パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

背後に見える総量

2020年04月28日 18時47分33秒 | あれこれ考えること

例えば一時間読書したとする
例えばドストエフスキーとかハンナ・アーレント
これらの本を読んだ後の身体に残る何かは
気軽なライトノベル(価値がないというのではない)を
読んだ一時間とは明らかに何かが違う

読書して感じるのは書き手の(人間としての)総量で
書かれていることというよりは、書き手の思考とか感性
(あるいはそれらに対する戦いの実態)
のような気がしてならない、、

これは音楽においても似たようなもので
ブルックナーの交響曲8番を聴いてる時間と同じ物理的な時間で
イージーリスニングを聴いているときとは、明らかに違う
(ブルックナーのときは彼が考えたり感じたことを
 追体験してるような気がしている)

最近、人と会話するときも相手の方の総量を感じてしまうことがある
例えば経営者などは実体験に基づくその人の総量を感じることができるが
修羅場を踏んでいない人、あるいは自己に沈潜したことのないと思われる人は
同じ会話を交わしても、まるで反射神経で会話しているような気がしてしまう

その総量というものは、もしかしたら暗黙知なることばで代表される
何かかもしれない

とまあ、へんちくりんな訳のわからないことを、取り上げたが
困るのはこれが案外あたっているのではないか、、と思えてしまうこと
人はより強い刺激を求めがちなので、どうしても総量の多い作品とか
人との出会いを求めてしまう
(いったい、なんのこっちゃ?)

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