なんか急にシリアスモード?
というか、突然ギアチェンジ、アクセル全開! の予感。
不思議ちゃんミズノがそのまま不思議ワールド突入、のような感じ。
ゼロ時間の設定に、慣れてダレてきたところで、エンドレスエイトよろしく、時間を遡ってやり直しに至らせる設定はなにげにシビア。しかも、それを試みるミズノはそのやり直しの記憶を保持したまま、何度もやり直しの場面に立ちあわせられるとは。
もともとゼロ時間設定自体が、この物語の設定を舞台じみたものにしていたわけだけど、このやり直し設定で、その舞台性=ゲーム性が増した、ということだね。
それとともに、ゲーム的世界なんだから、以後もなんでもあり、だよ、という宣言のようにもみえるので、今後は、その「何でもあり」感を、どれだけ、作り手に都合よく、後出しジャンケン的には使わないか、というところに関心はいくかな(都合良く使うと、Angel Beatsの二の舞になる)。
そのゲーム性が明らかになってきたところで、おおかたの予想通り、どうやらマリノは非実在少女wということで。世界の設定がこれだけゲーム的なら、そのうちの一人や二人、誰かの意思で生み出されていてもおかしくはないってところか。
ただ、このマリノの話は丁寧にあつかってくれることを希望。
でないと、書割の、ゲーム的人工世界だから、マリノは出たり消えたりできる、ということになってしまう。それは、ちょっとね。
同じことはヘッドについても当てはまって。
バニッシング・エイジ=Vanishing Ageだから、てっきり「消え行く時代」という意味だと思ったけど、あのRのイニシャルからすると、タクトの父説もあるわけで、そうすると、「消え行く年齢→年齢なんて関係ない」ということになる。
で、突然、ヘッドvsタクト、で、時空を越えた親子対決、みたいなオチになるのか。
確かに、タクトは、爺ちゃんに言われて、この島に来たようだったから、爺さんがその息子(=タクトの父)のやろうとしていることに気づいて、その阻止のためにタクトを島にやった、ということはありえる。
彼らも「シルシを持つもの」の家系の一つとしてあった、ということで。
ただ、タクトが島の外からやってきたこと、タウバーンの存在は、綺羅星十字団からしても想定外であったことを考えると、タクトのシルシは、この島をゲーム版と捉えれば、一種のゲームマスターのポジションになる。であれば、タウバーンが毎回ゼロ時間の空間を破りながら参上するのも理解できる。いわば、ジョーカー的存在。
(このあたりは、そのままネギ君の設定にも近いような。
ホント、ゲーム盤的物語設定って増えたな。)
タクトの設定は全然明らかにされていなかったから、ヘッドの口からそのことが説明されるというのも理解できる。
で、そのヘッドはスガタのスカウトに奔走する。
多分、綺羅星の構想を話して、で、みんなでこの島から出ようぜ、みたいな感じで。
スガタからすると、タクトとは異なる方法で、ワコを島の外に出してやるために。
巫女がこの島に閉じこまれている存在で、かつ、ワコ自身はその脱出がいかに無理であるかということは、今回のミズノへの接し方からわかるように、既に知っていること。
今回のミズノの恐怖は、そのままワコがかつて経験した恐怖だったはず。
島の外に出ようとすれば強制的にやり直しモードが発動し、しかし、彼女だけにはそのやり直しの記憶が残ることで、周りにどれだけ人がいようとも、この世界には自分一人しかいないという精神的責め苦が与えられる。それは余りにも苦しい体験だから、その体験を回避するために、自ら逃げ出すことを諦めることを選択する。
これはシンドイ。
最初にあったサカナちゃんが鳥かごに入っている描写はそういうことだったわけで。
しかし、サカナちゃんが外に出たことを考えると、確かに封印が解かれると外部に出ることができる、ということで。
それが次回、ミズノの封印が解かれる背景でもある。というか、ミズノ自身によって封印を解いてくれ、と懇願しての結果になるのかもしれない。
うーん。
何にせよ、物語自体が、大きく旋回していることは間違いなくて。
1クールのEDにあった、サカナちゃんとミズノがバスの広告にでているところが結構気に入っていて、あれが残りの二人の巫女についてもあるのかな、と思っていた頃が懐かしい。
何にせよ、「起承転結」の「転」の章として、いい意味で、今までのぬるま湯のような世界をひっくり返して欲しい。
そして、そのぬるま湯の中で淡々と描かれてきた綺羅星のメンバーのサイドストーリーたちが一気に絡み合い、それまでと違うレベルに変質することを期待したい。
あとは、ミズノに災厄だけが訪れることはなきよう。
もしかしたら、そのミズノに手を差し伸ばす存在として、サカナちゃんが再度現れる、という構成なのかもしれない。
それから、マリノにも幸あらんことを。
このままフェードアウトはさすがに悲しすぎるから。
