パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

講演会と討論会(スクープ野郎の逆襲)を聞いて、思い浮かんだこと

2018年11月25日 08時08分52秒 | あれこれ考えること

現在進行中の裁判でお世話になっている弁護士さんのお誘いで
昨日(11月24日)、刈谷市で行われた「講演と討論会」に出かけた
テーマは「スクープ野郎の逆襲」〜市民とメディアを考える

これは2018年10月1日「法の日」記念行事の一つで愛知県弁護士西三河支部が主催
講師は高田昌幸氏と秦融氏の二人のメディア側の人間
高田氏は北海道新聞記者時代に北海道庁の不正経理問題に取り組んで新聞協会賞を受賞した人物
秦氏は現在中日新聞の編集委員で今朝の中日新聞にも記事が載っている

一部は講演
二部は討論となったが、自分にはよくある本質と関係のないことが記憶に残った
それは「新聞記者は最初はスポーツ担当の方が良い」という言葉だ
秦氏は最初に所属したのが中日スポーツの記者で、こうした例はアメリカでは多いそうだ
最初はスポーツ記者が良いとされる理由は、(試合後の)興奮状態の中で記事を
冷静沈着に簡潔にまとめる能力と締切時間に間に合う能力が要求され、自然と
文章作成技術が身につくからだそうだ
ところが最近は一般的には新人記者さんは警察周りが多く、警察から如何に内緒の情報を聞き出すかが
重要な技術となっていて、求められる技術の質が変わってきているらしい
このあたりは、最近の記者クラブ所属の記者さんの報道ぶりを見聞きすると、なるほどと納得してしまう

討論の場面で、資料として「マスメディアに対する学生アンケート結果」が示された
名古屋文理大学情報メディア科、栗林教授と東海学園大学北出教授の協力で大学生84名の回答を得たものだ
この中には、今の時代(の学生)を反映するような答えが(気になっていることが)2つあった
その一つが、マスメディアの報道に関する関心が低くなっているが、その原因として考えられるものは何か?
の問いに「批判する報道に接したくない」との答えが、ネット・SNSで充分とするに次いで多かったことだ
内容のいかんを問わず、批判しているように感じられるものを(それだけで)嫌うような雰囲気を今の若者に対して感じている自分は
やっぱりそうか、、と感じるのだが、つくづく今の若者はちょっとした摩擦でも嫌がるかのようだ

この傾向は、もう一つの気になった問の答えにも反映されている
憲法改正とメディアでくくられた問の中では、「中立性を確保してほしい」「偏った政治報道はやめてほしい」とあった
討論の壇上にいる人間にとっても、またそれを聞いて(年齢を重ねて)いる自分らにとっても「中立」という存在自体が
そんなものは幻想に過ぎないと思えてしまうのだが、学生たちの間には確固とした「中立」という現実があるかのようだ
その「中立・公平」が現実に存在しうるのか、認識論を踏まえて哲学的に突き詰めて考えているわけではなく
なんとなく、そのほうが良さそうだ、、との安易な考え方・突っ込み方しかしていないような気がしてならない
つまりは、今の若いもんはよく考えずに、、、とひとこと言いたくなってしまったということだ

批判的な報道は見たくない
(有りもしない)中立を確保してほしい
中立ということさえ、対立する討論のなかで見つけられたり発見されるものと思うのだが、そのような内的な経験をすることもなく
響きの良い「中立」と言う言葉を安易に使い、使われている現代、、それはどことなく知性の劣化を感じさせる
(とおっさんは思ってしまう)

今の時代に欠けていることは、じっくり自分の頭で考えること
自分の考えすら疑い、人に対して自分の主張を通すことに正当性があるかどうかを考えたりすること
その上で中立とか公平とか批判の是非が出てくると思うのだけれど、、、どうも、いまの若者にはそうではないみたい
この傾向は全世界の若い人に見られる傾向なのか、それとも日本の社会においてのみ見られるだけの傾向なのか
もし後者だとしたら、ちょいと心配事が増えてしまう、、

ということで、よくまとまらない話
でも最初はスポーツ記者が良いというのは、面白かったな、、


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 誰が今読むべきか「戦争と新聞」 | トップ | 学生さん世代の社会的問題に... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

あれこれ考えること」カテゴリの最新記事