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Time Flies Like An Arrow

55ツーキニストあらため「Time Flies Like An Arrow。」
本当に時の経つのは早いものだ。

山田長政供養塔

2018年05月16日 | 標識看板史跡
静岡市葵区富厚里にある、山田長政供養塔です。

山田長政は駿河国の富厚里の出身と言われている。





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静岡浅間神社

2016年05月22日 | 標識看板史跡
静岡浅間神社に行ってきました。

正月の参拝とはかなり違います。

駐車場も無料です。







朝とは言え、人出も本当に少ないです。

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間違い看板(Landsli deCenter)

2014年12月26日 | 標識看板史跡
静岡市清水区由比 地すべり管理センター



なぜ「Landsli deCenter」なんだ。

フランス語と間違えてんのか・・・?

今日はtosoyanさんを真似てみました。







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校歌碑

2014年09月29日 | 標識看板史跡
先日久しぶりに母校(I静岡県立清水東高等学校)に寄った。

正門から入ったのも久しぶり。

普段見もしないのに校歌の碑に目がいった。



作詞が土井晩翠先生だったとあらためて思い出した。

一昨年仙台に行った時、晩翠先生の最後に暮らした家晩翠草堂に立ち寄った。

周りは近代的なビルばかりなのにここだけは違和感がある。

でもそれで良いのだ。















ご存じ「荒城の月」の歌詞です。
 
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清水次郎長住居跡

2014年08月30日 | 標識看板史跡




エスパルスドリームプラザ脇にある。

清水次郎長の住居跡。と言っても、50メートルほど離れているらしいが・・・。

「清水次郎長」と言っても若い人はその名前さえ知らない人がいる時代になってしまった。

浪曲も映画でさえほとんど次郎長ものをやらなくなった。

最近では(と言っても6年ほど前)に津川雅彦監督、中井貴一清水次郎長役で次郎長三国志が製作された。

でも、若い人はほとんど見なかっただろう。

「時代の流れだなあ」とつくづく思うが、清水に住んでいる我々としては清水次郎長とは切っても切れないのである・・・。


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製餡発祥の碑

2014年02月21日 | 標識看板史跡
静岡市清水区興津。

製餡技術発祥の所です。

清水が製餡技術発祥とは知っていたが承元寺町に記念碑があることは知らなかった。

先日のさわやかウォーキングでみつけた記念碑である。





北川勇作氏頌徳碑





内藤幾太郎氏頌徳碑


興津の承元寺町の北川勇作氏は機械による製餡技術を確立。

内藤幾太郎氏は、北川氏を援助しながら自分でも開業し成功を収めた。

そして大日本製餡組合の創立発起人となった。

日本の製餡業界は、この二人が興したと言っても過言ではない。
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魚町稲荷(日本少年サッカー発祥の地)

2014年01月31日 | 標識看板史跡
ワタクシの街と巴川をはさんで反対側にあります。

魚町稲荷神社です。

清水エスパルスの出陣式が毎年行われます。



魚町稲荷神社鳥居から見た風景



大きなサッカーボールの碑



日本少年サッカー発祥の碑

      日本少年サッカー発祥の碑
 昭和三十年代,日本のサッカーは,いわゆる御三家と呼ばれた広島・ 藤枝・浦和を中心に展開していました。その頃清水は,どこにでも見 られるごく平凡な地域のひとつにすぎませんでした。
 昭和三十一年,ここ魚町稲荷神社に隣接する江尻小学校にサッカー 好きの新任教師(堀田哲爾)が赴任しました。その日から先生は子供 達と毎日運動場でボールを蹴りました。ところが,当時江尻小学校に は“ボールを,足で蹴ってはいけない”という校則がありました。 しかしサッカーの魅力にとりつかれた子供達の様子を見て,校長先生 も許可をしたのです。
 これが,『日本で初めての少年サッカーチーム』を生むきっかけに なりました。
 文部省小学校学習指導要領第三次改定(1968年)体育科のボー ル運動に“サッカー”が登場する十二年も前のことです。
江尻小を皮切りにその後,清水市内に小学生チームが次々と誕生し, 昭和四十二年には,『国内初の小学生リーグ』がスタート,指導者育 成の為コーチングスクールも開校されました。
 この年,東海四県サッカー大会が開催され,日本一のチームをつく る一貫として,清水市内の江尻小・入江小・庵原小の子供を集め選抜 チームを結成し,優勝をかざりました。これが清水FCの前身です。
 清水からは数多くのJリーガー・日本代表選手が生まれ活躍してい ます。それは当時の指導者達が長期的な視野にたち,世界に通用する 日本一の少年団チームを育成強化したからです。その後もサッカーに 関わる多くの方の献身的な活動・努力により“サッカーのまち清水” ができあがりました。
 現在では『ゆりかごから息続くまで』を合い言葉に,三歳のチャイ ルドサッカーから,年輩の方のOBリーグまで,あらゆる年代の人達 が“いつでも,どこでも,誰とでも”清水市のどこかでサッカーを楽 しんでいます。
 この碑は当地が清水のサッカーを発展させた原点の一つであり,日 本の少年サッカーチーム発祥の地である事を記念して創られました。
               平成十一年十一月十一日
          日本少年サッカー発祥の碑を創る会
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リアウィンドウの「相田みつを」

2014年01月23日 | 標識看板史跡


通勤時に前を走っていた車。

「相田みつを」をもじっている。

本当にそうですね。ゆっくり走って欲しいものです。


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鈴木梅太郎博士

2013年08月29日 | 標識看板史跡
先日静岡県立大学広場から県立図書館東側を歩いていた。

静岡県立図書館脇のとても目立たないところに鈴木梅太郎の胸像がある事に気がついた。。




ねこちゃんが見守っていました。



周りは木が生い茂って見えにくい。もうちょっと管理して欲しいなぁ。



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ちょっと判りにくい看板

2013年08月25日 | 標識看板史跡
塀に掲げられた看板。先月から気になっていました。

旧清水市民文化会館解体現場のものです。

どちらも全国大会に出場する選手達へのエールだ。






地元の人たちにはこの高校が清水桜ヶ丘高校(旧清水商業高校)であることはすぐに解ります。

しかし、他所の地域特に他県から来た人にはこの高校が何という高校なのかさっぱり解りません。

せっかく大きな看板なんだから高校名を入れてやらなければ・・・。
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