今日も秋元康氏は斯く語りきである。曰く「僕はいつでも「いまそこにある偶然」が面白いなと思うんです。つまり、与えられた状況でどれだけ楽しめるかと言う話です」と。確かに思えば「日常も“偶然”が色々と重なった上での事なのだ」と考える事も出来る。話は変わるが(一応)メイン機で使っているVictorの「KD-A3」なるカセットデッキの音が何となく甘いので、試しにヘッドのトラッキングを調整してみたら音量も上り、音の輪郭も明瞭になった。ズレないように、休みの日にでもしっかり合わせよう。再度、レベル合わせだ。何となく輪郭の甘い音は「Victor特有のものか?」と思っていたが違ったようである。一通りのメンテナンスをしてから作業だ。若干、ピッチの変動もあるので、コンデンサの静電容量をもう少し、余裕を持たせても良さそうだ。現在は、最低限の静電容量で使っている。
さて「巷では?」だが、札幌市で招致をしていた2030年の冬季五輪は断念したそうだ。しかしながら2034年の大会は、諦めてはいないようで方針転換との事。そんな金があるのならば、道民の為に有意義な使い方をしてほしい。第一、その大会の開催には(今更)大義名分もないのだ。大阪万博も然りだが、そんな時代でもないのだ。それでなくとも、この前の東京大会では、IOCのバッハ会長からして、あれだけの醜態を晒しては「こんな利権まみれの五輪なんぞ、御免だ!」と言いたくもなる。コロナ禍の面倒もあったが、五輪に関わる利権構造がバレバレの案件もあり、「どうしてこれが?」の連続だった。当初の「ネオ東京」は台無しとなり、コンパクト五輪も何処吹く風だ。おまけに大会終了後は、逮捕者だらけだ。だからあの開会式にしても、「してやられた」感があり、それこそ「何故、そうなった?」だ。そんな醜態を見た後での冬季五輪である。それを望む者の気が知れん。
多幸症的な幻想を振りまくことのできない時代に万博を開催するということ
https://www.moderntimes.tv/articles/20220513-01-expo/
札幌市、五輪30年招致を断念 34年以降に方針転換
https://news.yahoo.co.jp/articles/0df83d9ce388c0bf0ad19654a3910e69e56031f7