「もののあはれ」の物語

古き世のうたびとたちへ寄せる思いと折に触れての雑感です。

白地の団扇

2005年07月31日 | 遊びと楽しみ
 光琳の時代と違って、いまどき団扇を日常生活で実用に使うのは珍しいのでしょうが、画材屋で白地のものをみつけました。
 墨彩画の友人達へのプレゼント用にもと25本を買い込み、さすがに荷物になって、汗をかくことになりました。

 来月の例会が今から心待ちされます。一足お先に、墨と絵の具の紙への具合をみるための試し描きをしてみました。すでに団扇として完成されたものですから、骨の部分に筆がひっかかって思うように走らないし、顔彩の絵の具は、はじいてうまく乗ってくれない、結局、たっぷりの墨だけで仕事をするのがよさそうでした。













花暦 その三

2005年07月30日 | 季節のうつろい
 夏休みに入って10日、今は木槿と百日紅(さるすべり)が花盛りです。
 草の花では好んで画材にする風船蔓も可愛らしい風船を風に揺らしはじめています。瑠璃茉莉も淡いブルーの花を次々に9月までつけ続けます。はじめてルリマツリの名を知ったとき、つぎつぎに五弁の花の塊りを毬状でつけてゆく所からきた命名で「瑠璃祭り」と早とちりしました。
 すこし夏ばて状で無気力を嘆いています。

それがしも 其の日暮しぞ 花木槿   一茶
木槿は『槿花一朝の夢』と日本ではその一日花を儚いものとしていますが、お隣の韓国では「無窮花」ムグンファと呼んでつぎつぎに咲き継ぐ繁栄を意味する国花とされています。














柳井の金魚提灯

2005年07月27日 | 遊びと楽しみ
 墨彩画の仲間に、「柳井に出かけたので」と金魚の形をした提灯をいただきました。
 もう7,8年も前になるでしょうか、『白壁の町並』のキャッチフレーズに誘われて柳井に出かけたことがありました。
 室町時代からの瀬戸内有数の港町で栄えた名残は、漆喰塗りの大壁と連子窓、三角の破風をおいた入母屋の屋根の連なりで、国重要伝統的建造物群として保存地区に指定されて昔日の面影を留めています。

 その折、家々の軒先に吊るされていた金魚形の提灯が可愛らしかったことを話題にしていたのを忘れていましたが、「やはり一番印象深かったから」とお土産にしてくださったものです。
 今では、ただ一人の職人さんが手作業でこの民芸品の伝統を守っておられるそうです。
竹ひごに和紙を張り、赤と墨で彩色したものです。赤の染料は伝統織物、柳井縞の染料を使用するのだそうです。8月13日の金魚提灯祭りでこれに蝋燭の灯りがともされ、白壁に映える幻想的な情景を想像しながら、軒先で風に揺らぐ提灯を眺めています。







五十年忌

2005年07月25日 | 塵界茫々
 実父の五十年忌と、実母の17年忌を弟が主催して執り行いました。両親とも末子ですので、すでに伯父、伯母は一人も在世せず代替わりしているので、私たち兄弟姉妹だけでの供養ということで集まりました。奈良の妹も家族3人で参加、広い座敷いっぱいに、故人からは孫、曾孫となる若い人々の、賑やかで、心和む、故人にとってもこの上ない法要となりました。

 その後、会食をする割烹の送迎バスで全員でお墓にまいりましたが、一族の眠る墓地が何か様変わりしているように感じました。
 聞けば、遠隔地に住む子孫が墓はそのままで遺骨を移したり、もしくは祭る人のなくなった古い墓を『倶会一處』の寄せ墓にしてあったりで、そこからくる寂寞の気配でした。
 心尽しの豪華なご馳走をいただきながらも、自分の親の17回忌まではともかく、五十回忌を営むのは、幸か不幸か考えざるを得ませんでした。父は54歳という若さで世を去ったので、当時20歳だった弟による法要です。今年満102歳の姑の十七年忌を私たち夫婦で営めるとは考えられません。

 徒然草で兼好は『思い出でてしのぶ人あらんほどこそあらめ、そもまたほどなくうせて、聞きつたふるばかりの末々は、哀れとやは思ふ。さるは、跡とふわざも絶えぬれば、いづれの人と名をだに知らず、年々の春の草のみぞ、心あらん人はあはれと見るべきを、はては、嵐にむせびし松も千年をまたで薪にくだかれ、古き墳はすかれて田となりぬ。その形だになくなりぬるぞ悲しき。』の三十段が如実に身にしみたことでした。 
 

