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アストレア・レコード 全3巻(第1巻『邪悪胎動』、第2巻『正義失墜』、第3巻『正邪決戦』) 感想: 黒竜討伐など『ダンまち』本編の今後の展開に不可欠な長大なキャラ設定集!

2023-02-06 16:58:04 | ダンまち
待ちに待った『ダンまち』18巻は、蓋を開ければ、前人未到の2段階ランクアップのリュー・リオンの圧倒的な無双が物語の華だった。

完全にベルくんが越える活躍で、これは、多分、やっぱり、その前に3巻連続で出た『アストレア・レコード』を読まないとだめなんだろうな、と観念したw

で、遅ればせながら3巻、読み切った!

もともと同名のソシャゲ・シナリオのノベライズで、すでにオチについてはネットにあふれているかも・・・なのだけど、書籍としては新しいので、一応、スペース空けときます。









































で、読み切っての第一声は、

あー、これは、担当編集者がノベライズを望むはずだー

ってことだった。

確かに、今後の『ダンまち』本編の展開上、知っておかなくちゃいけない設定ばかり。

なかでも、最後も最後、第3巻の本編終了後に置かれたEXTRAが超本命。

だって、ベルくんの出自が、彼の誕生秘話がさらっと描かれていたのだからw

そりゃ、この最大級の秘密ネタを公式に書籍で読者に知らしめるためにも、その前提として、EXTRAの3人がやらかした「死の七日間」の一部始終をかいておかないわけにはいかないよなー。

すでにこのEXTRAに書かれていることはネットにあふれているので、ざっくり書いてしまうと、

この『アストレア・レコード』で、最後までアストレア・ファミリアの最大の敵であった元ヘラ・ファミリアのレベル7冒険者だったアルフィアが、実はベルくんの伯母だった。

とどのつまり、『アストレア・レコード』が刊行された理由は、この情報開示に尽きる。

もう一人のレベル7強者だった元ゼウス・ファミリアのザルドとか、ラスボスだった邪神エレボスも、終わってみれば、アルフィアという『ダンまち』にとっての最重要キャラを登場させるための引き立て役でしかなかった、ということw

で、先にベルくんのことについて書いてしまうと、

アルフィアの双子の妹のメーテリアがベルくんの(多分亡くなった)母親。

じゃあ、父親は誰かというと、ザルドの話では、彼のいたゼウス・ファミリアの下っ端でサポーターをしていた青年、ということ。

ベルくんの白い髪と優しさは母親から、
ベルくんの赤い目と逃げ足の速さ(=俊敏性)は父親から

それぞれ受け継いだものらしい。

で、どちらも冒険者としての能力はほぼゼロみたいなものだったから、だとすると、ベルくんの能力値の高さについては、その地力は、どうやら伯母のアルフィアにならったもの、ということになりそう。

つまり、ベルくんもポッと出のただのヒューマンではなかったってこと。

まぁ、ゼウスに育てられている時点で、何もないはずではないんだけどねw

加えて、父親の方は無名の冴えない冒険者だったわけだけど、でもどうやら、この人、遠い先祖が伝説の英雄アルゴォノウトだった、という噂もあるみたい。

だとすれば、何だ、ベルくん、君も実はちゃんと「よい血統の男」だったんじゃん、ってことになりそうでw

これはこれではっきりしたときには、賛否両論、現れそうw


・・・とまぁ、とにかく『アストレア・レコード』を刊行しなくちゃいけなかったのは、本編的には、この敵役のアルフィアがベルくんの伯母だったという情報に尽きる。

実際、そう思うおかげで、全3巻の中身についても納得がいったわけで。

というのも、ファンの人には悪いけど、『アストレア・レコード』の本編を読み終えての感想は、期待していたものと違ったなー、というもので、正直、あまり面白くなかったんだよね。

読みながら、これ、作者も書いてて全然楽しくないんだろうな、って感じがひしひしと伝わってくるくらい、どうでもいいキャラ描写が続いて、げんなりした。

ひとつには、タイトル通り、もっとストレートにアストレア・ファミリアの話が中心になると思っていたのだけど、実際に活躍したのは、ロキ・ファミリアでありフレイア・ファミリアだったこと。

これは正直、拍子抜けで、要するに話の半分くらいは『ソード・オラトリア』の前日譚だった。

もちろん、それはそれでありだけど、でも、フィンとかオッタルとか、ついでにいえばアスフィまで死力を尽くした結果、肝心のアストレア・ファミリア団長のアリーゼが、完全に空気の読めない残念な子、みたいになってしまった。

特に「正邪決戦」と名打たれた第3巻はひどくて、全編ほぼ戦闘シーンなわけだけど、これがとにかくつまらない。

第2巻までは、時折「ん???」と首を傾げつつも、まだなんとか読めたのだけど、第3巻の、闇派閥との全面戦争に突入して以後は、なんかもう、終始、ないわー、これはないわー、って、苦笑しないではいられなかった。

