パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

我慢強さ

2012年03月22日 22時29分07秒 | Weblog

自分の性格は飽きっぽい、大雑把、面倒くさがりや
しかし、当たり前といえば当たり前だが
仕事の場面では案外ちゃんと(?)やっている

つくづく仕事でなかったら、
とてもできないことをしているわけだから
仕事というものは人間修行にいい!
などとは言わない

ただ仕事だから、自分だけで済まないから
他人に迷惑をかける訳にはいかないから
頑張れるのは事実
そして我慢強くならざるを得ない

さて世の中のまずまず成功した経営者
彼らの多くは自分の仕事に関して我慢強く
根気よく努力を重ねた人

しかし、彼らが本当に我慢強かったか、
と言えば必ずしもそうとは言えないのではないか

彼らが我慢強かった分野は、彼らの対象となる分野
顧客・取引先・時間的ノルマなどで
従業員には「朝と晩で言うことが違う」
「気分屋で困る」とどこでも聞こえそうな
態度に終始しているのではなかろうか

つまり、どんな人もすべての面で我慢強くなれるわけではなく
自分の仕事の分野にだけ我慢強くなれる
ということ

ホント人それぞれということ
(それがなんだ!といわれれば、別にただそんなふうに思っただけ
 と答えるしかないが、、、)

 

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曜日を間違えそう

2012年03月21日 22時01分46秒 | Weblog

週の半ばに休日が入るのは、
その週自体が短く感じられてありがたいが
休日明けの日は曜日を間違えそうだ

今日は水曜日
しかし、つい月曜のスケジュールの感覚でいた瞬間が何度かあった

人の体の中には一週間のリズムが深く刻まれているのだろうか?
それも日曜休みと言うパターンで

法律的には休みの日数さえ確保できれば
休みはいつでもいいことになるけれど
日曜の休日とそれ以外の休日とは
だいぶありがたみが違う

勿論ありがたいのは日曜が休日の方
学校や地域の様々な行事が行われたり
皆が休みであったりで
現実的にも気分的にも
そして体も休みモードに入ることができる

ユダヤ教・キリスト教が安息日を日曜として
日々の活動を制限したのは
人間の活動の持続性などから考えると
無理からぬ事

と言うより、そのリズムに人の生活が
慣れてしまったのかもしれない
(もしかしたらDNAにも組み込まれてしまったか?)

サービス業の人々の休日は日曜以外
普通の人が仕事についていて買い物ができないから
日曜日は店を開けて、店員さんが日曜出勤して
買い物の機会を提供しているのだけれど
かつてヨーロッパのある国では日曜日には
商店は開いていないことがあった
(今は?)

多少不便でも、それでもやっていけた
商店も生活者も
ならば、本当はそのままのほうがいいのでは
効率の観点からのみの判断で
休みの日数だけ確保すればいいと考えるのは
なんか違っているような気がする

しかし、そうは言ってもこの意見は極めて少数派

労働とは一体何か?
「道(どう)」と結び付けたがる日本人
だが追い求めるべき「道(どう)」は経済活動としての
個人ではなくて、キャラクターとしての自分自身の生き方
労働は、その追い求めるための生活の手段に過ぎない
と考えるのは、甘いか?



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春の一日、三渓園

2012年03月20日 20時32分01秒 | 旅・旅行

今日は東へ!
最近の旅はGWのラ・フォル・ジュルネに行かなくなったせいで
京都ばかり

そこで今日は、雑誌サライに紹介され
心ひかれた横浜三渓園に行くことにした

自宅からJR飯田線・新幹線を使って、バスを乗り継いで3時間
11時少し前に現地着
入場料は500円

門を入ると目に入ったのが

なかなか良い

でも一番感動したのはこの家を見た時

上の写真の角度ではなく、この家が目に飛び込んできた時は思わず「きれい!」
と小さく叫んだほど
同時に、「そうか、桂離宮だったか修学院離宮もこんな感じかもしれないな!」
と何の根拠もなく思ったりした
いつか必ずこの2つは行かなくては!

それにしても、何故こんなにスッキリ、開放的に、繊細に、美しく感じるのだろうか?
柱が細く繊細に見えるのか?
よくわからないが、とにかく美しいと思う

ぐるりと回っていくと

こんな建物も

門には鬼瓦と桃の意匠が

今日は天気が良くて、梅も満開、香りも辺り一面に

三重塔に登って行くと鶯が、ホーホケキョと大きな声で鳴いて
春ののどかな一日を演出

祝日(春分の日)ということで来園者も多かった
大半は梅を見に来ていたようで、撮影に勤しんでいた

今日は東へ!
と行ったわけだが、その横浜
確かに街の雰囲気も京都とは違う
京都はもっとこじんまりしてる感じ
だが横浜も東京の衛星都市みたいな感じで
折角の個性を出せないでいるような気が
フト感じられた

やっぱり現地に行ってみないと
肌で感じないと理解出来ないことがある
(多分それが正解かどうかはわからないにしても)

とりあえず、春の一日、休日の特権、自分のペースで
時間管理できることを思い切り満喫
心地良い疲れの一日だった

少し残念だったのは、帰りの新幹線
人身事故のため一時間以上の遅れが出て
せっかく購入した指定席券が無駄になってしまったこと
ま、このくらいはいいか!

