いやー、これも、今期のダークホース。
というか、暴れ馬、っていう方がいいかな。
正直いって、毎回面白いとは思わない。
むしろ、多くの回が、あまりの昭和蒸し返しテイストでうんざりさせられることの方が多い。
でも、時々、4回に1回ぐらい、おお!、って思わせられるところがあって。
その1回のために、ここまで付き合ってしまった、という感じかな。
そういう意味では、この12話は見応えがあった。
前々回あたりから、なんだまた四天王と脳筋なバトルかよ、と思っていたところで、針目の乱入で全く異なる方向へ話がずれていき、その針目が流子からすれば父の敵だった、というのは、おお、1クールで引っ張った謎をここで解明してきたか、と思ったし。
その結果、復讐心に煽られて暴走してしまった流子を平手打ちの連打で正気に戻したのがマコだったわけだけど、その直接の動機が、ケンカ部回の時のお返し、というのだから、参るw
だって、あの回、なんだよ、これー、と思うくらいアホ回だったからw
てな具合に、バカな話を画力とむちゃくちゃな展開で、つまり「勢い」だけで見せてるだけと思いきや、要所要所で、そのアホ描写も、デフォルメされた(昭和な)画風も、ちゃんと意味があった、ってことになるんだよね。
いやー、上手いのか、下手なのか、わからない無茶苦茶ぶり。
でも、間違いなく、カタルシスはある。
それも、絵、展開、構成、物語、セリフ、・・・、とそれぞれに。
そんな感じで、決してベストって思えるものではないけど、しかし、何か、常に引っかかる感じのする作品。もっとも、評価が分かれるのもわかるかな。ビミョーなところも多いしw
で、よく考えると、このキルラキルは、ある意味、アルペジオの対極にあるよね。
全編セル画にこだわったキルラキルと、全編CGで描いたアルペジオ。
その両方が、ともに物語的カタルシスを伴っている、というのは、結構考えさせられる。
昭和のカタルシスと平成のカタルシス。それらが物語的面白さではどこかで繋がってしまうわけだから。
そう思うと、どちらもラノベ原作付きの、突き詰めればイラストが動いて面白い!ぐらいの作品群へのアンチなんだろうなぁ、とも思えてくる。
いや、もちろん、ラノベ原作つきのものが全て悪いとは言わないけれど。
でも、今期であれば、ISだったり境界だったりは、ホント、止め絵にしたら格好いいシーン、エロいシーンをただつなげただけのようなものじゃない。ああいうのに対するアンチ、という感じはとてもするかな。
そういう意味では、マンガの逆襲なのかもしれないけれど。
進撃の巨人、だってマンガ原作だったしね。
マンガ的カタルシスをどうやって映像に落とすのか、それを現代的(平成的)にCGで追求したのがアルペジオなのかもしれない。
一方で、画風を徹底的に昭和的にすることで、いまどきのスカスカの、ラノベ販促用のアニメとは一線を画そうとしたのがキルラキルなのかもしれない。あるいは、進撃とかね。
そういえば、今やってるシャフトの恋物語のOPも昭和風だったな。
むしろ、昭和的な表現が同時に、頑張る、とか、番長、とか、純愛、とかの、雰囲気をしらけさせないための、安全弁としての記号なのかもしれない。
アルペジオの方は、物語の進行役をメンタルモデルという人工体にすることで、CGという表現の無表情さ、発展途上にある様子を逆手に取ることで、逆説的に、人形と人間との邂逅をリアルに表現しようとしているように。例の、タカオが「その身を捧ぐ」ところの流れは場所が深海ってこともあるけど、まんま人魚姫の展開だしね。
そう考えると、アルペジオとキルラキルが同時に登場している様子は興味深い。
残念ながらアルペジオは次回で終わりだけど、キルラキルはまだ1クール残っている。その残りで、一体どこまで物語を疾走させるのか、どんなカタルシスを与えてくれるのか。やっぱり気になる。
しかし、それにしても、針目縫のようなキャラを演じさせたら田村ゆかりの右に出るものはいないね。微妙にキャスティングがうまいところもキルラキルのいいところ。あ、その意味では、アルペジオもね。メンタルモデルたちだけでなく、群像役をジョナサン・ジョースターを演じた彼にさせたのは、その真っ直ぐ世界を見つめる目、という感じを出すためにも重要で。
いやー、ホント、この二作が同時期に出てきたのは面白いな―。
