パンセ(みたいなものを目指して)

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命令された仕事

2018年03月17日 19時57分06秒 | あれこれ考えること

またまた公務員の方の仕事について
最近は官邸前のデモに参加する人が増えているらしい
ツイッターなどの動画を見ると全体像は見えないが活気だけは感じられる

デモ会場の近くや地下鉄駅出口では機動隊というか警察官といわれる公務員の方々が
秩序守るため、危険を防ぐために多く待機している
そして残念なことにデモのメンバーと多少のイザコザがあるようだ

デモをしたい人々
現代日本の危機を身にしみて、いてもたってもいられない思いをした人は
反射的にこうした警備に携わる人々を自分らの邪魔をする権力側、と考えてしまいそうになる
しかし、彼らは命令された仕事をしているに過ぎない
彼らにしてみれば、命令された仕事を円滑にできないようにする輩は、全然知り合いでもないし
嫌いでもないし、気持ちがわからないでもないが、仕事の邪魔をする存在として面倒な好ましくない
人間たちと思うようになるのは想像できる
この様に知らない人同士が無駄な対立をするのは無益なことだ

そんなことを思うとデモはゆるい感じで、なにか暴動を感じさせるようなものではないほうが
良いのかもしれない
確かにデモでは短い言葉、きつい表現はわかりやすく、効果的かもしれない
しかし、穏やかな人間はそのような発言は、みんなと一緒だったとしても少し抵抗感があるのではないか
確かに腹は立てている、でも、それは「間違ったことはいけない」というのが趣旨で
その先のきつい言葉に通じることまでは、実は違和感を覚えるかもしれない
(限度を超えるとそれどころではなくなるが、もしかしたら今はそれどころではなくなっているかもしれないが)

警官・機動隊が単に職務を遂行しているだけと同じように、佐川さんも職務を遂行しただけかもしれない
ただし、それが良いことかは別として、彼は運が悪いことに前任者の仕事の連続性・一貫性を
守るために(そして他の利益を守るために)彼の価値基準ではそれしか考えが浮かばなかったのかもしれない

職務を遂行するだけの人間でも感情は捨て去ることはできない
沖縄でデモを監視する役割を命じられたある人物は、デモする人の言葉に涙を流しながら行ったという
そしてその人は翌日には他の地区に飛ばされたとか
ベルリンの壁が崩壊した時、警備をする命令を受けていた役割の人は見過ごすという選択をしたために
一気に流れができてしまった(この例はベルリンの壁ではなく、東欧の出来事だったかもしれない)
つまりたった一人、力のないと思われるたった一人の判断で世の中は動くかもしれない
佐川さんも前川さんのような判断をすれば、少なくとも何かから解放される気持ちになれるだろう

エーリッヒ・フロムに「自由からの逃走」という本がある
何故ナチスが力をもち、止めることができなかったのか、との疑問から考え始めたことらしいが
「自由への」ではなく「自由から」の逃走というところがポイント
何にせよ、自由というのは実はとてつもなく自己責任を伴って結構きついということ
それでも、佐川さんにはせっかく頭がいいのだから、、自分で満足できる選択をしてもらいたいものだ
警備の方々も、ちょっとした気の利いたことを望みたいが、、、
両方共、無理、、、、、かな(だろうな)

いつものとりとめのない話

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