120話の感想1と感想2で書いたように、多分、この物語は、『ネギま!』的に、オープンエンドのままで基本的には終わってしまう可能性が高い。
実際、驚くことに、物語は、まさに振り出しに戻ってしまって、なんと
5人に均等にチャンスがある!w
という状態になってしまっている。
いや、もちろん、今、つまり高校卒業時点では、一応、四葉が頭一つ抜け出てはいる。
けれども、それはあくまでも、高校卒業時点のことに過ぎない。
むしろ、四葉が選ばれたことで、他の姉妹が完全に一抜けしてしまう状態を封じて、まさに「幸せも五等分」の状態が生み出されてしまった。
なんていうかさ、究極的にいうと、四葉って、風太郎よりも姉妹の方を優先したわけで。
あるいは、こういってもいいかもしれないけれど、
四葉って、いわゆるハーレムものでいうところの「正妻」ポジションを、一応、取った上で、第2夫人以下もちゃんと統御する存在になってしまっている、ということかなと。
これが、一花や二乃、三玖だったら、完全に風太郎を独占してしまうだろうから。
ということは、もっといえば、このマンガが描きたかったのって、風太郎と五つ子の関係性の話では実はなく、単純に、一種の育てゲーとして、五つ子姉妹の成長の跡を愛でる類のものだったんだな、と痛感してきていた。
要するに、風太郎とのラブコメなんて、どうでもいい作品だった、ということで。
それもまた『ネギま!』と似ているところで、結局のところ、描きたかったのは、かわいい五つ子姉妹のキャラだった、ってことだよね。
でも、ただ、五つ子姉妹だけを、ポツネンと出しても、お話にはならなくて、ただの設定画にしかならないから、そこでイラストを動かすために採用されたのが、ラブコメ、という文法だった、ってことで。
そういう意味では、単純に、母・零奈の残した「五等分」が最終テーマだったってことかな、と。
もちろん、それで面白いか?と問われれば、うーん、どうだろうね?と応えるしかないのだけど。
でも、作者がやりたかったことは、実は、それだったらしい。
ミステリー仕立ての構成に、まぁ、まんまとしてやられた、ってことかね。
悔しいけど。
だってさ、たとえば、日の出祭以後のエピソードにしたって、あれは、とどのつまり、
四葉をむりやり花嫁レースの舞台に乗らせ、
五月に自分の恋心を自覚させること、
が狙いだったってことでしょ?
そうして、風太郎への恋心も「五等分」ってことになったw
いやー、思い切り、迂遠だけどね。
もしもひとつ、マジックがあるとすれば、
風太郎は、5年単位で五つ子と出会う運命にあるってことかな。
高2から見たら、
5年前に京都で五つ子(の2人? 3人?)と出会い、
5年後に、再び結婚式で五つ子に出会う、
という星の下に生まれた、ということかな。
まぁ、織姫と彦星みたいなものだよね。
だから、仮にもろもろの伏線が、それでも、一応まがりなりにも解決が図られるとしたら、改めて高2からみた5年後の時点で、回収されることになる、ということかな。
もちろん、全部ではないだろうけど。
というか、それくらいは期待させてもらいたいけど。
鐘キスとか、京都の子とか、零奈とか、・・・、ね。
そして、そうやって、この物語のテーマは
「誰も選ばない」
ということを合法化するようなラブコメの新形態を目指す、ということなんだろうな。
まぁ、読む側からすると、完全に「生殺し」だけど。
でもまぁ、それが、ソシャゲとか、ゲームとかが幅を利かす時代のマンガの新形態ってことなのかもしれない。
いや、それはあまり面白そうには見えないけど。
でも、115話から119話までの展開を見ると、作者がやりたいのはそれだったのかな、と。
もっとも、少なくとも、120話についていえば、
あ、四葉エンドって、わけではなかったんだ!
