パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

原体験と原風景

2018年02月08日 08時18分02秒 | あれこれ考えること

机の上に大きな紙
その上段の左右に、幼児期・小中学校・高校大学・社会人(青年期?)・熟年期(老年期?)
用紙の左端には、20代・30代・40代・50代・60代(正確には忘れてしまったが、とにかく年齢を表すもの)と書かれ
そして赤・ピンク・青・黄色などの数センチ四方の紙と、サインペンが置かれている

これは先日地元で行われた、新城市の総合計画のための市民検討会に出席した時の光景
目指すべき新城市の将来像のヒントとなる市民の意見交換(収集)を目的としたもので
井戸端会議的にのんびりと話せる雰囲気で行われるとのことだった

始まってしまえば堅苦しい話はあまりなく、それなりに和気あいあいと進められて
特に何か問題があったとは思えない(?)が、参加者はそんなに多くない
何処かでよく見かける顔の人物もいたが、市の関係の方が相当数いて彼らは意見のまとめ役として
(報告用にだろうか)絶えず小さな紙片の整理やら、話がそれてしまうのをうまくコントロールする役割を果たしていた

参加者が多くないのはなぜか?とか、まとめ方が結局は行政に都合の良いようにまとめられて
結局は「市民の意見を聞いた」というアリバイ作りに利用されるのではないか、、といった意地悪な憶測は
全然浮かばなかったとは言えないが、それよりも個人的に興味深かったのは冒頭の用紙を用いての話し合い

自分を振り返って、あるいは現に生活している者として「幸せだった」と感じたことはどんなことか?
これも正確には覚えていないがこのような内容のことをグループワークに参加している各人が小片に書いて
大きな用紙の該当する場所にペタペタと貼り付けていく
「幸せだったこと」が求める社会の原型となるとの考え方なんだろうか

この用紙の利用箇所は左側、つまり幼児期・小中学校が圧倒的に多い
右端の熟年期(老年期?)も少しあるが(参加者も自分も含めいたので)すっかり抜けているのは高校大学・社会人(青年期?)
人生のうちでは気力の体力もありやり甲斐があるはずの時期だが、何故か紙片で埋まらないでいる
しかし、この傾向は自分たちのテーブルに限ったことではなく別の場所で行った時も見られる傾向とのこと
特にこの様な地元の事柄については、この時期の(特に男の)連中は地域のことよりも自分の属する会社(社会ではなく)への
使命感・責任感・時間配分が要求され、どうしても社会が「対会社」の範囲を超えられないとのことだ
なるほど、これは実感としてよく分かる
自分もこの場所に貼るようなことは思い浮かばなかった

それにしても、圧倒的に多いのが幼い時のこと
年配の人間は人生を振り返って「幸せだった」ときのことを書き込む
でも現在子育て真っ最中の女性の意見は少し違う
問われた問に答えてるとは思えないが、現実に生きていて直面する問題としての
幸せを感じるためには、、との視点で意見を小片に書き込む
「このような施設が欲しい」「この様なシステムが必要なのでは」「もっと賑やかであって欲しい」「子どもたちのためには、、、」
現役の実感のこもった意見はなかなか迫力がある
我々の過去を回想するような、懐かしいだけの話とは違う

しかし「幸せ」ということについては、振り返ることが許される年齢の自分らは少し考えてしまう
どの時期が一番幸せだったか
もちろん瞬間瞬間はどの時期も忘れがたいエピソードに満たされ、それなりの幸福感を感じていたはずだ
でも、こうして漠然と聞かれると、、
幸せだったのは「誰かに見守られているような、何もかもが肯定的に許され、くだらない話も楽しそうに聞いてくれていた」この時代
幼児から小中学校時代と言えるような気がする
その時は気づかなかったが、誰かが話を聞いていてくれる、そしてそれを面白がってくれている、、
この安心感は今はとても大きかったと実感する

突然話は飛んで、老齢化の進む社会となれば交通の利便性・医療のことを考えればコンパクトシティと言われる形態のほうが客観的には
便利そうに思えるが、ここでその傾向にブレーキをかけるのは、先程の「幸せだった時」の記憶
見守られて幸せだった記憶と、彼らの親(祖父母)の子どもたちを見守った数々の記憶の残る家とか風景とか祭り
そうしたものは、他人の効率的か効率的でないかの判断以上のものだ

原風景とか原体験
それが実はなかなか理屈でコントロールできない判断の基準になる
この原体験とか原風景をベースに、あるべき将来の姿をイメージするというのは
抽象的かもしれないが実は案外現実的かもしれないと思わないでもない
でも、現実はより具体的な、問題解決型の方向で進むんだろうな
(出てきた意見を解釈するのは、そういった思考に慣れている人でないと、、
 実務家一点張りではきっとダメだろうなとおせっかいは思ってしまう)




 

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