戸畑祇園祭り

2005年07月24日 | みやびの世界
 7月の北九州はお祭り続きです。「ヤッサヤレヤレ」の小倉の太鼓の祇園。こちらは「無法松の一生」から映画化され、歌謡曲でもとりあげられて広く知られています。
 この太鼓の祇園(第3週土曜日の前後3日)を皮切りに、黒崎祇園、20~23日、戸畑祇園(第4週土曜の前後3日)と続きます。
 この中で小倉と黒崎の祇園は県指定無形民俗文化財ですが、戸畑祇園は国指定重要無形民俗文化財です。
 23日は、今年400年記念の黒崎祇園フィナーレの競演会の日と、戸畑の提灯大山笠の日とが重なりました。好みの分かれる所でしょうが、私は戸畑へ出かけました。
 昼の12本の幟を立てた京都の祇園山鉾の変形を思わせる優雅な姿から、観衆の目前でこれを解体して、夜山の姿へ変わります、高さ10メートル、12段のピラミットに309個の蝋燭を灯した提灯があっという間に鮮やかに組み上げられてゆきます。
 変身した2,5トンの山を100人の法被鉢巻の若い衆が肩で担ぎ上げて練り、走ります。「ヨイットサ、ヨイットサ」の掛け声も、また、囃子の調子も種類が多く複雑で、見ごたえ,聞き応えがあります。
 祭りの由来、歴史等お知りになりたい方はここから写真もたくさんあります。


  祭りの開始を待つ人々


幟山の走行


    きらびやかな縫い取りの見送り

夜山へ変身5段上げの準備

提灯山の走行







施餓鬼供養

2005年07月20日 | 塵界茫々
 7月は施餓鬼の月です。今日はお寺での法要に出かけました。
 
 お釈迦様の十大弟子の一人阿難尊者の説話に基づく行事で、浄土真宗以外の寺ではお盆前後に広く行われているようです。

 あれもこれもと果てもない欲望をもつ私の墜ちるところは所詮餓鬼道と思えば、いま餓鬼という苦しみの世界にいるともがらに、せめてもの供え物をして供養とし、少しでも自らも救われるならと殊勝な?心がけからです。

 お釈迦様は、施餓鬼を通してすべての人が満たされるよう、食べ物を無限に増やす方法を説かれています。多分その比喩は、私たちの生き方で、まず「足るを知る」ことの必要を説かれたものでしょう。人間の欲望を満たそうとすれば、物などいくらあっても足るはずもないわけですが、どこで踏みとどまることが出来るかが解決法だということなのでしょう。

 それともう一つが分かち合いということでしょうが、今の現実は、何億という飢えに苦しむ人々と、飽食の世界とが並存しています。この折り合いも難しいものがあります。

 阿難尊者は「多聞第一」と讃えられた存在、その阿難尊者でさえ餓鬼になるというのであれば、私たちすべては餓鬼道へ直行でしょう。

 一年のうち一回ぐらい、人間は食べることで(他の命を奪うことで)命を繋いでいるその自分の罪の深さを自覚して、食べ物に対する感謝の念を持つための供養も意味があると思います。

 自分だけで生きているわけではないけれど、自分のことを考えずには生きてゆけない、それを思い知るための儀式なのだと思いました。
 

仮名づかいのこと

2005年07月18日 | ああ!日本語
A子ちゃんへ
 お尋ねの仮名遣いのことへのお返事です。
 確かに難しいと思います。私もパソコン入力していて、あれ?どっちだったかな、と迷うことがありますし、入力が思ったように変換できないこともあります。
 私たちの世代は旧仮名遣いで教育を受けているので余計混乱します。
 第二次世界大戦が終わった次の年に、政府の定めた[現代かなづかい]を発音式かなづかいと受け取った人がほとんどです。
 おいさん→(おじいさん)、うでせう→(そうでしょう)、てふてふ→(ちょうちょう)などと改められました。
ところが、「私夏服買いに、新宿行きます。」の助詞や、はなぢ(鼻血)つづく のような仮名づかいは元のままとされました。

 もちろん一定の法則と、理論的な根拠に基づいてはいるのですが、紛らわしくて、間違いやすいのも否定できません。
 たとえば、地名の「じ」「づ」「ず」の平仮名表記の場合です。会津(あいづ)木更津(きさらづ)、沼津(ぬまづ)飯塚(いいづか)宝塚(たからづか)貝塚(かいづか)舞鶴(まいづる)安土(あづち)よく見たら判ると思いますが、[津]は「つ」、「塚」は「つか」の連濁ですね。
 
 ところが、淡路(あわじ)伊豆(いず)出雲(いずも)姫路(ひめじ)などは二語の連合による連濁とはいえないので、じ、ず、と書くのです。
 このように、紛らわしい仮名づかいは
 1、「じ・ぢ」「ず・づ」の四つの仮名の使い分け
 2、「お・う」の書き分け 例 こおり(氷) こうり(高利)
余計わからなくなったかな?

