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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

ソードアート・オンライン 第25話 4  SAOとAWの印象の違い

2012-12-25 12:20:17 | SAO/AW
ソードアート・オンライン(SAO)が最終回を迎えたところで気になったのが、アクセル・ワールド(AW)との印象の違い。

この、SAOとAWだけど、簡単に言うと、原作を読んだ時と、映像で見た時との印象が全く逆転してしまった。

要するに、原作はAWの方が面白いと思えたのだけど、アニメにしてみるとSAOのほうが面白かった。

で、この逆転はどうして起こったのだろう?

いや、とりあえず、AWの感想の方で何度か書いた、ハルユキの頭身がどうにもおかしい、という違和感はとりあえず置いといて。あるいは、AWの方は、ちょっと顔芸が過剰でうざかったなー、というのも置いといてw

(いや、今、書きながら、この顔芸要素は結構効いてるかも、と思えてきたw)

で、何かなー、と考えて、思いついたのが、AWの方は、基本的に子供の世界の話で、しかも、その子供たちが、揃いも揃って、トラウマ持ち、ってところかな、と。

良くも悪くも、その裏返しとしての自己愛というか、ナルシスティックな部分の描写がともすれば過剰ってことで。

いわゆる、心意ワザも、要は、「心=思い」の強さ、に連動して発動するものだし。

つまり、AWって「心」や「自己」を巡る話が結構多いんだよね。

それに対して、SAOの方は、最終回のオフ会の描写で明らかになったけど、クラインやエギルって、学生ではなく社会人であって、この世界は学生だけじゃなくて、ちゃんと大人もいる世界。もっとも、社会人になってネトゲーやってるって時点で、既にイタイwやつなのかもしれないけれど、とはいえ、キリト、クライン、エギル、あたりは、多分、年齢にして、5歳から10歳ぐらいの開きがあるのだろうけど、にも拘わらず、タメ口で語り合っている。それも、ザ・シードの頒布のことから、ゲーム内の話だけではなく、リアルの世界の話も含めて。

なので、最終的なゲームのクリアは確かにキリトの功績なのだろうけど、それも、周りの面々の、心的、物理的支えがあればこそなんだよね。

ということで、SAOは、大人も子供も混じった「みんな」の世界。
そして、「みんな」の範囲も、もともとは1万人もいた、その意味では、実はよく知らない人たちも含めた「みんな」なんだよね。決してハルユキたちのネガ・ネビュラのような4-5人のチームではない。

で、ここからは、最初に気になったと書いた、ラノベとアニメで両作品の評価が入れ替わったことの原因解明になるのだけど、

AWは、個々人の心=トラウマが問題で、これに没入するには、小説の形で、あたかも告白を聞くかのように、読んで行くほうが多分適している。

ただし、それを映像にするに鬱々とした独白を動きのある映像の中に組み込まないと行けない。で、これは、正直、見る側には鬱陶しい。能美のCVの人の好演はあったものの、それだけでは足りないから、絵的に過剰な顔芸が頻繁に出てくることになる。

つまり、映像にする側からすると、心の描写を何らかの絵、しかもわかりやすい絵にしなくてはならなくて、ここでどうしても過剰になる。だって、心の描写って、小説の場合は、読み手がそれぞれにイメージして補うものだから。

加えて、AWの場合は、基本、格ゲーなので、1対1の対戦という、これもまた個人に焦点が当たってしまう。あるいは、対戦者どうしと、そのギャラリー、すなわちモブとに完全に別れてしまう。

なので、AWって、何だか、とても閉塞感を感じさせるんだよね、映像にすると。

対して、SAOの方は、格ゲーではなくRPGがベースだから、どうしたってまず「パーティ」結成というイベントが必要になる。もちろん、キリトのようにソロの攻略組もいるわけだけど、ラスボスの攻略には、一人だけでは無理、という物理的条件があるので、個々ぞという時は、集団で対処しないわけにはいかない。

その、ソロとパーティ、という二重性が、物語に幅を与えてくれる。

とはいえ、そういう構造は文章で読むと、登場人物の出入りが激しくなってあまりうまく表現はできない。でも、映像だと、例えばモブであっても、きちんと顔や体が与えられて、とりあえず、「あそこにあいつもいた」ってことは、見てる側でも把握できる。

もっといえば、原作中で紙幅の関係で書き込むことがなかった、SAOやALOの背景が、人も建物も含めてちゃんと映像にされることで、キリトのちっぽけさが、造形的も、集団的にも描くことができる。

そして、何よりも、攻略という集団戦をきっちり描くことができる。

要するに、キリトやアスナ、あるいはリーファのようなキャラクターの動きだけでなく、彼らが動きまわるSAOやALOも同時に描写されて、それが原作を読んだ時には見過ごしたりしていた世界観を与えてもくれる。

つまり、SAOの方がAWと比べて、映像にしてアドオンされた部分が多く、しかもそれが必然的なものとしてうまく機能したのだろうな、と思う。

で、こうした違いが、つまり、少年・少女の心を扱う物語か、大人と子供が入り混じった仲間と世界を扱う物語か、の違いが、原作を読んだ時の評価と、映像を見た時の評価が逆転した大きな理由なのではないかと思えてきてる。

そういう意味では、SAO二期で最初に扱われるであろう、GGOの世界の扱いには、期待と不安の両方が入り混じることになる。

というのも、GGOの世界のヒロインであるシノンは、それこそ深刻なトラウマを抱えて、そのトラウマと向き合うためにGGOというVRMMOの世界に参戦することになるから。

つまり、AWの物語パタンがSAOの世界に接木されることになる。

原作を読んだ時も、GGO編は鬱展開が多くて、結構ゲンナリしたと記憶しているし。

なんというか、この作者の筆圧の強さは、ともすれば、そういうグリグリ主人公やヒロインをいたぶるところに発揮されるところがあってw

ついでに言えば、GGOの後のマザース・ロザリオもそういうところがあってw

なので、二期は楽しみだが、同時にその出来がどうなるかに一抹の不安がある。

とはいえ、GGOのシノンは、MORE DEBAN組のリズやシリカと違ってw、SAOの中では、妹ポジションを確保しているリーファは別格として、アスナに次ぐ重要なヒロインになるので、物語に早く絡んで欲しいとは思うのだけどね。

そういう意味では、短編の「キャリバー」を、先に制作してくるといいのになー、と思う。

キリト、アスナ、リーファ、シノン、ユイ、に加え、リズ、シリカ、クラインが登場してパーティを組み、あるお宝のクエストに出かける話は、笑える所満載で、非常に楽しいのでw

これだけ、先に映像にしてくれないかな、マジでw

あ、もちろん、AWの二期も期待してる。というか、AWの方は「災禍の鎧編」こそが物語の本番だと思うので、こちらで、むしろ、SAO的なパーティやチームの結束や裏切りが描写されることに期待したいので。

ともあれ、暫くの間、SAOとAWの覇権は続くのだろうな、と思う。

原作にしても、映像にしても、楽しみに続きを待ちたいw
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