パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

幸福の種類

2021年03月04日 16時56分09秒 | あれこれ考えること

先日、シティズンシップ教育についてZoomを用いた特別講座があった
上の図は、その時の説明資料として参加者に送られたもので
講演者の 水山光春(青山学院大学)氏が独自に作成したもので
これを見て、今までもやもやしていたものがスッキリ整理された気分になった
(引用許可済み)

この中で、幸福が最大多数の最大幸福(ベンサム・ルール)
弱者の利益優先(ロールズ・ルール)強者の利益優先(ニーチェ・ルール)
条件付き幸福最大化(パレート・ルール)と分類されているが
この部分が国会での議論の噛み合わないところを連想された

社会の底辺で苦しんでいる人たちを何とかすべきではないか!(野党系)
と訴える人たちがいる一方で、大手企業に代表される強者の利益を優先すべし
と考える人達がいる(いつかその利益は底辺まで廻ってくるとの想像のもと)

人の感じ方には個人差があって、弱い立場の人に関心とか共感を持ってしまう人と
自分自身の力で物事は解決すべきだし、向上心を持って努力して、
その成果は自分の手にすることは結果的に社会を活性化することになる
と考える人たちがいる
これはどちらが現実的に正しいか?
というよりは個人差による自らが大事にすることの違いのように思われる

話は変わるが、昔サッカーのコーチをしていた時も、自分は上手くいかない子どもが
何とか上手くなれないかと気になって仕方なかったが
別のスタッフは運動神経のいい子で強いチームを作ることに関心があった
これもどちらが正しいか?という類の問題ではない
ただ、そうした考え方が存在するということだ

多分、こうしたものはバランスの問題だと思う
それぞれが、相手側の考え方、感じ方を知って、妥協点を常に探しながら進めればいいのだが
最近は、相手側の意見を全否定するか、無視するかのようになっていると思えて仕方ない
つまりは、議論という行為が十分になされていない(日本社会では)
これは議論という行為に我々が慣れていないからではないか、、と独断で思ってしまうが
現在の関心事は、どうすれば議論という行為が当たり前になるかという点だ
(そんな面倒なことは誰も望んでいないかもしれない、、と不安にもなるが)

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