ミツバチは巣が暑くなりすぎると、ある数のミツバチが羽で風を起こし温度を下げるらしい
だがミツバチがみんな真面目にその行為をするかといえば、一見サボっているように
見えるミツバチも存在する
どうやら温度に反応するセンサーがミツバチにより差があって、低い温度で活動を
開始するもののあれば、もう少し高い温度でないと働かないものがあるらしい
それは遺伝子から引き継いでいる性質で、こうしてセンサーの温度差があるのは
自分たちの生存の確率を高めるためだそうだ
(一気に同じ温度で全てのミツバチが同じ行動をすると、ミツバチは疲れて死んでしまうとか、、)
同じ刺激とか環境変化に対して、早めに反応するとかしないというのは
ミツバチの世界のことだけではなく、人間社会でも似たようなことが見られると思われる
痛い目をすれば分かるとか、当事者となれば分かる
これは誰もが認めること
しかし、人の中には痛い目をしなくても、当事者でなくても「想像力」というセンサーを使って
未来を予想し、好ましくない未来をさけようとする(力が働く)人たちがいる
現在の日本の社会に対し、ある一定数のセンサーが働く人たちがいる
それは批判勢力といった政局絡みで理解されるものだけではなくて
むしろ、なんとなく!といった一種無意識の感覚のようなもので
無意識的なものだけに明確に言語化されず、他人に対しての論理による伝達は
少しばかり難しくなっているかもしれない
例えば最近の政府に対する恐怖感(例えば学術会議の介入、中曽根さんの弔意を示すことへの要望)
それを感じる人、特に違和感も感じずにいる人
センサーが働くスタート時点が違っているだけかもしれないが、
センサーの働く人々にとっては重大な問題だが、そうでないひとには大した問題ではなくなっている
現在の群衆あるいは大衆の無意識的な意志とか空気
小市民的でセンサーが働きやすい人々にとっては、不安が多い世の中になっているような気がする
(これが杞憂であれば良いのだが、少しばかりストレスを感じている)
「鬼滅の刃」が大人気だそうだ
先日は炭治郎のイラスト入りのハンカチの奪い合いの兄弟喧嘩をして
登校が遅れそうになったこともあった
(月木のあいさつ推進運動で校門まで付きそいボランティアの時)
「鬼滅の刃」もそうだが少し前の「ワンピース」も自分の守備範囲から外れている
「ドラゴンボール」はギリギリ引っかかっている
おっさんになって、少しづつこうした課題クリアの上昇志向的な物語がしんどくなってきた
のかもしれない
あるいは、パソコンで描かれる絵に対して親しみを感じられないためなのかもしれない
でも以前は夢中になった漫画があった
そしてその漫画の全巻を持っている
それが
「がんばれ元気」小山ゆう作だ
これも一種、ビルドゥングス・ロマン的(教養小説的)な一個人の成長の物語
ボクサー堀口元気の物語だが、登場人物は強い人ばかりじゃない
むしろ弱さを内蔵している人たちが多い
この漫画、「火垂るの墓」みたいに絶対泣きそうになる場面があるので
読み返す気分になれないでいる
でも手元に置いておきたいということで大人買いしたのだった
自分は読み返さなかったが、ある時、帰省した妹と一緒に付き添った義理の弟は
最初から最後まで夢中になって読んだ
読み始めるとそうなる気持ちはよく分かる
鬼滅の刃も読んで見れば「ビルドゥングス・ロマン」なのかもしれない
ただ床屋さんで一巻目を見て、もうこれ以上はいいや、、、と感じたのだった
(歳のせいかな?)
漫画ではもう一つ大事なものが本棚にある
「共犯幻想」真崎守/斎藤次郎原作
これは漫画アクションに連載されたもので、ヘッセの小説を読んだくらいの衝撃を受けた
これは時々読み直す
年齢による感じ方の違いを確認するように
感じやすい時期に何に接するか
これは想像以上に(後の人生に)影響力があるかもしれない
総合的・俯瞰的に見れば、学生時代は受験勉強のみを優先的に行うのは
将来にとってあまり良くないと思う(個人にとっても社会にとっても)
ということで、新しいものにはついていけないおっさんの思い
昔はよかったではなく、昔のものでもいいものはあるということ、、