BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

『五等分の花嫁』については、もう14巻の結末で評価を定めればいいだけじゃない?

2020-04-24 12:35:17 | 五等分の花嫁
最終巻の14巻も出て、単行本組もあの終幕を確認したわけだから、『五等分の花嫁』については、あの14巻の結末で「完結」ってことで、作品の出来を評価しても、もういい時期なんじゃないかな?

なんで、こんなことを言っているかというと、ときどき、いまだに、マルチエンドで他のシナリオを!とか、続編を!とか、言ってる人たちを見かけるから。

でもさ、あの結末を見たら、この作品が、単に、雰囲気としてミスリードを使っていることははっきりしたわけで。

しかも、連載の時に最後の場面を見たところで、「あれ、夢オチ?」と思わせておいて、それなりの読者から(もちろんこのブログもそうだけど)考察や非難が起こったにもかかわらず、さらに「夢オチ」の上乗せみたいなことを、14巻で「おまけ」として加えているのだから。

これ、作者も担当編集者も、もう確信犯で「思わせぶり」なことをやってるってのは、バレバレじゃない。

つまり、この作品において、伏線と思しき「思わせぶり」な場面の取り込みは、単に、その時の読者の気分を高揚させる一種の麻薬みたいなものでしななくて、あくまでも「その場限り」の興奮剤でしかなかった、ということ。

一種の炎上商法。

だから、もはや伏線の未解消や、以前の描写との矛盾点の指摘を、それこそ「アラ探し」のように行うのって、さすがに、もうなんの意味もないと思う。

そう感じるのは、たとえばアマゾンのレビュー欄とかみると、ちゃんとこれで「完結」と受け止めて良作と見ている人もいれば、駄作と断じている人たちもいることがわかるから。

もちろん、評価としては、圧倒的に、星1や星2の人たちの意見に近いけれど、でも、その一方で、あの結末で納得する人たちも大勢いるということで。

だから、単純に、駄作とか失敗作とか思ったら、そのことをきちんと表明すればいい。

で、それでも気に入らない、俺の推しが嫁にならないのはおかしい!とか言うのなら、その考える展開で、盛大に二次創作をすればいいじゃない?

少なくとも、あの結末で満足できる人たちが相当数いる以上、商業的には大成功、というのが、作者も編集者も実感していることだろうし。

もちろん、四葉が選ばれたことが全くのイミフなのは大賛成だし、

誰が選ばれたか、ということよりも伏線回収の雑さには心底呆れるけれど。

でも、それが作者の能力の限界だったと思ったほうが、読者としては健全だと思うけどな。

今までも何回か書いたけど、特に誰推しということもなく、ミステリーっぽい展開に面白さを感じたものからすれば、終わってみれば、その「ミステリーぽさ」はまさに「ぽさ」のところだけが作者&編集者の狙いであって、実際には、全然ミステリーでもなんでもなかった、ということ。

それが14巻の「おまけ」場面の追加で確定した、ということかな。

だから、『五等分の花嫁』はアマゾンレビューの星1や星2の人たちと同様に、駄作で失敗作だと思っているけど、それは、物語の構造上の問題ということで。

つまり、春場ねぎに、ストーリーテラーとしての作家性を求めても無理だということがはっきりしたってことで。

それを、自分の「推し」のエンドにしたいからといって――この傾向、意外と二乃推しや五月押しの人に多いみたいで、多分、一花は一度悪堕ちしたことで、三玖は自分の成長を認めて自己完結したことで、それぞれ推しの人も不満を言うことが一花や三玖の決意を損ねることになると思ってるからなのだろうけど――、物語の矛盾点をついて、だから書き直される、いや、書き直せ、というのは、単に、今ある結末を「否認」した上での懇願でしかないと思っている。

なので、さっぱり駄作認定して、次の良作を楽しむほうがいいだろうに。

連載しているときには一喜一憂しながら楽しむ。

で、完結したら、その受け止めには時間がかかることもあるけど、そこで終わったものとして判断する。

それくらいの距離感が大事だと思うけどな。

あと、大抵の場合、続編、っていいことはない。

すでに、物語への印象やキャラ造形の先入観があるから、物語もキャラも自由に動かせなくなるから、よっぽど物語の背景がしっかりしていない限り、たいてい、どうでもいいものになる。

マガジンで言えば、『ネギま!』に対する『UQ Holder!』がまさにそれ。

画竜点睛を欠いた作品を、蛇足で補うことなんてできない。

という意味で、『五等分の花嫁』についても、たしかにカラー版では、シュタゲのように途中から『シュタゲ・ゼロ』に分岐したように、違う時間線に分岐していく可能性はあるけれど、でも、まさに『シュタゲ・ゼロ』がそうだったように、それが良作に繋がる可能性は極めて薄い。

同様に、アニメ第2期が全く異なる展開になる可能性もあるだろうし、それは実際、『ネギま!』がアニメ版で異なるエンドを示していたはずだけど、それって、原作が連載中だったからこそできたオルタ・エンドだったと思うのだよね。

それを一度完結しているもので行うのは難しい。

なぜなら、作者監修の下で行えば、原作エンドとどっちが正史か?みたいな無駄な争いを呼び起こすだけだし、作者とは関係ないアニメの監督や脚本家が行えば、まちがいない黒歴史認定されるだけのこと。

ということで、『五等分の花嫁』については、粛々と14巻で完結したことを受け止めるだけのこと。

で、ここの判断は、あれはさすがにないわー、というものだった。

そのあたりの判断がどういったものだったかは、このブログの過去エントリを見てください。

しかし、114話の直前あたりまでの文化祭編は、連載中は面白いと思っていたけど、14巻の完結を見た後だと、あそこからもう作者&編集者は整合性のある物語の終結を諦めてしまっていて、だからこそ日の出祭の時に、前もって五つ子姉妹の個別ルートをやってとりあえず5人分、見開きでいい表情の顔を、個別ファンごとに届けていたのだと思う。

その意味で、徹底的に絵師の仕事でしかなかったってこと。

むしろ、(少なくとも連載初期においては)絵の巧さが、ストーリーテリングの上手さをも読者に期待させて、しかし、その期待に応えることができなかった、というのが真相だと思う。

天は二物を与えず。

つまりはそういうこと。
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