BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

アクセル・ワールド 第4話 『Declaration;告白』

2012-05-03 17:14:43 | SAO/AW
気がついたら5話がもう来てしまうから、今のうちに。

いや、4話は良かった。特に終盤の病院シーンになってからの畳み掛けるような演出はイイ!
文字通り、ハルユキが寝ずの番をしているところが騎士だしね。
夜が明けて、病院の中が動き始めてきたところに、今回の仇敵となるタクが現れてくる場面。あそこは、互いに「バーストリンク!」と叫ぶところが、ガンマンどおしの早打ちのようにすら見えてくる。
それに、病院の普通の風景の中で、彼ら二人だけが、別フィールドで対峙する、というのもいいね。周りが完全に平穏な空気を漂わせている分、二人の動きのコントラストも効いてくるし。

ハルユキの、あの毛布をまとっている姿は、確かに999の星野鉄郎、しかもマンガ版の方に似ている。このあたりの雰囲気の作りこみは映像にしたからこそ、という感じでとてもいい。だからこそ、ガンマン風でもあるw

映像にした良さという点では、フィジカルフルバーストの描写は、ああ、こうなるのか、と妙に納得。

原作を読んだ時は、この事故の場面は、物語も終盤に差し掛かっていて、あまり気にかけず読み飛ばしてしまったのだけど、なるほど、こんな動きになるのか、という感じ。

というか、そもそも、アバターの世界に入った時点で、リアルの自分の映像もその中に写り込んでいるというのがちょっと違和感があったのだけど、フィジカルフルバーストを描こうとすると確かに、視覚映像的には、本人とアバターが両方ないとおかしいことにはなる。なので納得。

とはいえ、このあたりの描写は冷静に考えると、ん? と思うところは多い。

本人とわからせるために、時々リアルの顔が画面に挿入されることがあるけど、それだと、なんだかアバターがバトルスーツを着ているように見えてしまって、ブレインバーストの世界ってそれでいいのか?とは思うのだよね。

つまり、リアル本人(外見)、アバター(外見)、両者を操作する本人の意志、と三つのレイヤーからなるはずだけど、最後の本人の意志、を映像で表現すると、リアルな自分の顔になってしまうのはしょうがないのだろうけど。

ただ、原作を読んでいた時は、アバター自体が本人と思っていたので(なので、コブタアバターがシルバークロウに変身するような描写があったのは納得だったけど)、いわゆる「中の人」的にリアル顔がかぶるのはどうも疑問なんだよね。それじゃ、ペルソナじゃん、ってことで。

原作を読み進めば進めるほど、シルバークロウをはじめとしたアバターは、その人自身であると理解しないとおかしい描写が多いので、この、何か着ぐるみを着ているような描写の仕方は後で矛盾してくる、というか、表現として原作で企図しているものを裏切るような感じがする。

同じ作者のソードアート・オンラインの場合だと、サイバーワールドでのアバターは本人に酷似した姿に基本的に設定される。基本的には生身の姿の映像版。だから同一のアイデンティティが保たれている。

それと同じようにブレインワールドの、一見するとパワードスーツのような外見のアバターに対しても当てはめないといけないはずなんだけど。でないと、「どうしてこんな姿になったのか?」というプレイヤーたちの自己嫌悪が伝わらないはずだから。

細かいことだけど、このあたりの描写は、この先、大事なところだと思う。

黒雪姫にしても、自身のアバターを激しく嫌っているわけだけど、パワードスーツ+中の人的な描写では、その理由が映像を見るだけでは伝わらないはずだから。

まぁ、どのアバターも口元が動かないようにできているから、絵にすると動かしにくくて、だから、リアル顔を挿入してしまうと思うのだけどね。

たとえば、シルバークロウのあの仮面の下にハルユキの顔や頭があるように想像させてはブレインワールドの描写としては失敗だと思う。つまり、ブレインワールドの世界では、ハルユキは、目も鼻も耳も口もない、のっぺらぼうの存在となっている、という風に見てる側に理解させないといけないはずで。

でないと、この先、ブレインワールドがハルユキたちに強いる過酷さが伝わらないと思う。

そして、その過酷さが伝わらないと、黒雪姫がどうしてハルユキに惹かれたのか、もわからないはずだから。

一つネタバレになるけど、ブレインワールドの世界には、一種の「時の精神の間」的な世界があって、そこでは限りないほどの時間を過ごすことができる。

だから、ブレインワールドのプレイヤーは古参であればあるほど、精神的には数十年、数百年を過ごしたことになってしまう(なっといっても体感の1000倍の速度の世界だから。7年が7000年になってしまう)。しかも、その世界にいる時は、あのアバターの姿こそが自分の姿になる。そして、それだけの時間を過ごしてしまえば、精神的には皆、中年や老年の域にまで達してしまう。

そうした経験があったからこそ、黒雪姫はハルユキの本質に恋した、ということになるわけで。

多分、このあたりがしっくりこないと、彼女がどうしてチビデブに惚れているのか、とかわからないはずなんだよね。

そういう、精神と身体のアンバランスが巻き込む悲喜劇の存在(の可能性)が、このアクセルワールドという作品の醍醐味なはずなんだけど。それが今のままだと映像では多分伝わらない。なんとかして欲しいところだなぁ。

ともあれ、次回が原作1巻の終盤なので、ここで一つの節目になるから楽しみ。

そして、6話以降で、原作とは違って、アクア・カレントが登場し、黒雪姫らの過去についても言及されていく感じかな。

しかし、このペースで行くと、1クールが終わるあたりで2巻が終了だろうから、2クールでやるのは4巻まで、もしくは、少しまいて5巻までかな。で、二期?を通じてまるまる災禍の鎧編に行く?というペースだろうか。あー、となると、綸は当然として、ういもまだ出てこないことになるのか。。。

うーん、災禍の鎧編こそじっくり見たいのだけどねー。
5巻までは、いわば長い序章のようなものなので。。。

そういう意味では、切りの良い5巻まで何とか一期でいってほしいところw

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