いろいろと考えさせられるよ。
というか、暴れ馬、っていう方がいいかな。
正直いって、毎回面白いとは思わない。
むしろ、多くの回が、あまりの昭和蒸し返しテイストでうんざりさせられることの方が多い。
でも、時々、4回に1回ぐらい、おお!、って思わせられるところがあって。
その1回のために、ここまで付き合ってしまった、という感じかな。
そういう意味では、この12話は見応えがあった。
前々回あたりから、なんだまた四天王と脳筋なバトルかよ、と思っていたところで、針目の乱入で全く異なる方向へ話がずれていき、その針目が流子からすれば父の敵だった、というのは、おお、1クールで引っ張った謎をここで解明してきたか、と思ったし。
その結果、復讐心に煽られて暴走してしまった流子を平手打ちの連打で正気に戻したのがマコだったわけだけど、その直接の動機が、ケンカ部回の時のお返し、というのだから、参るw
だって、あの回、なんだよ、これー、と思うくらいアホ回だったからw
てな具合に、バカな話を画力とむちゃくちゃな展開で、つまり「勢い」だけで見せてるだけと思いきや、要所要所で、そのアホ描写も、デフォルメされた(昭和な)画風も、ちゃんと意味があった、ってことになるんだよね。
いやー、上手いのか、下手なのか、わからない無茶苦茶ぶり。
でも、間違いなく、カタルシスはある。
それも、絵、展開、構成、物語、セリフ、・・・、とそれぞれに。
そんな感じで、決してベストって思えるものではないけど、しかし、何か、常に引っかかる感じのする作品。もっとも、評価が分かれるのもわかるかな。ビミョーなところも多いしw
で、よく考えると、このキルラキルは、ある意味、アルペジオの対極にあるよね。
全編セル画にこだわったキルラキルと、全編CGで描いたアルペジオ。
その両方が、ともに物語的カタルシスを伴っている、というのは、結構考えさせられる。
昭和のカタルシスと平成のカタルシス。それらが物語的面白さではどこかで繋がってしまうわけだから。
そう思うと、どちらもラノベ原作付きの、突き詰めればイラストが動いて面白い!ぐらいの作品群へのアンチなんだろうなぁ、とも思えてくる。
いや、もちろん、ラノベ原作つきのものが全て悪いとは言わないけれど。
でも、今期であれば、ISだったり境界だったりは、ホント、止め絵にしたら格好いいシーン、エロいシーンをただつなげただけのようなものじゃない。ああいうのに対するアンチ、という感じはとてもするかな。
そういう意味では、マンガの逆襲なのかもしれないけれど。
進撃の巨人、だってマンガ原作だったしね。
マンガ的カタルシスをどうやって映像に落とすのか、それを現代的(平成的)にCGで追求したのがアルペジオなのかもしれない。
一方で、画風を徹底的に昭和的にすることで、いまどきのスカスカの、ラノベ販促用のアニメとは一線を画そうとしたのがキルラキルなのかもしれない。あるいは、進撃とかね。
そういえば、今やってるシャフトの恋物語のOPも昭和風だったな。
むしろ、昭和的な表現が同時に、頑張る、とか、番長、とか、純愛、とかの、雰囲気をしらけさせないための、安全弁としての記号なのかもしれない。
アルペジオの方は、物語の進行役をメンタルモデルという人工体にすることで、CGという表現の無表情さ、発展途上にある様子を逆手に取ることで、逆説的に、人形と人間との邂逅をリアルに表現しようとしているように。例の、タカオが「その身を捧ぐ」ところの流れは場所が深海ってこともあるけど、まんま人魚姫の展開だしね。
そう考えると、アルペジオとキルラキルが同時に登場している様子は興味深い。
残念ながらアルペジオは次回で終わりだけど、キルラキルはまだ1クール残っている。その残りで、一体どこまで物語を疾走させるのか、どんなカタルシスを与えてくれるのか。やっぱり気になる。
しかし、それにしても、針目縫のようなキャラを演じさせたら田村ゆかりの右に出るものはいないね。微妙にキャスティングがうまいところもキルラキルのいいところ。あ、その意味では、アルペジオもね。メンタルモデルたちだけでなく、群像役をジョナサン・ジョースターを演じた彼にさせたのは、その真っ直ぐ世界を見つめる目、という感じを出すためにも重要で。
いやー、ホント、この二作が同時期に出てきたのは面白いな―。
いろいろと考えさせられるよ。