パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

いとこ同士の関係は、、

2020年11月02日 09時50分10秒 | あれこれ考えること

ツイッターで国文学の研究をしている方を偶然にフォローした
きっかけは藤原道長の
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」
の解釈が、以前は慢心しているような意味合いだったのが
戦前になって融和の意味合いがあるとの別の解釈が出てきて
教科書にもそのようになってきて、その姿勢はあの不幸な戦争になんらかの
影響を与えたのではないか、、と心配しているひとだった

正直なところ専門家ではないので解釈はよくわからないが
こうした論争のある問題については、じっくり専門家同士も
議論を重ねることが必要だと思われる
しかしながら、現代の風潮を反映して、この方はSNS上でしつこい嫌がらせを
受ける身になったようだ

この方の専門分野は(得意とするのは)清少納言らしい
昨年、読んでよかったのが紫式部の源氏物語だったが、そのライバルの清少納言
それで今度は清少納言についてもちょいとググってみた

紫式部の仕えたのは藤原道長の娘の藤原障子
一方清少納言が仕えたのは、藤原道長の兄弟(藤原道隆)の子の藤原定子
この二人はいとこ同士で、ふたりとも一条天皇の奥さんということになる
一条天皇の愛を競って仲違いしていた、、、と想像しやすいし
その下で働いているスタッフ同士も仲が悪いと想像できそうだが
いとこ同士はそんなに険悪な仲ではなかったらしい

藤原定子は清少納言に対して優しい接し方をしていたようで
枕草子にも一部そのエピソードが書かれているとか
だが第三子を生んだあと、24歳のの若さで亡くなってしまった
それを機に清少納言はこの職を離れたらしい

歴史の教科書には源氏物語、枕草子、紫式部、清少納言とバラバラに出てくるが
こうした背景を知ってくるとこの世界の興味は深まる
同時代に同じ様な才能の持ち主が現れるというのは、割合あることで
偶然というよりは必然性があるとさえ思えてしまう

空海と最澄も同時代の僧で、彼らは仲が良かったのか?
と気になるところだが、外野の多くが期待しそうな(?)仲違いは
ないことは無かったようだ
弟子が空海のところに修行に行ったら最澄のところに戻ってこなかったとか
空海が貸した本を最澄が返してくれなかったとか、、
人間同士の中ではありそうな事柄が、やはりこの人たちの間でもあったようだ

先程のいとこ同士の仲の良さとかライバル同士の気持ちとか
そうしたものを、偉い人の話ではなく一人の人間のありそうな話と
見ていくことは、歴史が身近になるような気がする

最近、ちょいと真面目な本に取り組んでいるがこの手のどこか世間離れした本も、
気持ちを落ち着かせるためには必要かもしれない(自分にとっては)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする