パンセ(みたいなものを目指して)

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重要なニュースは、果たしてそれだけか?

2021年09月03日 14時38分00秒 | あれこれ考えること

菅さんが総裁選に不出馬のニュースが突然出てきて、昼のワイドショーはその話ばっかりになっている
残念ながら現在のところ日本の首相は実質的にはこの自民党の総裁選びで決まる
それで良いのか、、という問題はさておき、この手の権力闘争の話が大好きな人たちは存在する
先日、ワイドショーのコメンテーターの一人が、周りにはこの話で嬉々として盛り上がっている人たちが
存在することと、この手の話に全く興味がない人たちが同数程いることを合わせて紹介していた

現在の優先順位は権力闘争ではなくて、緊急を要する課題にどのように向かっていくかとすべきで
騙し合いのような権力闘争には嫌悪感を持つ気持ちはわかるし、自分もそのような感じ方をする

ところが、権力闘争は勝ち負けがはっきりするので、それ故に当事者はもちろんだが
外野の人間も奇妙に燃えることがあるようだ
その中に、選挙好きと言われる人たちがいる
昔は選挙事務所でお酒を飲ませることもあったので、飲兵衛は酒さえ飲めれば対立候補の事務所でも
平気で赤い顔をしてることがあった(子供の頃の記憶)
だが飲兵衛以外の人でも熱くなるのは(自分の商売に関係する人は仕方ないとしても)
思うに勝負ごとのせいではないだろうか
この勝負ごとが好きというのは、人が持っている習性のようなもので、どうしようもないかもしれない
(子どもは何でも勝つのが好きだ)

自分はそうではないが、戦国時代の好きな人はいる
マニアになれば専門家に劣らず、人間関係や勢力の背景などを理解して、その時の戦国大名の判断を批評する
そしてそれが正しかったのか、、と考える
ところが、そこにあるのは「生き延びるための方法」で、仮に天下をとったならどのような社会を作り出そうと
しているかといったヴィジョンに賛同しているわけでもなさそうだ

つまりは、どの時代も大きな社会ヴィジョンを求めるよりは、誰と誰が戦えばどちらが勝つといった
単純化されたものに、より血が騒ぐものらしい

問題は勝負ごとに血が騒ぐことは認めるとしても、果たしてその勝負の結末に終止するようなメディアの伝え方は
今の時代、今の状況下で正しいのだろうかということだ

メディアの果たす役割は大きい
それ故に、どうしても期待を込めてあるべき姿を求めてしまう
だが現在のこの国のメディアは、大丈夫なのか
これがずっと気になって仕方ない
首相会見の記者クラブの質問の体たらくとか
「誰々がこう言った」とよく考えずに伝えるだけのニュースは、時に怒りを覚える

ということで、今後のニュースの方向性は権力闘争、、つまりは戦国時代の勝ち残りは誰か
という視点でしか伝えられないような気がする
これが不安 それで良いのだろうか



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