Time Flies Like An Arrow

55ツーキニストあらため「Time Flies Like An Arrow。」
本当に時の経つのは早いものだ。

魚町稲荷(日本少年サッカー発祥の地)

2014年01月31日 | 標識看板史跡
ワタクシの街と巴川をはさんで反対側にあります。

魚町稲荷神社です。

清水エスパルスの出陣式が毎年行われます。



魚町稲荷神社鳥居から見た風景



大きなサッカーボールの碑



日本少年サッカー発祥の碑

      日本少年サッカー発祥の碑
 昭和三十年代,日本のサッカーは,いわゆる御三家と呼ばれた広島・ 藤枝・浦和を中心に展開していました。その頃清水は,どこにでも見 られるごく平凡な地域のひとつにすぎませんでした。
 昭和三十一年,ここ魚町稲荷神社に隣接する江尻小学校にサッカー 好きの新任教師(堀田哲爾)が赴任しました。その日から先生は子供 達と毎日運動場でボールを蹴りました。ところが,当時江尻小学校に は“ボールを,足で蹴ってはいけない”という校則がありました。 しかしサッカーの魅力にとりつかれた子供達の様子を見て,校長先生 も許可をしたのです。
 これが,『日本で初めての少年サッカーチーム』を生むきっかけに なりました。
 文部省小学校学習指導要領第三次改定(1968年)体育科のボー ル運動に“サッカー”が登場する十二年も前のことです。
江尻小を皮切りにその後,清水市内に小学生チームが次々と誕生し, 昭和四十二年には,『国内初の小学生リーグ』がスタート,指導者育 成の為コーチングスクールも開校されました。
 この年,東海四県サッカー大会が開催され,日本一のチームをつく る一貫として,清水市内の江尻小・入江小・庵原小の子供を集め選抜 チームを結成し,優勝をかざりました。これが清水FCの前身です。
 清水からは数多くのJリーガー・日本代表選手が生まれ活躍してい ます。それは当時の指導者達が長期的な視野にたち,世界に通用する 日本一の少年団チームを育成強化したからです。その後もサッカーに 関わる多くの方の献身的な活動・努力により“サッカーのまち清水” ができあがりました。
 現在では『ゆりかごから息続くまで』を合い言葉に,三歳のチャイ ルドサッカーから,年輩の方のOBリーグまで,あらゆる年代の人達 が“いつでも,どこでも,誰とでも”清水市のどこかでサッカーを楽 しんでいます。
 この碑は当地が清水のサッカーを発展させた原点の一つであり,日 本の少年サッカーチーム発祥の地である事を記念して創られました。
               平成十一年十一月十一日
          日本少年サッカー発祥の碑を創る会
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