パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

「誰々がこう言った」というニュースについて

2021年06月15日 09時40分58秒 | あれこれ考えること

菅さんがG7のそれぞれのメンバーからオリンピック開催の支持を受けた
と公言して、日本ではそれがそのままニュースになっているが
本当かな?と疑問を覚えて、英語のウエブサイトをチェックしてみた

昨年のアメリカ大統領選のドタバタのときも、CNN、FOX、USATODAYなどの
英語のページを見てその成り行きを確認したのだった
残念ながら英語がスラスラと読めて理解できるわけではないのだが
その時に知ったのが以下の便利な機能だった

まずは英語のサイトをブラウザのグーグルクロームで開く
開いたらページのどこかを右クリックすると「日本語に翻訳」とでてくるので
それをククリックすると英語のページが翻訳されてでてくる
ただし少し変な日本語なので時々原文を見ての確認作業が必要だ

これだけで大体の雰囲気はわかる
今回のG7の共同声明もこちらで伝えられている感じとは少し違う印象を持つ
オリンピックの支持に関する部分は最後の方の2行だけで、そこは
安全安心な運営に対し支持するといったニュアンスで、無条件な支持ではない
まずは前提条件として安全安心が確保されていることが前提となっている

いつも違和感を持つのは報道の伝え方で、「誰々がこう言った」というストレートニュースを
その影響力を考えることなく(実はそれを考えて行っているかもしれないが)無批判に
広げているのはどうなんだろう
ニュースはストレートニュース(誰々がこう言った)
調査を踏まえた批判を含めたニュース(言ったことを検証する報道)
そして社説的なものがあると言われる(あるべき姿を提案するもの)
だが多くの人がニュースと認識しているのはストレートニュースの類で
まずはそれをもとにみんながあれこれ考える

でも、それが日本では世界標準的な情報の共有になっているか、、と
疑ってみると、だいぶ怪しい気持ちになる
日本はいい意味でも悪い意味でも「なあなあ」のところがある
決して物事を深く追求しない、、で、済まそうとする
そうすることが今までは日本社会ではうまくいくコツとされていたのだが
これが世界と付き合うとか、変わりつつある現代の若者と付き合うには
現実的かと考えると、少し違うのではないか
(心配なのは今の若者が突き詰めて考えない傾向がるかもしれないと思えることこと)

西欧の考え方が現実には今の世界の標準となっている(良い悪いは別として)
そしてそこには欠点の多い人間であるとしても、なにやら理想とかあるべき姿を
建前上とはいえ掲げるようにしている(実態は経済に振り回されているとしても)
このためには人には幅広い教養とか個の確立というのもが要求される

しかし最近の日本の反知性主義は、この一種エリートを教養があるため、
あるいは論旨が理知的であるために、感情的に「反日」といった言葉を用いて
数こそが全てといった形で攻撃する

話は逸れたが、とにかく大事なのは「誰かがこう言った」というニュースは
それが正しいことではいということ
単に「誰かがこう言った」だけのこと
この「誰かがこう言った」類のニュースに対するリテラシーを
我々は知恵として身に付けないといけない、、と思うこの頃

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 昔の作曲家を結びつけてみる... | トップ | 住民監査請求について(制度... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

あれこれ考えること」カテゴリの最新記事