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スポンサーもよく考えないと!

2012年03月19日 22時00分20秒 | Weblog

相変わらず代わり映えのしない民放のテレビ番組
こういう時には無理してみる事はないが
時々BSに切り替えて、世界の鉄道?とか世界の船旅?
みたいな番組を眺める

今日はクイーンエリザベス号のクルーズの紹介
いやはやビックリした
その室内の大きな事、豪華な事
いろんな設備が揃っているという次元を越えて
そのひとつひとつの質の高さは
筋金入りの豪華さをテレビ画面からも感じ取れた

問題はその後
画面が切り替わってCMになった時の事
吉永小百合出演のコマーシャル
その家が妙に貧弱に見えてしまった事

普段なら、こんな家に住んでみたいと
多少の憧れを催すものが
今日は丸っきり付け刃的な
軽い上面だけの豪華風にしか見えなかった

先ほどまでの真から豪華なインテリア
素材の作りに目が慣れてしまったために
つい比較をしてしまったためだ

これは自分の感覚だけれども
一人いたという事は
同じ様に感じる人間が
何人か存在するという事

スポンサーも少し考えないと
逆効果になってしまう
良いものを見た後は
劣るものがやたらと良く分かる

あの番組の場合
日本で対抗できるのは
全く違う価値観の茶室とか
本格的な数寄屋くらいのものか

それにしても、まさかこんな風に比較されるとは
スポンサーも思っていなかったかな

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「権力と支配」まさに、その通り(官僚的行政)

2012年03月18日 08時01分02秒 | 

最近、行政がらみの方と接する機会が増えてきているけれど
そこで感じるのは、行政の仕事は回りくどい。
全体像が見えにくい、渡される文章は正確であるが理解しづらい などなど

そんな折、本屋で見つけたのがマックス・ウェーバーの
「権力と支配」
まだ読み始めたばかりだが、なるほどと思う部分があった


-------------------------------------------------------------------

官僚制的行政は、知識による支配を意味する。
これこそは、官僚制に特有な合理的根本特徴なのである。
専門知識に由来する強大な権力的地位に止まらず、
官僚制(または、それを利用する首長)は、職務上の知識、
すなわち、職務上の交渉をつうじて獲得されるか、
「文書に精通した」実務知識によって、その精力をいっそう
増大させようとする傾向がある。
「職務上の秘密」ーーーその専門知識に対する関係は、
技術的知識にたいする商業経営上の秘密に、ほぼ匹敵するーーー
と言う概念は、唯一とはいえないまでも、とにかく官僚制に
特有な概念であるが、それは、このような勢力をえようとする
努力に由来するのである。

-------------------------------------------------------------------

実際、その通り。
これは国とか民族関係無しで人間本来の傾向
時代背景も関係ないということか
それに対抗するのはバイタリティ溢れる経営者群。
これもまた然り。

政治とか経営とか理想像というものが
よく話題にされるが、話題にされると言う事自体が
現在は「そうではない」ということの証拠
人類は少しも進歩していないということか
もっとも、人類は進歩などしていなくて
単に変化しているだけかもしれないが、、

 

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感じ方の違い(田舎と都会)

2012年03月17日 07時44分20秒 | Weblog

新東名の工事がこの地方でも続いている
徐々に山が削られ地肌をあらわにしている
その姿を見て、つい「痛そう!」と思ってしまう

この感覚は自分が歳を重ねた所為かもしれない
あるいは、田舎に住んでいるからかもしれない


これが都会に住んでいたなら
単純に便利になるからいいや!
とか人間の無限の可能性を垣間みる
といった感じを持ったかもしれない

確かに実際の工事現場へ行くと
その圧倒的なスケールの大きさ、どのような段取り・計画で
工事がなされていくのか、人間の知恵の凄さに驚く

しかし、一方、そこまでやる必要があるのか?
といった疑問も出てくるのは事実

地産地消という言葉がある
最近多く叫ばれる様になったが
昔は交通網が発達していなかったから
自ずと地産地消にならざるを得なかった
そこで地方の特産というものが出てきた
(万里の長城も近所の土・素材を使って作られたとのこと)