というか、突然ギアチェンジ、アクセル全開! の予感。
不思議ちゃんミズノがそのまま不思議ワールド突入、のような感じ。
ゼロ時間の設定に、慣れてダレてきたところで、エンドレスエイトよろしく、時間を遡ってやり直しに至らせる設定はなにげにシビア。しかも、それを試みるミズノはそのやり直しの記憶を保持したまま、何度もやり直しの場面に立ちあわせられるとは。
もともとゼロ時間設定自体が、この物語の設定を舞台じみたものにしていたわけだけど、このやり直し設定で、その舞台性=ゲーム性が増した、ということだね。
それとともに、ゲーム的世界なんだから、以後もなんでもあり、だよ、という宣言のようにもみえるので、今後は、その「何でもあり」感を、どれだけ、作り手に都合よく、後出しジャンケン的には使わないか、というところに関心はいくかな(都合良く使うと、Angel Beatsの二の舞になる)。
そのゲーム性が明らかになってきたところで、おおかたの予想通り、どうやらマリノは非実在少女wということで。世界の設定がこれだけゲーム的なら、そのうちの一人や二人、誰かの意思で生み出されていてもおかしくはないってところか。
ただ、このマリノの話は丁寧にあつかってくれることを希望。
でないと、書割の、ゲーム的人工世界だから、マリノは出たり消えたりできる、ということになってしまう。それは、ちょっとね。
同じことはヘッドについても当てはまって。
バニッシング・エイジ=Vanishing Ageだから、てっきり「消え行く時代」という意味だと思ったけど、あのRのイニシャルからすると、タクトの父説もあるわけで、そうすると、「消え行く年齢→年齢なんて関係ない」ということになる。
で、突然、ヘッドvsタクト、で、時空を越えた親子対決、みたいなオチになるのか。
確かに、タクトは、爺ちゃんに言われて、この島に来たようだったから、爺さんがその息子(=タクトの父)のやろうとしていることに気づいて、その阻止のためにタクトを島にやった、ということはありえる。
彼らも「シルシを持つもの」の家系の一つとしてあった、ということで。
ただ、タクトが島の外からやってきたこと、タウバーンの存在は、綺羅星十字団からしても想定外であったことを考えると、タクトのシルシは、この島をゲーム版と捉えれば、一種のゲームマスターのポジションになる。であれば、タウバーンが毎回ゼロ時間の空間を破りながら参上するのも理解できる。いわば、ジョーカー的存在。
(このあたりは、そのままネギ君の設定にも近いような。
ホント、ゲーム盤的物語設定って増えたな。)
タクトの設定は全然明らかにされていなかったから、ヘッドの口からそのことが説明されるというのも理解できる。
で、そのヘッドはスガタのスカウトに奔走する。
多分、綺羅星の構想を話して、で、みんなでこの島から出ようぜ、みたいな感じで。
スガタからすると、タクトとは異なる方法で、ワコを島の外に出してやるために。
巫女がこの島に閉じこまれている存在で、かつ、ワコ自身はその脱出がいかに無理であるかということは、今回のミズノへの接し方からわかるように、既に知っていること。
今回のミズノの恐怖は、そのままワコがかつて経験した恐怖だったはず。
島の外に出ようとすれば強制的にやり直しモードが発動し、しかし、彼女だけにはそのやり直しの記憶が残ることで、周りにどれだけ人がいようとも、この世界には自分一人しかいないという精神的責め苦が与えられる。それは余りにも苦しい体験だから、その体験を回避するために、自ら逃げ出すことを諦めることを選択する。
これはシンドイ。
最初にあったサカナちゃんが鳥かごに入っている描写はそういうことだったわけで。
しかし、サカナちゃんが外に出たことを考えると、確かに封印が解かれると外部に出ることができる、ということで。
それが次回、ミズノの封印が解かれる背景でもある。というか、ミズノ自身によって封印を解いてくれ、と懇願しての結果になるのかもしれない。
うーん。
何にせよ、物語自体が、大きく旋回していることは間違いなくて。
1クールのEDにあった、サカナちゃんとミズノがバスの広告にでているところが結構気に入っていて、あれが残りの二人の巫女についてもあるのかな、と思っていた頃が懐かしい。
何にせよ、「起承転結」の「転」の章として、いい意味で、今までのぬるま湯のような世界をひっくり返して欲しい。
そして、そのぬるま湯の中で淡々と描かれてきた綺羅星のメンバーのサイドストーリーたちが一気に絡み合い、それまでと違うレベルに変質することを期待したい。
あとは、ミズノに災厄だけが訪れることはなきよう。
もしかしたら、そのミズノに手を差し伸ばす存在として、サカナちゃんが再度現れる、という構成なのかもしれない。
それから、マリノにも幸あらんことを。
このままフェードアウトはさすがに悲しすぎるから。