いやほんとに、これじゃない感だらけで、その最たるものが、オッタルVSザルド戦。

てかさ、オラリオの冒険者たちから「がんばってー!!!」って声援を送られるオッタルって、もう「猛者(笑)」じゃんw キャラ崩壊じゃんw

そんなオッタルは見たくなかったなぁ、強者は強者のままで毅然としてろよ、と。

ただ、このオッタルVSザルド戦も、最後のEXTRAまで読むと、VSアルフィア戦のための前座だったんだな、とわかって、無理やり納得できたのだけど。

ただね、そういう前座の描写がとにかくくどくて、これ、もっと短くできただろう、と思わざるをえない。

それも含めて、作者は、集団戦、ほんとに描くのが下手。

『ソード・オラトリア』の頃からずっとそうだけど、モブのひとりひとりに紙幅を使いすぎなんだよね。

何が読んでて辛いかって、作者が嫌々ながら書いているのが伝わってくることで。

物語の構成上、ここは、お涙頂戴でも書くしかない、って感じで、仕方なく書いている。

だから筆圧がない。

陳腐な厨二的な「禍々しいw」表現のオンパレードか、臭くて臭くて苦しくなるくらいのセリフか、甘ったるい表現が、埋め草のように続いてきて、書割り的すぎて辛い。


もっとも、こういうのは、全てのキャラに見せ場をもたせなくちゃならないソシャゲの文法に沿ったものだから、仕方ないのだろうけどね。

ソシャゲ的といえば、無駄に集団戦が多くなるのも問題で、しかもその集団戦に加わるモブたちにも、それなりの背景事情を与えようとするから、彼らの行動理由が、数が多い分、総花的で、結果陳腐なものになってしまう。

一番これはダメだろ、と思ったのは、ロートルの老人冒険者達に集団特攻させたところ。

いくら老人冒険者だからといって、死に急いで、死を美化させるのはダメだよ。


『アストレア・レコード』の中では、頻繁に「正義問答」が繰り広げられて、たしかにそれが問答であるうちは、リューをはじめとするアストレア・ファミリアの面々の逡巡につながり、ページターナーになるのだけど。

でも、最終的な結論が、「正義」とは「理想」であり、「正義は巡る」ことでいい、という、ある意味、投げっぱのオチで話を閉じるのはどうなのだろう、って思った。

その上、集団殺害事件を起こした邪神エレボスにまで「必要悪」としての正義があるように位置づけたのも。

こんな相対主義的結論で落ちにするから、なんでもアリのニヒルな相対主義者のネトウヨが生まれるんだな、って思った。

トロッコ問題まで持ち出しておいて、しかも集団殺害の大惨事まで起こした首謀者に対して、奴にも正義があった、というのはダメでしょ。

そういう意味では、さっきのロートルの集団特攻もファシズム的だし。

エレボスが、英雄を生み出すために、集団殺害に繋がる「厄災」をわざとオラリオにもたらすことで、冒険者たちのレベルアップと覚醒を促そうとする発想って、完全に卓越者だけで世界は救えるというエリート主義だからね。

こういうところも含めて、全体的に『アストレア・レコード』は、死を軽んじているのが嫌だった。

だったら「正義」なんて問うなよ?って思ったな。


・・・という具合に、読む前に想像していたリューたちアストレア・ファミリアの冒険譚からは完全に離れた内容で、読後はかなり残念な気持ちになった。

多分、それは『ソード・オラトリア』の頃から疑問に思っている、「闇派閥」というお手軽に使われる「悪のラベル」が、『アストレア・レコード』でも適当に使われていたからだと思っている。

ただ、世紀末ヒャッハーな感じで悪行を重ねる人たち、というのなら、素直にマフィアとヤクザとか使うほうがマシなんじゃないかと。

結局、『ソード・オラトリア』でも「闇派閥」って何か、って問われてないし。

一応、『アストレア・レコード』でのエレボスの語りから、何らかの「神の意志」が働いているもののようにも思えて、つまりはキリスト教における「アンチ・キリスト」のようにも思えて、だから、残すところ「黒竜」だけとなった三大クエストも、神が与えた試練のようにも思えてきて、そういう人類への災厄の、いわば身近な実行部隊として「闇派閥」が常に、冥府の神たちによって組織されているということなのかもしれないけれど。

でも、これだけ悪さをしてきて、しかもフィンあたりが常に敵認定している相手である「闇派閥」についても、もうちょっと黒幕的なものの存在を匂わせたほうがいいようには思うけどね。

どうも『ダンまち』シリーズでは、作劇に困った時、便利に使える悪行集団くらいにしか「闇派閥」が使われていないのが、どうも気になる。

でも、その闇派閥のせいで、アストレア・ファミリアはリューを除いて全滅したわけだし、フィンたちロキ・ファミリアは、逆に正義のファミリアっぽい雰囲気を醸し出していて、なんだかなー、って感じ。


という具合で、読む前に期待したリューたちの物語が、かなり希釈されたもので終わってしまって残念だった。

あと一つわかったのは、とにかく「黒竜がラスボス」ということw

最後、どうするのだろうね。

でもなぁ、作者の「悪の書けなさっぷり」を考える、黒竜ですら、実は人類や下界のことを考えてきたいい奴でした、で終わりそうな気がして怖い。

確かに、龍って、神をも超越する始原の存在、って神話、多いからね。

ただ、そういうお行儀のいい落ちでは、またぞろ、相対主義者のネトウヨを増やすだけになるのがいやかな。

そこはちゃんと凡百のファンタジーのオチを踏まえて上で締めて欲しいところ。

でないと、黒竜殺すマン!のアイズが浮かばれない。


あ、そうそう、前にリューが言ってた、「剣姫と差がついてしまった」という発言の理由が描写されていたのには苦笑いw

てか、『アストレア・レコード』内での、リューVSアイズ戦は、とにかく両者がともにバーサーカー過ぎてドン引きだったw

そういう意味では、アストレア・ファミリアのMVPは、リューでもアリーゼでも輝夜でもなく、小人族のライラだったね。

どう見ても、この当時、フィンはライラに目をかけていたと思うのだけど。

もしかして、今、本編でフィンがリリに懸想しているのって、リリの背後にライラの影を見てるからなのかもね。

そういう感じで、本編にフィードバックできるところも多かったのだけど、それらについては、また別の機会にでも。
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