話は変わって都会の人の家を紹介するテレビ番組がある
床面積は土地が高いから、それ程大きな家にならないのは
仕方ないとして、気になるのは家の素材とか色の事

流行かどうかは知らないけれど
コンクリートのうちっぱなしとか
緊張感を要する部屋の配色
こうしたものを良しとする感覚は
少なくとも自分には無い
これは先ほどと同じ、歳を重ねたせいか、田舎に住んでいる所為か
分からないが
おそらく、後者の住んでいる環境に左右される面が多いように
自分では思う

都会はハイテンションで(田舎の人間から見れば)過ごさなければならない
そしてそのように暮らす事で、垢抜けしたり、洗練されたりするのかもしれない

だがどっぷり田舎に染まってしまった今は
正直、そんな風に見られなくてもいいや!
とか
有るもので我慢すればいいや!
と考えてしまう

なかなか難しい事だけれど
人は比較する事で、不幸になったり、目標を設定できたりする
肝心なのはバランスといってしまえば簡単なのだが
それを決めるのは、その人の個性

ということで、今日は
新東名の工事現場の山は痛そうで可哀想!
というお話でした

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西行と待賢門院と堀河局、秘めた恋の相手は?

2012年03月15日 20時09分34秒 | Weblog

NHK大河ドラマの「平清盛」の脚本は女性(?)
先週の恋愛がらみの話は妙にしっくりくるというか
お手の物といった感じ

女性陣は何故恋愛ものが好きなんだろう
タレントの誰と誰がくっついて離れてなど
男にとってはどうでもいいような話を
まるで自分事のように話す

ところで先週の佐藤義清(西行)と待賢門院のエピソード
最初に思わせぶりに待賢門院が
「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ」
と繰り返したが、これは実は堀河局の
有名な百人一首にも入っている歌

ドラマはフィクションという事?

西行の出家の原因となったのは待賢門院との秘めた恋
と言うのが割合知られているらしい
しかし、ある本に依ると待賢門院は西行より
17歳年上、最近歳の差婚が流行っているものの
はたして、、、

それより可能性のありそうなのは
先ほどの堀河局
この人は才女らしく、なかなか色っぽい歌がある

荒磯の岩にくだくる波なれやつれなき人にかくる心は
うたがひし心のうらのまさしさはとはぬにつけてまづぞ知らるる
あだ人はしぐるる夜半の月なれやすむとてえこそ頼むまじけれ

意味は分からなくても感情は感じられるような
不思議な感覚

西行と堀河のセットにっているみたいなのは
憂き世にも月に心はなぐさむをつひにいかなる闇にまどわん(堀河)
夜もすがら月を見がほにもてなして心の闇に迷うころかな(西行)

夜もすがら妻恋ひかねて小牡鹿のうらめしげなるあかつきの声(堀河)
夜もすがら妻恋ひかねてなく鹿の涙や野辺の露となる欄(西行)

こうして並べると待賢門院より
堀河の方がいい組み合わせに感じる

もっともこの情報は
松本章男著「西行」(平凡社)からの引用

ところで、西行は北杜夫と並んで好きだった辻邦生が
取り上げた人物(西行花伝)で
実はそこから興味を持ったにすぎない
芭蕉が高く評価して、天性の詩人というものの
なんとなく合わない感じだったけれど
今回の大河のおかげでちょっと時代背景も分かり
辻邦生の大作を読んでみようか!
とも思ったところ

しかし、最近は老眼がひどい
それに少々白内障気味か?
体力も低下しつつあるし
読めるうちに読んでおかないと行いけないのだけれど、、、

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男子サッカーもロンドン五輪出場決定!

2012年03月14日 22時26分50秒 | サッカー

最終戦、勝つか引き分けでロンドン五輪に出場が決まる国立競技場での試合
2-0でバーレーンに勝ち、ホッとしたところ

もっとも負ける感じはしなかったが!
(と言っても仕事の関係で後半からのテレビ観戦)


お気に入りの扇原は今日はデッカイ仕事をした
あの一点で随分気楽になれた

清武のシュートも素晴らしい弾道だった

しかし、結果として連続出場の記録は続く事になったが
このチーム、見ててなんかストレスが貯まりそう
監督がプレーする訳ではないが
チームカラーは監督の色を何故か反映する
その関塚さんのカラーがどうも好きになれないからだ

現実的な結果を導きだしたのだから
それなりの監督でしょう
でも無責任な言い方だけれど
好きじゃない

今のA代表の新しい感じのサッカーというより
岡田さんのサッカーみたいで
後ろからのボールが、上手くバトンリレーみたいにつながらず
ブツブツと切れて相手が読みやすいリズムで運ばれる

岡田さんも関塚さんも似たようなサッカーをするのだから
日本人のサッカーはあんな感じなのかな

バルサでもプレミアリーグでも前に運ぶスピードが違う
止まった姿勢で縦にパスではなく
走りながら前にパス
だからダイナミックに見える
日本はそうしたときカットされると逆襲を食らうから
安全策をとるためにボールをドリブルで運ぶ事を嫌うのかな

この年代、香川もOKらしいけど
香川が活きるのは仲間にキープ力のある選手がいる場合
彼はゲームメーカーではなくシャドウストライカーみたいな感じで
なまじっか日本で言う指司令塔みたいな役回りを
要求されると上手くいかない気がする

今から変な心配はする事は無いが
オリンピックの楽しみ方としては単に勝ち負けよりも
もっと若さに溢れた、自分のいいところを出しっぱなし
多少荒削りでも可能性のありそうな人材を捜す方が
楽しそう

さてこの日本のチームの中で次のA代表になるのは誰か?

