パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

大当たり!諏訪内晶子のコンサート

2010年05月14日 20時59分03秒 | 音楽
ビックリするような深紅の、大きく背中の開いたドレスを纏い
大きな歩幅で舞台中央付近まで歩き、位置を確かめると
愛用のバイオリンのチューニングの確認もしないうちに
直ぐに演奏は始まった

後期の弦楽四重奏曲にも見られるようなユダヤ系の(?)
ゆっくりしたメロディーで始まる
このショスタコーヴィッチのヴァイオリン協奏曲第1番 イ短調 OP.77は
初めて聴く曲
決して親しみやすいメロディーではないが
何かひどく真面目なものを感じさせる

彼女は体を大きく揺らし感情を込めて音楽に奉仕しているよう
そう確かに感情がこもっている様に感じられた

ヴァイオリンという楽器は
実は感情を込めるのに適した楽器かもしれない
音楽は形式、構成の完成度で評価されるよりも
音による感情表現とした方がしっくりくる

始まって時間が経過しても相変わらず理解しやすい感じはない
といって不愉快でもない
むしろこの感じは現代の複雑な、閉塞感のある時代の雰囲気に
妙にマッチして、現代人にしか理解し得ないような音楽に思える

その深紅のドレスの存在感が凄いせいかどうかは分からないが
このヴァイオリン協奏曲は全くヴァイオリンが女王様のよう
あるいはアリアを歌うヒロインの様

しかし、なぜこの曲を彼女は演奏するのか?
ベートーヴェンやメンデルスゾーンやチャイコフスキーではなく
好んで聴く事の少ない、当然聴衆も少なそうで
高い評価も得難いようなこの曲を

そういえば前にこの人の演奏を聴いたのは
ベルクの例の12音技法によるヴァイオリン協奏曲だった
この時も、何故このような曲を演奏するのだろうか
と思ったのを覚えている

その美貌と、演奏する曲の難解さはひどく不釣り合い
の様な気がした
もっと通俗的な曲を演奏すれば
彼女はもっと好まれたり人気が出るだろうに!

サイモン・ラトルの様に彼女も現代音楽の普及に責任を感じているのか
それとも単にプロモーターの依頼に応じて演奏しているだけなのか

いずれにしても、この現代曲を全身全霊で演奏する彼女
この曲が名曲かどうかは分からないが
4楽章が終わるまで楽しめたのは事実
というより、曲が終わった瞬間は
熱気から解放されたような、魔法から冷めたような雰囲気が
会場全体から感じられた

なんだか分からないが、確かにものすごいものを聴いた(経験した)という感覚
そんな気分を味わっていたのではないか?

この諏訪内晶子のコンサート
自分が経験したここ数年の中では出色のもの
その生演奏としての集中力は圧倒的だった

じつはこの日のコンサートチケット
知り合いからプレゼントされたものだったが
大ヒットだった
いた大当たりだった(ホント大もうけだった!)

はなしは急に変わるがこのショスタコーヴィッチの曲を聴いている最中
不意に後半のプログラムの事が気になった
後半はベルリオーズのイタリアのハロルドだけれど
現代音楽の色彩豊かな刺激的な音を聴いた後では
流石のベルリオーズの魔法もつまらなく感じてしまうのでは?


しかし、幸いな事にベルリオーズはただ者じゃない
確かに何か残ったか?
と問われると答えに困るかもしれないが
瞬間的なオーケストラの色彩や迫力はベルリオーズの真骨頂発揮
オーケストラ音楽の楽しみを満喫できた
(おいしいメロディーもあったし)

このコンサートは「名古屋国際音楽祭」
ユーリー・バシュメット(指揮・ヴィオラ)&国立ノーヴァヤ・ロシア交響楽団
ヴァイオリン 諏訪内晶子
5月13日(木) 愛知県芸術劇場コンサートホールで行われたもの

プログラムは
ショシタコーヴィッチ 祝典序曲OP.96
ショウタコーヴィッチ ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調OP.77

ベルリオーズ 交響曲「イタリアのハロルド」OP.16


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« リルケ | トップ | 孫さんの交渉力 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

音楽」カテゴリの最新記事