ようやく映画版のネギま!を見た。
で、これがネギま!最終回のPlan A(B?)だったってことを考えると、雑誌連載の方は、いい終わり方はしないのだろうなぁ、と。
映画の終わり方って、作品の中でも言ってるけど「ユートピア」。
八方丸く収めるように、クラスメイト全員と仲良く本契約。
魔法世界と現実世界がうまく融合して、ネギに至っては麻帆良学園を離れないばかりか、そのまま高等部の先生になって、担任も変わらない。
いやー、要するに、何も変わらない、どこにも痛みがない、みんなハッピー!!!なエンディング。
で、この裏、とはいわないまでも、こんなありえないほどのご都合主義的ハッピーエンドはないよ、というのが、これを先に見せた理由と考えるなら、残り3話となった雑誌連載のエンディングはいろいろな意味で「現実的」な、痛みのある「選択」のある話になるのだろうな、と。
ユートピアにかこつければ、文字通りには、ディストピアなエンディングってことか。
ザジが途中で、こんな少年漫画として破綻した終わり方は・・・、とか言っていたのもまんざらでない、っことなのだろうな。
そう考えると、このPlan Aのエンディングを先見せしたいたのは実にあざとい。こんなぬくぬくとした、ヌルーい終わり方なんてリアリティないよね?と予め問われているようで。
うーん。どうよ、これ、って感じw
ただ、映画版をみて思ったけど、やはりネギの横に明日菜がいると、他のキャラがみんな霞んでしまう。それくらい、明日菜は、ネギま!世界のもう一人の主人公ということで、彼女とネギの物語に終止させるのは、たしかにもう一つの妥当なハッピーエンディング。
問題は、そのとおりの展開を残り3話でするのかどうか。
その意味では、茶々丸に対して「愛」を語る葉加瀬とエヴァのくだりは、なかなか意味深だと思ったけど。
あとは、超が最後に出てきて、それなりに場をまとめる役割をしていたのを見ると、やっぱりネギま!は不完全燃焼だな、と思った。
というのも、同じくらい不思議キャラとしてのザジを全く活かすことが出来なかったから。ザジも超のような、物語上のワイルドカードとして使える、いわばネギま!物語世界を外側から左右できる、女神ポジションにあったのに。
超が未来世界=科学世界の代表だとすると、ザジは魔法世界、というか魔術世界の代表という位置づけになるから。ザジを超と同じようにもう一つの不思議世界の鍵を握る人物と位置づけ、麻帆良祭の超のようなトリックスターを演じる場面が「魔界編」という形であったら、ネギま!の最終回のオプションも随分変わったと思うのだよね。その意味では、魔法世界編が無用に長すぎたし、やっぱりラカンとの天下一武闘会wは蛇足だった。あそこを短縮していれば、もう少し物語にスピード感が出て広がりも保てたように感じる。
とはいえ、終ってしまったことをいろいろ言っても詮無いことは確か。
ディストピアとしてのエンディングの可能性をいかにして回避し、なんとか塩梅のいいところに落ち着けるのか。残り3話の焦点はそこにあるのだろうな。
あと、映画版と見ると、いろいろな意味で、ユエとのどかが不憫に見える。文化系って気持ちの表現手段が限られるからこういうラブコメ描写では、やっぱり体育系に負けてしまうよね。
うーん、のどかとユエが地球エレベータ公社(仮称w)に就職して奮闘する様は是非、外伝で見てみたいぞw
で、これがネギま!最終回のPlan A(B?)だったってことを考えると、雑誌連載の方は、いい終わり方はしないのだろうなぁ、と。
映画の終わり方って、作品の中でも言ってるけど「ユートピア」。
八方丸く収めるように、クラスメイト全員と仲良く本契約。
魔法世界と現実世界がうまく融合して、ネギに至っては麻帆良学園を離れないばかりか、そのまま高等部の先生になって、担任も変わらない。
いやー、要するに、何も変わらない、どこにも痛みがない、みんなハッピー!!!なエンディング。
で、この裏、とはいわないまでも、こんなありえないほどのご都合主義的ハッピーエンドはないよ、というのが、これを先に見せた理由と考えるなら、残り3話となった雑誌連載のエンディングはいろいろな意味で「現実的」な、痛みのある「選択」のある話になるのだろうな、と。
ユートピアにかこつければ、文字通りには、ディストピアなエンディングってことか。
ザジが途中で、こんな少年漫画として破綻した終わり方は・・・、とか言っていたのもまんざらでない、っことなのだろうな。
そう考えると、このPlan Aのエンディングを先見せしたいたのは実にあざとい。こんなぬくぬくとした、ヌルーい終わり方なんてリアリティないよね?と予め問われているようで。
うーん。どうよ、これ、って感じw
ただ、映画版をみて思ったけど、やはりネギの横に明日菜がいると、他のキャラがみんな霞んでしまう。それくらい、明日菜は、ネギま!世界のもう一人の主人公ということで、彼女とネギの物語に終止させるのは、たしかにもう一つの妥当なハッピーエンディング。
問題は、そのとおりの展開を残り3話でするのかどうか。
その意味では、茶々丸に対して「愛」を語る葉加瀬とエヴァのくだりは、なかなか意味深だと思ったけど。
あとは、超が最後に出てきて、それなりに場をまとめる役割をしていたのを見ると、やっぱりネギま!は不完全燃焼だな、と思った。
というのも、同じくらい不思議キャラとしてのザジを全く活かすことが出来なかったから。ザジも超のような、物語上のワイルドカードとして使える、いわばネギま!物語世界を外側から左右できる、女神ポジションにあったのに。
超が未来世界=科学世界の代表だとすると、ザジは魔法世界、というか魔術世界の代表という位置づけになるから。ザジを超と同じようにもう一つの不思議世界の鍵を握る人物と位置づけ、麻帆良祭の超のようなトリックスターを演じる場面が「魔界編」という形であったら、ネギま!の最終回のオプションも随分変わったと思うのだよね。その意味では、魔法世界編が無用に長すぎたし、やっぱりラカンとの天下一武闘会wは蛇足だった。あそこを短縮していれば、もう少し物語にスピード感が出て広がりも保てたように感じる。
とはいえ、終ってしまったことをいろいろ言っても詮無いことは確か。
ディストピアとしてのエンディングの可能性をいかにして回避し、なんとか塩梅のいいところに落ち着けるのか。残り3話の焦点はそこにあるのだろうな。
あと、映画版と見ると、いろいろな意味で、ユエとのどかが不憫に見える。文化系って気持ちの表現手段が限られるからこういうラブコメ描写では、やっぱり体育系に負けてしまうよね。
うーん、のどかとユエが地球エレベータ公社(仮称w)に就職して奮闘する様は是非、外伝で見てみたいぞw