ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」が
あらゆる作品の中で一番好きかも知れない
ドイツ語で読みこなしたら日本語とはもう少し違った印象を
受けるかもしれないが、高橋健二氏の日本語訳は十分すぎるほど
自分の心をうった
最終的にロマンティック過ぎる結末
ヨーロッパ人の仏教解釈
みたいな言われ方をされることがあっても
自分にとってはかけがえのない作品だ
ところでヘッセは優しい
年をとった人に語りかける文章に出会った
***********************************************************************
この詩集を持つ友に(1942年)
もう伝説のようになっている少年のころから
私を動かし喜ばしたことのあるものを、
考えたことや、夢見たことや、
祈りや、求愛や、嘆きなどにちなむ
たまゆらな、色とりどりの落ち穂を、残らず
あなたはこのページの数々に見出します。
それが好ましいものか、無益なものかは、
あまりむきになって問わないことにしましょう
やさしく受け入れて下さい、この古い歌を!
私たち、年とったものにとっては、
過ぎ去ったものの中にたたずむことは、許されており、慰めにもなります。
この数千行の詩句の背後には
一つの命が花咲いているのです。かつてはそれは甘美だったのです。
こんなつまらないものにかまけたことを
追及されたとしても、私たちは、
ゆうべ飛んだ飛行士よりも、
血にまみれた痛ましい大軍よりも、
この世界の偉大な支配者たちよりも、
かるがると自分の荷物を背負っているでしょう。
***********************************************************************
これが正確に何を言おうとしているかは
理解できていないかもしれない
しかし、言わんとすることはとても共感できる
同じように優しいまなざしの詩
詩集「夜の慰め」から
***********************************************************************
慰め
数多くの年々が
過ぎ去り、何の意味も持たなかった。
何ひとつ私の手もとに残っているものはなく、
何ひとつ私を楽しめるものはない。
限り知れぬ姿を
時の流れは私のところへ運んで来た。
私はどれ一つとどめることができなかった。
どれ一つとして私に優しくしてくれなかった。
よしやそれらの姿は私からすべり去ろうと、
私の心は深く神秘的に
あらゆる時をはるかに越して
生の情熱を感じる。
この情熱は意味も目あても持たず、
遠近の一切を知り、
戯れている時の子どものように
瞬間を永遠にする。
***********************************************************************
そんなはずではなかった
多くの人が感じるであろう自分の運命に関する少しの後悔
それは自分の努力不足だったかもしれない
あるいはちょっとばかりの運がなかったためかもしれない
そんな頑張れなかった人にも
毎日の生活はやってきて、いつの間にか
そうしたことさえ忘れてしまう
しかし、そうした人にもいつか振り返る時間が訪れる
長く生きた者の権利として
人生はいつからでも遅くない
などと言わないことにしよう
ただあるがままの事実を受け入れて
かすかな後悔の念に浸ることができた時
人は慰められるし、人に優しなれるのだ
たとえこの解釈が自分勝手でヘッセの言わんとする事とは
違っているとしても、間違いなくヘッセからインスパイアされた
考えであることには違いない
一人の人間の心を救うことのできる
こうした文章・詩
これらは実用的な技術ではないものも
人に生活には必要なのだろう
あらゆる作品の中で一番好きかも知れない
ドイツ語で読みこなしたら日本語とはもう少し違った印象を
受けるかもしれないが、高橋健二氏の日本語訳は十分すぎるほど
自分の心をうった
最終的にロマンティック過ぎる結末
ヨーロッパ人の仏教解釈
みたいな言われ方をされることがあっても
自分にとってはかけがえのない作品だ
ところでヘッセは優しい
年をとった人に語りかける文章に出会った
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この詩集を持つ友に(1942年)
もう伝説のようになっている少年のころから
私を動かし喜ばしたことのあるものを、
考えたことや、夢見たことや、
祈りや、求愛や、嘆きなどにちなむ
たまゆらな、色とりどりの落ち穂を、残らず
あなたはこのページの数々に見出します。
それが好ましいものか、無益なものかは、
あまりむきになって問わないことにしましょう
やさしく受け入れて下さい、この古い歌を!
私たち、年とったものにとっては、
過ぎ去ったものの中にたたずむことは、許されており、慰めにもなります。
この数千行の詩句の背後には
一つの命が花咲いているのです。かつてはそれは甘美だったのです。
こんなつまらないものにかまけたことを
追及されたとしても、私たちは、
ゆうべ飛んだ飛行士よりも、
血にまみれた痛ましい大軍よりも、
この世界の偉大な支配者たちよりも、
かるがると自分の荷物を背負っているでしょう。
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これが正確に何を言おうとしているかは
理解できていないかもしれない
しかし、言わんとすることはとても共感できる
同じように優しいまなざしの詩
詩集「夜の慰め」から
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慰め
数多くの年々が
過ぎ去り、何の意味も持たなかった。
何ひとつ私の手もとに残っているものはなく、
何ひとつ私を楽しめるものはない。
限り知れぬ姿を
時の流れは私のところへ運んで来た。
私はどれ一つとどめることができなかった。
どれ一つとして私に優しくしてくれなかった。
よしやそれらの姿は私からすべり去ろうと、
私の心は深く神秘的に
あらゆる時をはるかに越して
生の情熱を感じる。
この情熱は意味も目あても持たず、
遠近の一切を知り、
戯れている時の子どものように
瞬間を永遠にする。
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そんなはずではなかった
多くの人が感じるであろう自分の運命に関する少しの後悔
それは自分の努力不足だったかもしれない
あるいはちょっとばかりの運がなかったためかもしれない
そんな頑張れなかった人にも
毎日の生活はやってきて、いつの間にか
そうしたことさえ忘れてしまう
しかし、そうした人にもいつか振り返る時間が訪れる
長く生きた者の権利として
人生はいつからでも遅くない
などと言わないことにしよう
ただあるがままの事実を受け入れて
かすかな後悔の念に浸ることができた時
人は慰められるし、人に優しなれるのだ
たとえこの解釈が自分勝手でヘッセの言わんとする事とは
違っているとしても、間違いなくヘッセからインスパイアされた
考えであることには違いない
一人の人間の心を救うことのできる
こうした文章・詩
これらは実用的な技術ではないものも
人に生活には必要なのだろう