 では、早分かり? 1の四つの仮名は、「はなぢ」「かなづかい」を例にすると「はな・の・ち」「かな・の・つかい方」のように、切れ目を入れて言える言葉は、元の仮名を生かして「ぢ」「づ」と書く。
 「いちじく」「うなずく」は、「いち・の・じく」「うな・を・つく」とは言えないから、発音どうり、間違えました、発音どおりに書くのです。
 2の区別は約束を立てることが難しく、私には説明が困難です。

   練習問題
 次の仮名づかいはどちらが正しいでしょう。
片づく・片ずく   いきどおり・いきどうり   こおろぎ・こうろぎ(蟋蟀)
おおかみ・おうかみ(狼)   こづく・こずく   こんにちは・こんにちわ
じっかい・じゅっかい(10回)  じぬし・ぢぬし(地主)  おおぜい・おうぜい

 夏休みにはいりますから、泊まりの仕度でお出かけください。待っています。

  質問をMAILしてくる高校2年の姪の子への返事から引用しました。

よく似た漢字

2005年07月17日 | ああ!日本語
 パソコンの変換機能のおかげで、文字の間違いが少なくなりましたが、自分で書き物をしていて、一瞬、迷ったり、書き間違えたりをやってしまいます。
 「偶」と「遇」もその一つです。違いが「」と「」にあるだけで、字音が全く同じうえ、訓読みがないので戸惑います。

 形が違うのは意味が違うからなので、手がかりは「イ」が人に関係があり、人が並びあうことが原義と辞書にあります。そこから仲間、つれあいの意味が生まれ、配偶者、の熟語ができます。禺の持つ作り物の意味から、人と合わさって偶像、木偶(でく)。人が並び合うことから偶数、ここまではいいのですが、転じて思いがけなくから、偶然、偶発、偶成、たまたまの意味で偶感、偶詠、となると転意を覚えておくほかありません。

 遇の辶は、道を行く、思いがけなく出会うで、遭遇、千載一遇となりますが、「もてなす」や、「あしらう」の意味を持つのは憶える他はないわけです。待遇、優遇、厄介なのは遇にも、たまたまや、思いがけなくの意味があることです。
 ただし、こちらはほとんど偶の方を使っているように思います。

 「像」と「象」は、[一時的なゲンショウ]のとき、現像としているのを時々みかけます。
 現象、現像という紛らわしい熟語があるからでしょうが、どちらも訓読みを持っていません。象は動物の象を意味するときと、象嵌ぐらいしかゾウと読むことはないので、象はショウとおぼえてしまえば簡単です。
 天気はキショウ(気象)、写真はゲンゾウ(現像)です。

 今日の漢字の学習はここまで。

博多山笠

2005年07月14日 | 遊びと楽しみ
 好みが偏ってはいますが、私の身内では誰知らぬものもないお祭り好きです。京の祇園祭、、高山祭り、秋田の竿灯、青森のねぶた、と伝統のある祭りは殊に好きです。
 地元福岡の祭りではなんといっても博多祇園山笠です。毎年7月15日は、早朝四時すぎから、テレビの前です。博多の総鎮守櫛田神社に奉納のため櫛田入りする舁き山を担ぐ男衆が「10秒前、5秒前、・・・」と太鼓の鳴るまでに高潮していく顔のひたむきさがいいのです。
 タイムを競って、一番になったからといって別に賞金も賞状も出るわけでもないのに、まるで命がけのような真剣さで、ただ意地と栄誉のためにだけ5キロを重さ1トンを肩に駆け抜けるのです。
 肩で担ぐ山は北九州の戸畑、提灯山もあります。この祭りも勇壮のなかに雅があり好きな祭りです。

 7月に入ると博多の町は15日まで山笠一色です。飾り山の豪華絢爛の中、博多っ子は法被姿で動き回ります。

夏風邪の後の気分転換に、このところの降り続いた雨も上がったので、「流れ舁き」なら人出も少ないだろうと出かけてきました。詳しく知りたい方は ここ。写真も多数あります。

           土居流れの流れ舁き櫛田入り



              中州流れの先走り


 キャナルシティ飾り山 (左)

      八番 走る飾り山(右)





夏の風邪

2005年07月10日 | 塵界茫々
 古くから「夏の風邪は馬鹿しかひかない」と言われているようです。つまり、不注意で心がけの悪い者が引き込むということなのでしょう。
 私の場合は、少し「聞こし召し」た後、うたた寝をして、寒さで眼を醒ますという失態で、文字どうりの「馬鹿しか・・・」の証明です。

 見苦しい鼻水と、おかまいなしに出る咳で、土曜日の合評会を欠席にする理由にしましたが、このところの怠慢こそがその大きい原因です。
 画材に入っていけないというか、気乗りがしなくて、枚数を重ねても自分で納得がいかないスランプなのです。

 メールに添付してあとはお任せすることにしました。同好の友とは有難いものでお見舞いのメールで案じてくださいました。

 尾崎放哉は、「咳をしても一人」でしたが、当方は「あくびをしても二人」です。