パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

聴いて怖いと感じた音楽

2023年02月18日 09時06分59秒 | 音楽

人は他の器官と比べると目から入る情報が圧倒的に多い
だから音楽の世界でも音楽以外の視覚的要素が重要視される
昨今のグループによるダンスの多い音楽はその典型といえる

「歌がないとつまらない」
と楽器演奏の曲を聞いて口にした人がいる
彼女からすると人の声の直接感情に訴える力とか歌詞の力は
抽象的な楽器演奏の世界よりはわかりやすいために
そのように感じているのだと思われる

だが自分は視覚的要素とか歌詞があるほうが面倒くさくなっている
むしろ音の構成要素だけで成り立っている方が勝手に想像できるから
集中もしやすいし楽しめる

昨晩、一度聴いただけで怖くなって避けていた音楽を聴いた


シューベルトのピアノソナタ20番の第2楽章だ
彼の最後の21番のソナタはラ・ローチャ、伊藤恵さんライブで体験したが
ゆったりした楽章はまるで夢心地となるが
この20番のソナタの第2楽章アンダンティーノは怖い音楽だ
音と音の間隔が休符によってあいて耳は次の音を待つ
すると突然、深淵を体験させられるような強烈な和音が響く
それは美しいとか幻想的とかの表現では追いつかない
初めて聴いた時はただ怖い、、と感じて二度と聴こうという気にはなれなかった

晩年に作曲家がどのような境地に達するかを思えば
ベートーヴェンの晩年のピアノソナタは本当に静かな落ち着いた悟りのような音楽だが
同じ晩年でもシューベルトの表現しようとしたものは全く違う
それは混乱した頭の中の創造物なのか、それともロマン派初期の新しい試みなのか
専門家ではないのでわからない
ただ言えるのは、怖い音楽だということだけだ

もしかして、この曲が世間的に有名でないとか演奏頻度が少ないのは
人が普段の生活を送るためにはそのほうが良いと
知らず識らず防衛意識が働いているからではないかとさえ思えてくる

音楽を聞いて色々感じるというのは、結局は人の脳内で起きている出来事だ
外的にどこの脳の部分が働いていることは観察できても
その内容自体は本人しかわからない

しかし、この音楽を怖いと感じてしまったのは何故かと
ちょいと考えてみるのは面白いかもしれない
(どうでもいいことだが)



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