パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

曜日を間違えそう

2012年03月21日 22時01分46秒 | Weblog

週の半ばに休日が入るのは、
その週自体が短く感じられてありがたいが
休日明けの日は曜日を間違えそうだ

今日は水曜日
しかし、つい月曜のスケジュールの感覚でいた瞬間が何度かあった

人の体の中には一週間のリズムが深く刻まれているのだろうか?
それも日曜休みと言うパターンで

法律的には休みの日数さえ確保できれば
休みはいつでもいいことになるけれど
日曜の休日とそれ以外の休日とは
だいぶありがたみが違う

勿論ありがたいのは日曜が休日の方
学校や地域の様々な行事が行われたり
皆が休みであったりで
現実的にも気分的にも
そして体も休みモードに入ることができる

ユダヤ教・キリスト教が安息日を日曜として
日々の活動を制限したのは
人間の活動の持続性などから考えると
無理からぬ事

と言うより、そのリズムに人の生活が
慣れてしまったのかもしれない
(もしかしたらDNAにも組み込まれてしまったか?)

サービス業の人々の休日は日曜以外
普通の人が仕事についていて買い物ができないから
日曜日は店を開けて、店員さんが日曜出勤して
買い物の機会を提供しているのだけれど
かつてヨーロッパのある国では日曜日には
商店は開いていないことがあった
(今は?)

多少不便でも、それでもやっていけた
商店も生活者も
ならば、本当はそのままのほうがいいのでは
効率の観点からのみの判断で
休みの日数だけ確保すればいいと考えるのは
なんか違っているような気がする

しかし、そうは言ってもこの意見は極めて少数派

労働とは一体何か?
「道(どう)」と結び付けたがる日本人
だが追い求めるべき「道(どう)」は経済活動としての
個人ではなくて、キャラクターとしての自分自身の生き方
労働は、その追い求めるための生活の手段に過ぎない
と考えるのは、甘いか?



コメント
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