パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

子供のサッカー練習、時間を割くべき事柄は何?

2010年04月11日 20時57分33秒 | サッカー
よく当たり前の事実の様に
日本人はフィジカルが弱いから
一人で打開するようなプレーよりも
チームで機能する様にすべき
とか
数的優位を常に確保する様に
とか
味方を上手く使って攻めたり守ったりすべき
とか言われ
必然的に練習時間もそうした事柄に多く費やされる様になる

大人の世界ならそうかも知れない
(多少どころかおおいに疑問もあるのだが)
ところが成長期の子供たちにとって
この指導方針は正しいのか
いつも疑問に思ってしまう

実際の試合に通用しないのは
極めるまで練習をしていないからではないのか
一人で打開できない状況の時(多くの場合ドリブル突破の事だが)
一人で何とかしようとする選手は批難の声を浴びせられる事が多い
確かにその時点で勝つ為には批難されてしかるべきかもしれない
ところが将来の事を考えたら果たしてそれが正解なのか?

練習は試合の為に行うべきもの
試合に有効なプレーは身に付くまで繰り返し行われるべきもの
それが単にチームプレーだけに偏っていないか?

本当は一人でできる事なら
一人でやってしまった方が効率がいい
猛烈に厄介な存在になってしまうほどになれば
相手は人数をさいて彼についてくる
そうすれば人数をかけさせた分だけどこかが薄くなり
お目当ての数的優位の状況が作れる事になる
ところが多くの場合そういう発想はされない

サッカーはチームプレーの言葉に
みんなで責任を分かち合いましょうみたいなニュアンスになってしまう

サッカーはチームプレー
確かにその通り、しかしその意味は
一人ではできないから、皆で何とかしましょう!
と言った類いのものではないはず

それよりは一人一人が持ち分の責任を自発的に発揮する
言い換えれば部分的な1対1に勝つ事が大事
だから1対1に勝つ為の練習を多く費やすべき

得点は同じ1点でも一人で持ち込んだ1点は
ワンマンだ!とされ、
きれいなパスワークでの1点は
チームプレーですばらしいと賞賛される
ところが厳しい試合になればなるほど
大事な1点はチームではなく個人の力に寄る事が多いし
知らず知らず多くの人が個人プレーだと文句を言ってた子の
スーパーなプレーを期待している

そこで自分の考えるチームプレーとは
基本的には皆一人一人が、一人で何とかできる存在になる事
(とにかく自発的に考え)
ところがそれでは収集がつかなくなってしまう時は
交通整理の為に主だった役割を指摘する
それは誰かの為に自分が犠牲になる
といったものではなく
自分の力を発揮する事が結果的にチームプレーになる
といった形に収まる様にする

ブラジルの選手、オランダの選手、
またはストリートサッカー出身の選手の一人一人の強さは
偶然の産物ではあるまい
何回も失敗を繰り返しても、何回もトライできる環境と
個人の工夫によるものに違いない

この国は、なんでも早く答えを教えすぎる
解決法は本人が自分にあった方法を発見すべきなのに
教科書に書いてあるかごとく天から降ってくる

どうなんだろう
もう少し、少なくとも子供世代は本能に任せたような
サッカーをさせてあげたい
(部分部分の駆け引き、勝負に勝つ喜びを味合わせてあげたい)
と思うのだが、いざクラブ内では様々な思惑があって
なかなか難しい
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