「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

山紫陽花

2006年05月30日 | 季節のうつろい


 今月の中旬ごろから咲き始めた庭の山紫陽花です。

 日本の山野に自生した紫陽花の原種です。今はヤマアジサイも、園芸種がいろいろと出ているようですが、これは亡き父が熊本は五家荘でもらってきた由緒正しい山紫陽花です。

 仄かな紅を含んだ、ほろ酔いの色合いが墨彩の仲間に好評で、挿芽用に切って差し上げるのですが、巧くいかないようです。

 相当の年数が経っていますが、背丈は1mそこそこしかありません。花の径は7cmくらい、額紫陽花の極小形で、葉は柔らかく光沢がありません。
 これから7月いっぱい、次々に小さな花をつける優れものです。

    (付録:紫陽花は花の中心の花序を囲む装飾花だけになったもの

姫令法の花(ヒメリョウブ)

2006年05月29日 | 季節のうつろい
“たつもり”(畑つ守)の別称と共に、名前負けのする木に咲く花ですが、いとおしんでいます。
 開ききった時より、まだ花を開かずに7cmほどの、小さな花穂に行儀よく整列している姿が風情があります。
 本種は、山でよく見かける遠くからでも白い花穂が目立つ木です。幹が百日紅のように剥げてツルツルになっています。

 花や木の状態と関係のない“令法”という名前に興味をそそられて調べてみました。正確ではありませんが、律令の時代に、山村の飢饉に備えて、この木の、葉を採取して貯蔵するよう令をもって布告したところから、”令法”とそのまま呼ぶようになった、というようなことが述べられていました。

 飢饉の時、穀物に混ぜ、“かてめし“として役立ったそうで、”さんなめし“という方言もあるそうですから、通常に食用にされていたものでしょう。それにしても、いにしえ人はどのような思いで”令法・りょうぶ”と名付けて呼んだのでしょう。

 庭に咲く“りょうぶ“は、コバノズイナ、アメリカズイナ、姫令法などと呼ばれる園芸種です。
 この令法も、仄かな香りのする花よりも、本種同様に、秋の紅葉を愛でて植える人もあります

日本ダービー

2006年05月28日 | 遊びと楽しみ
 出走の時刻までにと、相当あせって、3時にプールから戻ってきました。
見せ馬場に入っても、引馬の手綱を抑えるのが大変なほど、強く張った元気な馬が多いのも嬉しい日本ダービーです。

 馬にとって、生涯に一度、3歳馬の今年の頂点に立ったのは、やはり、一番人気の”メイショウサムソン“でした。
 春のクラシック皐月賞に続いての、2冠達成です。これから石橋騎手によるサムソンの時代になるのでしょうか。
 私の贔屓のアドマイヤメインは、4コーナーを過ぎて追いつかれ、鼻の差で2着でした。

 イギリスのダービー卿創設のレースにちなんで、5月末の日曜日に、東京競馬場で、行われるのを「日本ダービー」としたものです。

 京都、賀茂神社の境内で行われた競馬(くらべうま)の神事から、俳句でも競馬は初夏の季語になっています。


 今日28日は、作家で詩人の堀辰雄の忌日でした。「風立ちぬ」「かげろふの日記」「菜穂子」など、昭和10年代の後半、次第に嶮しくなる世相の中で、静謐な自己の文学を創りあげ、詩情ゆたかな小説を完成しました。今の世でも、なお多くの辰雄ファンがいます。日本ダービーの日と今年は重なってしまいました。

 旅にして聴く筒鳥も辰雄の忌   安住 敦


雨の一日

2006年05月27日 | 絵とやきもの
 今日も、まるで梅雨を思わせる雨の一日でした。
 花も水をふくんで、頭を重たげにかしげています。

 気分がうまく転換できた効用で、気持ちよくしばしの時間を机の前で過ごせました。執念を持つことと、其処から離れてみることとの兼ね合いの大事を思いました。

 例年この季節に描いてきた蝸牛ですが、今年は色を使わずに仕上げました。

 年を逐うごとに、色から離れてゆくような気がして、すこし寂しい想いをしています。墨で色が感じられるまでの表現ができれば言うことなしなのですが、とても、まだまだ到達できそうにもありません。

 もともとは、塗り重ねる油彩から出発して、その方が長かったのですから、変換の戸惑いもあります。一筋道を歩いてきた方とは見方も、とらえ方も、どこか微妙に異なります。其処のところをいつも注意されています。

 繰り返されるのは、「描きながら、迷っている。」です。一発勝負は得意技だったのですが、難しいものです。












絵を描くとき

2006年05月26日 | 絵とやきもの
 どうしてそんな気になったものか、柄にもなく人様の真似をして、一週間ブログを続けてみようと秘かに思い立ち、中身の薄い記事を書いてきました。
 初めて試みて、やれないこともないなと確認できた途端に、意欲が失せてしまいました。

 しばらく絵筆を手にしていないことが、気持の上で罪悪感のように重くなってきたのです。雨の今日は、昨日の片付けの頑張りの埋め合わせのつもりで机の前に座りました。
 ところが、筆が走らないのです。覿面に怠りの仕返しを思い知らされることになりました。今が一年で一番花の多い時季で、描いておきたい花の姿が、あれこれとあるというのに。