ってことがなんとなくわかって、ホッとした瞬間があったのは確かだから。
なので、答えを出さないのが答え、というのは、安易なことはまちがいないけど、でも、この物語「らしい」話なんだろうね。
その場合、漫画家は究極的には絵師でしかない、ということで。
いや、まだ、わからないところは多々あるわけだけど、その結果、五つ子の誰にも可能性がある、というままで終わるのが一つのあり方になりそうで。
少なくとも120話の内容を見ると、もう、結末はどうなるのか、というのを考えるのが馬鹿らしくなった、というのが正解かな。
なので、この、おそらく書かれるであろうオープンエンドの終わり方が、ラブコメとして正解になるのかどうか、その読者の反応を持って、審判がくだされるのだろうね。
で、そのように、最後の最後にきて、可能性がまた五等分になったのなら、では、誰に賭けるか、ということだけど、それなら、五月だな、といっておく。
四葉以上に、五月にも、報われる機会が与えられるべきだと思うから。
実際、驚くことに、物語は、まさに振り出しに戻ってしまって、なんと
5人に均等にチャンスがある!w
という状態になってしまっている。
いや、もちろん、今、つまり高校卒業時点では、一応、四葉が頭一つ抜け出てはいる。
けれども、それはあくまでも、高校卒業時点のことに過ぎない。
むしろ、四葉が選ばれたことで、他の姉妹が完全に一抜けしてしまう状態を封じて、まさに「幸せも五等分」の状態が生み出されてしまった。
なんていうかさ、究極的にいうと、四葉って、風太郎よりも姉妹の方を優先したわけで。
あるいは、こういってもいいかもしれないけれど、
四葉って、いわゆるハーレムものでいうところの「正妻」ポジションを、一応、取った上で、第2夫人以下もちゃんと統御する存在になってしまっている、ということかなと。
これが、一花や二乃、三玖だったら、完全に風太郎を独占してしまうだろうから。
ということは、もっといえば、このマンガが描きたかったのって、風太郎と五つ子の関係性の話では実はなく、単純に、一種の育てゲーとして、五つ子姉妹の成長の跡を愛でる類のものだったんだな、と痛感してきていた。
要するに、風太郎とのラブコメなんて、どうでもいい作品だった、ということで。
それもまた『ネギま!』と似ているところで、結局のところ、描きたかったのは、かわいい五つ子姉妹のキャラだった、ってことだよね。
でも、ただ、五つ子姉妹だけを、ポツネンと出しても、お話にはならなくて、ただの設定画にしかならないから、そこでイラストを動かすために採用されたのが、ラブコメ、という文法だった、ってことで。
そういう意味では、単純に、母・零奈の残した「五等分」が最終テーマだったってことかな、と。
もちろん、それで面白いか?と問われれば、うーん、どうだろうね?と応えるしかないのだけど。
でも、作者がやりたかったことは、実は、それだったらしい。
ミステリー仕立ての構成に、まぁ、まんまとしてやられた、ってことかね。
悔しいけど。
だってさ、たとえば、日の出祭以後のエピソードにしたって、あれは、とどのつまり、
四葉をむりやり花嫁レースの舞台に乗らせ、
五月に自分の恋心を自覚させること、
が狙いだったってことでしょ?
そうして、風太郎への恋心も「五等分」ってことになったw
いやー、思い切り、迂遠だけどね。
もしもひとつ、マジックがあるとすれば、
風太郎は、5年単位で五つ子と出会う運命にあるってことかな。
高2から見たら、
5年前に京都で五つ子(の2人? 3人?)と出会い、
5年後に、再び結婚式で五つ子に出会う、
という星の下に生まれた、ということかな。
まぁ、織姫と彦星みたいなものだよね。
だから、仮にもろもろの伏線が、それでも、一応まがりなりにも解決が図られるとしたら、改めて高2からみた5年後の時点で、回収されることになる、ということかな。
もちろん、全部ではないだろうけど。
というか、それくらいは期待させてもらいたいけど。
鐘キスとか、京都の子とか、零奈とか、・・・、ね。
そして、そうやって、この物語のテーマは
「誰も選ばない」
ということを合法化するようなラブコメの新形態を目指す、ということなんだろうな。
まぁ、読む側からすると、完全に「生殺し」だけど。
でもまぁ、それが、ソシャゲとか、ゲームとかが幅を利かす時代のマンガの新形態ってことなのかもしれない。
いや、それはあまり面白そうには見えないけど。
でも、115話から119話までの展開を見ると、作者がやりたいのはそれだったのかな、と。
もっとも、少なくとも、120話についていえば、
あ、四葉エンドって、わけではなかったんだ!
ってことがなんとなくわかって、ホッとした瞬間があったのは確かだから。
なので、答えを出さないのが答え、というのは、安易なことはまちがいないけど、でも、この物語「らしい」話なんだろうね。
その場合、漫画家は究極的には絵師でしかない、ということで。
いや、まだ、わからないところは多々あるわけだけど、その結果、五つ子の誰にも可能性がある、というままで終わるのが一つのあり方になりそうで。
少なくとも120話の内容を見ると、もう、結末はどうなるのか、というのを考えるのが馬鹿らしくなった、というのが正解かな。
なので、この、おそらく書かれるであろうオープンエンドの終わり方が、ラブコメとして正解になるのかどうか、その読者の反応を持って、審判がくだされるのだろうね。
で、そのように、最後の最後にきて、可能性がまた五等分になったのなら、では、誰に賭けるか、ということだけど、それなら、五月だな、といっておく。
四葉以上に、五月にも、報われる機会が与えられるべきだと思うから。