goo blog サービス終了のお知らせ 

Time Flies Like An Arrow

55ツーキニストあらため「Time Flies Like An Arrow。」
本当に時の経つのは早いものだ。

閻王寺看板

2011年07月05日 | 標識看板史跡
Myチャリ通勤の帰宅時。

旧東海道を走ってきた。

いつもは気がつかなかった看板に目がいった。




昔、閻魔大王をご本尊とする閻王寺という寺があった。

今は閻王寺も廃寺となったが、その大王像は熊野神社の薬師堂にあるという。

この地区(有度地区)の郷土史によると閻王寺の門前は急な坂で馬に乗ったままで通り過ぎようとすると落馬するという。

これは閻魔大王に対する礼を失した事による祟りだとして参勤交代の大名でも馬を下りたそうである。

安全を願った住職は閻魔大王の胎内仏を後ろ向きにして法要を行ったところ、事故はなくなったそうである。





コメント

山の神神社

2011年06月30日 | 標識看板史跡
静岡県立美術館脇の平沢観音への道、エアライフル静岡射撃場の近くに位置する神社。






この石段は紀州の徳川家から寄進されているとのこと。

でもなぜそうなったかの由来は不明。






コメント

足柄の水

2011年05月25日 | 標識看板史跡
東名高速道路、富士山の麓、足柄SAの足柄の水。



地下200mから汲み上げているらしい。

かなり昔から設置されていた。

昔はペットボトルを何本も持って来て汲んでいる人を見かけた。

でも今日はダレも飲んでいる人も居なかった。

夏になれば又汲んでいく人もいるだろうが、有難味がだんだん薄くなってきたのかな・・・。
コメント

江尻城跡

2011年04月06日 | 標識看板史跡
江尻城の跡地です。

ワタクシの地区の隣の学区の小学校です。

江尻城は戦国時代に武田信玄によって築城されました。

しかし、、30数年間しか存在しなかったようです。



江尻小学校の塀にある江尻城趾の説明です。



この地は江尻城の二の丸辺りで町名としてその名残があります。



江尻小の正門。





正門には本丸門の表示。

コメント

石材会社のモニュメント

2011年03月06日 | 標識看板史跡




街で見かけたモニュメント。

石材会社の玄関にあるがどうにもこうにも大きすぎの埴輪

駐車スペースを完全にふさいでいる。

駐車スペースより宣伝効果を取ったか・・・。



本日の富士山、とっても綺麗であるが頂きに傘雲。

富士山に傘雲が出ると明日は雨。これ間違いなし。
コメント

2011年02月22日 | 標識看板史跡
こんな所に二つの石



近所の街角でみつけた。

一体何のための石か?

以前からあったと思うが注意してみていなかったので気がつかなかった。

車のガードのようにも見えるが。

しかもこれは道路にはみ出しているではないか。

そしてしっかりとコンクリートで固められている。

不思議だ・・・。



ニュージーランドのクライストチャーチでマグニチュード6.3の大地震。

綺麗な町が破壊された。

死者も相当数に達するようだ。

石造りの建物はほとんど壊れているようだ。



クライストチャーチはワタクシが25年前に一度訪れた街である。

とっても綺麗な街だった記憶がある。

被災者の皆さんにお見舞い申し上げます。
コメント

瓢たん塚古墳公園

2010年12月14日 | 標識看板史跡


静岡県立美術館の下にある瓢簞塚古墳公園

確かに公園としての価値はある。



然るに、↓



この写真を見るとガッカリ。

「ちかん注意の看板」やら、「収集日のごみ」など。

よくここまで景観を無視できるものだ。

地元町内の人たちは気にならないのだろうか

コメント

旧東海道碑

2010年12月11日 | 標識看板史跡

1週間ぶりのブログです。


旧東海道記念碑(2010.12.04撮影)





JR東海道線の草薙~東静岡のすぐ脇にあります。

記念碑の文章を読んでみるとなんか無理矢理作ったような感じの記念碑ですね。




この写真を撮影した日は休日出勤。

帰宅の時、普段使わない道を通ったのが間違いの元。

前から来た自転車の女性と接触。

それを避けようとして転倒、1回転して顔面から道路に突っ込んでしまった。

救急車で病院に運ばれ治療。

骨は折れていなかったが顔面擦過傷と身体全体打撲。

仕事は忙しいので休むわけにもいかず。

帰宅すると身体中が痛いのですぐに寝てしまう毎日。

今日も休日出勤したが相変わらず身体中痛い。

下半身は内出血で青あざだらけ。痛いイターイ。

早く直らないかなあ・・・。



コメント (4)

平川地

2010年11月16日 | 標識看板史跡




ワタクシのMyチャリ通勤路です。

2年前まで>「平川地一丁目」(ひらかわちいっちょうめ」と言う兄弟デュオがあった。

新潟県の佐渡出身。

幼き頃この地に在住していたのでその記憶から名前を付けたらしい。

正式には「ひらかわじ」と読む。

一丁目とか二丁目は存在しない。

この二人は今どうしているだろうか?チョット気になる。









この近辺の道路の交差点にはこのようなカエルの注意書き標識が沢山ある。

なぜにカエルなんだろう?

以前、静岡県立美術館下の交差点のカエルの交通安全人形を紹介したがこれもなぜにカエルなんだろう?

カエルは安全なんだろうか?

コメント (2)

久能寺観音道

2010年11月02日 | 標識看板史跡




Myチャリ通勤の途中、旧東海道を走ってJUSCO清水店の近くの交差点に目立たぬ石碑がある。

気にもしていなかったがふと止まって読んでみると思わぬ発見。

久能寺(現在の鉄舟寺)はその名の通り昔は久能山にあった。

この久能山という所には久能山東照宮という神社がある。

東照宮と言うとおり徳川家康を祀ってある。

家康が亡くなったとき最初に祀った東照宮である。

因みにこの久能山東照宮本殿は10月15日に国宝に指定されました。

話は戻ってこの久能山に久能寺という寺がありました。

しかし、武田信玄によって久能城という城を造営するために現在の地に移されたという。

その久能寺(現在の鉄舟寺)までの道標であるという。

明治維新に廃寺となったが、幕末の山岡鉄舟によって再興されたので鉄舟寺(てっしゅうじ)という。

そういえばワタクシの家の近くにも「これより久能道」という道標があったように記憶、調べてみよう。




コメント