 先人に“美しい花“はあっても、”花の美しさ“というようなものはないとおっしゃった方がありましたが、きり取ってきた素材を前に、描き損じが溜まるばかりでした。
 虚心に”花“をみればいいものを、なんとか拵えようとあがくのがいけないと、よくよく承知はしていますが。


 描けないと、また苛立ちがつのり、引く線までが物欲しげに見えてきて、止めてしまいます。
 そこを堪えて、最後まで行くと、いつのまにか絵になるのは経験で知ってはいるのですが。

 諦めて、久しぶりにプールで思いっきり泳いできました。爽快な気分です。

片付ける

2006年05月25日 | 塵界茫々
 あまり暑くならないうちにと、好天に恵まれたこの頃は、母の初盆を迎えるための準備を始めています。

 といっても、積年の不用品の処分です。いつか使うとしまいこんで、結局使うことのなかったものが次から次と出てきます。

 どうやら、“いつか使う” “とりあえずとっておく”のが、諸悪の根源とやっと気が付きました。いつか使うものは、結局、使わないもの。とりあえずは、ゴミになる前に一段階置くだけのことで、所詮、捨てることからの逃げ道、乃至は言い訳でした。

 デスクトップのごみ箱と同じです。要するに、目の前からはファイルは見えなくなっても、ハードデスクには、ファイルはちゃんと保存されているわけで、「空にする」を操作しない限り捨てられてはいないのと同じわけです。


 ないないづくしで育った「捨てられない症候群」世代の我々にとって、この発見はまさに、コペルニクス的転回です。

 かくて、ゴミ袋5個にいっぱい。そのほか、集配を依頼しなければならないものも数点、これが今日一日分です。

小学校唱歌「夏はきぬ」

2006年05月24日 | ああ!日本語
 なつかしい昔の歌を、香HILLさんのコメントが思い出させてくれました。
♪卯の花の におう垣根に
 ほととぎす 早も来なきて
 しのびねもらす
 夏はきぬ♪

 5番まであるこの歌は、あの萬葉基礎研究に生涯をかけた、歌人佐々木信綱の作詞です。
 調べてみると、25歳(1896年)のときに発表したものでした。
 旋律は唱歌中の名曲といわれていますが、小山作之助の作曲です。

 ところで、歌詞を検索中、“大学生の国語力低下”の調査報告書の中で、この「夏はきぬ」が、調査項目になっていて、“夏がきた”とする正答率は、半数割れの47.8%となっていました。“こない”とする52%の誤答の数字を、まさかという思いで見つめました。
 (国立国語研究所、島村直己主任研究員の研究グループが、日本教育社会学会で発表したもの)

 藪空木も、白い卯の花も、すでに散ってしまいましたが、エゴの白い花と並んで、夏の訪れを告げる花であるのは、昔も、今もです。

梅花空木

2006年05月23日 | 季節のうつろい


 二三日前から、庭に出ると何かやさしい香が漂うと思っていたら、梅花空木が花を開いていました。



 谷空木とは、空木の名前を持っていても別種のようです。ネットで検索してみました。
 谷空木 (スイカズラ科・タニウツギ属)、梅花空木 (ユキノシタ科・バイカウツギ属)でした。
 利休梅とよく似ていますが、花が四弁と五弁の違いがあります。
 梅花空木は、日本に古くから自生していたと聞いていましたが、属名のPhiladelphusフィラデルファスとは、紀元前3世紀のエジプトの王「プトレマイオス2世フィラデルフォス」に捧げられた名前ともありました。  梅花空木

 ともあれ、四弁の清楚な花は、香りもすがすがしくて、花言葉の「気品、品格」が、いかにも相応しい初夏の花です。

 初夏を彩る花の中で、好きな白い花に”山法師”があります。
 柿の木に圧されて、我が家では枯れてしまった“山法師”ですが、近所の家でやや盛りを過ぎて満開です。

雨の晴れ間

2006年05月22日 | 塵界茫々

みなしぐり



 卯の花くたしの雨が続いていましたが、昨日今日はどうにか晴間があるようです。
 お寺から、納骨堂の法要があると案内があったので出かけました。

 案内状に「納骨堂法要は年一度、直接先祖様が祀られている前で供養し、また一年に一度もお参りできなかった方に代わって、縁のあるもの同士が供養しあう法要であります。」と記されていました。

 後半の文言が、遠からず我が家もそのようにならざるを得ない状況を思うとき、ずっしりと応えました。

 時間があり、体も動ける今、「倶会一処」の縁で、お参りをさせていただくことにしました。

 お寺の駐車場傍の家で、栗の木に去年の茶色のいがをつけたまま、花が咲いているのを発見し、早速一枚。

花逢忌

2006年05月21日 | 歌びとたち
 今日21日は作家、壇一雄の花逢忌です。先日訪問した老人ホーム在住の友人に教えられました。
 「火宅の人」も、もう没後30年です。私たちの青春時代と重なる、太宰治や、坂口安吾たちとともに「無頼派」とよばれた彼は、最晩年を、終の栖として択んだ福岡は能古島で過ごしています。女優の壇ふみさんは長女です。

 島の文学碑の前で毎年、5月第3日曜日に花逢忌が開かれているそうです。


 モガリ笛いく夜もがらせ花ニ逢はん

愛妻リツ子の終焉の地、小田浜を遠望する能古島に建つ文学碑には、この絶筆となった句が刻まれています。