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パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

言語と音楽

2013年05月11日 19時40分43秒 | あれこれ考えること

一月後に控えたドイツ・オーストリア旅行に備えて
急遽、ドイツ語勉強をしている
たった1.2ヶ月でなんとかなるとは思わないが
気休めのため、、、

そこでちょっと気づいたことが
ドイツ・オーストリア音楽が構成的なのは
ドイツ語がその言語自体がかなり理屈っぽい言語に
なっているからではないか!ということ

枠構造はブルックナーの音楽に通じそうだし
ベートーヴェンの主題の展開もドイツ語の
構成的な面に似ているような気がする

他の言語も考えてみると
フランス語はリエゾンで繋がって
何がないやらわからないまま
まるで勢いで流れていく
それでいて中身はかなり理屈っぽい

イタリア語は母音が多いせいか
はっきりしたリズミックな音
なるほどイタリア人がヴェルディの音楽を好むのは
分かる気がする

こんなふうに言語からイメージすることが
結構音楽につながっていそうだ

なら日本人は?
これがあまりにも当事者過ぎてわからない
アメリカ人のようになりたいと思っても
なりきれていない多くの音楽関係の人を見る

いったい日本人のアイデンティティってなんだろう
武満徹は個性的で独自の世界があっても
なんだか違うような気がするし、、、

話は急に変わって(いつものことだけれど)
今朝、目覚まし代わりのラジオ番組に
浪曲が流れていた
なんとはなしに聞いているとこれが結構面白い
面白いといっても聞き取れる話の内容ではなくて
伴奏の三味線の雄弁なこと
まるでヴォルフとかシューマンの伴奏みたいに
まとわりつくような、そして急き立てるような
これは今のラップにも通じそう

それが理由ではないけれども
日本の古い音楽は(邦楽・雅楽ではなく庶民の音楽)
古いから価値なしと考えるのではなくて
再評価したほうがいいのかもしれない
と思ったりする近頃だ

 

コメント
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