 

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Facebookと仕事とサラリーマン

2012年03月12日 20時56分48秒 | Weblog

TwitterもそうだがFacebookも仕事に使えるツールであると言われている
どの程度の関係で友達として扱うかは
その人がFacebookで何をしたいかによって変わってくる

最初から仕事に使おうとする人なら
それこそ名刺交換位の気楽さで友達リクエストをして
数は力(政治じゃないが)と考え
自ら発信した情報の拡散を望む

そして、これがかなり効率的であると考えると
人にもFacebookの仕事上での使用を勧める事になる

ところがこのように仕事としてSNSの活用を考えるのは
経営者と言われる人々に限られるのではないだろうか?

実際のところ経営者はいいが、普通の人
サラリーマンは仕事に(頻繁に)使うのだろうか(使う気になるのだろうか?)
性格に依ると言ってしまえばそれまでだが
馬鹿げた事は書けないし、自分の関心外の事を仕事だからといって
アップし続けるのは少し辛い
確かに費やす時間が一番大きくて無視できない存在である
仕事というものではあるけれど
人の関心のある分野が必ずしも仕事とは限らない

人の個性はお金の使い方に現れる
お金の稼ぎ方は割合パターン化していても
使い方は本当に千差万別だ
それと同じ様に人の関心も経営者が望む様に
仕事の事ばかりでないのも事実だ

もっと正直に言えば
人は(サラリーマンは)自分の名前と言う職業を
実行しているのであって
であるならFacebookの内容は彼の仕事(関心事)に偏ったところで、
個人事業主として自分の仕事にで活用していると解釈すれば
それは何ら不思議な事ではないし
不真面目な事でもない

話は戻って仕事に使えるからと言って
仕事の話ばかりじゃ、投稿を読む人が少々キツい
と言って、たわいもない話ばかりでは
これもまたつまらない

要はバランスということになるのだろうけれど
そこまで気を使って何かするのも楽しくない

日本人は(と自分を基準に拡大解釈するのは違うかもしれないが)
まず友達という概念を、そんなにフランクに持つ事ができない
そしてFB上の友達は、本当に知っている間柄で
単に距離的に離れていて会えないから
こうしたツールを使って交流しているパターンが多いのではないだろうか?

もっともこれは女性の間では違うかもしれない

またどうでもいい事をゴチャゴチャ
話の整理もつかないまま取り上げているけれど
要はFacebookの仕事上の活用は経営者とサラリーマンでは
大きく違うという事

実際のところ隠そうとしても
その人の個性というものはFacebookには現れるものだ
だからこそ、あいつらしいや!
と認めてもらえる人だけを友達としたいが、、、
今の若い人たちは自分らとは違った感覚を持つのだろうか?

 

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Jリーグ開幕

2012年03月10日 21時01分41秒 | サッカー

開幕戦は接戦が多い
中断期間を挟んだ時も同じ様に接戦が多い
だから今日の試合が一点差で勝負がついたり
引き分けだったのはある程度予想できる範囲

テレビで見たのは
昼のグランパス1-0エスパルスと
夜の大宮0-1FC東京の試合

最初の試合のPKは自分が審判でも吹くかな
といった感じであんなもの
確かにグランパスは点を取られる雰囲気は無かった
負けたとは言えエスパルスも
昨年みたいな守備がボロボロみたいなところは
今のところ無し
そこそこの成績か

大宮は前半決定機に権田のスパープレーで防がれたのが大きかった
ルーカスのシュートは素晴らしいにつきる
それにしても日本人のシュートは下手だな
決定力が無いというより、練習不足、イメージ不足
もっと決定力を上げる練習方法はありそうな気がするが、、、

日本の練習は決定的チャンスを作る方に重きを置かれている
それが国民性と言うか好みと言ってしまえばそれまでだが
決定力を上げる(シュート力)には
何か方法がありそうなのでは

それとミドルシュートを試みる数が少なすぎる
出会い頭、ヤケクソのスーパーミドルシュートはあっても
狙って枠にパスというのは少ないようで
キック力以前にもう少しトライする姿勢を育てなきゃ

 

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