられました。
琳派サポーターとしては、今日の琳派隆盛を歓迎してやみません。