パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

地元の古墳(摩訶戸古墳群)

2013年01月30日 20時29分10秒 | あれこれ考えること

毎日、出勤時に気になっていたのが、この看板

と言いつつも、見に行ったことはない
そこで休みの昨日、重い腰を上げて出かけてみた
残念ながら古墳群の説明の看板は地図の部分のペンキが薄くなっている

ロープを張ったガイドに沿って歩くと、洞穴のようなものが

中は暗くて、どのくらい先があるかわからない
フラッシュを焚いて撮影してみると

古墳群というのだから、もっと色々あるかと思ったが
それらしきものは見当たらなかった

折角の珍しい古墳たち
この歴史とか成り立ちを説明してくれる人は、いないものだろうか

それにしても、考えてしまうのは
どのようにこうした古墳をつくる習慣が伝搬していったかということ

自然発生的にそれぞれの地域でつくったというより
何処かで行われていた埋葬の方法が
こんな処まで何らかの方法で伝わってきたとすると
文字もない時代(あったとしても読めない人が多い時代)
正確なミュニケーションはどうやったんだろうか?

また情報の伝達するスピードは、どんなんだったのだろう
早くても馬を使うしかないような時代
中央の情報は果たしてそんなに広がったのだろうか?

そう、古代史でもイメージしにくいのは
例えば大和朝廷が如何に強大であったとしても
そこから遠く離れた地域まで果たしてコントロールがきくものだろうか?
ということ

地方を支配するのは武力の差があったからか
それでも歩いたり馬での派兵による軍事力は
ロスが大きくてなかなか想像しにくい

軍事力の圧力だけではなくて
もう少し現実的なメリットがあって地方は
中央の要求を飲んだと考えるほうが
無理は無いように思うが実際どうだったんだろう

距離の感覚
古代人の行動範囲と縄張りの感覚
こうしたものが実感をもって理解できたら
何の役にも立たないが
自分の心の中では少し満足した
幸せな気分になれるかな



 

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊勢物語の中の歌 | トップ | 和泉式部日記 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

あれこれ考えること」カテゴリの最新記事