goo blog サービス終了のお知らせ 

パンセ(みたいなものを目指して)

好きなものはモーツァルト、ブルックナーとポール・マッカートニー、ヘッセ、サッカー。あとは面倒くさいことを考えること

オーバーティーチング(少年サッカー)

2009年11月14日 19時46分20秒 | サッカー
自分はゴルフをやらないが、聞くところによると
「教え魔」という存在があるらしい
しっかりした教え方を持っていなくても
あれこれと素人にアドバイスしたがる人のこと

人に教えることで自分自身の問題点も再確認できて
本人にもいい影響がある!
このくらいのことならいいけれど
単におせっかいだったり、自分が自慢したいだけだったら
教えられるほうは困ってしまうだろう
それが何人もいて、それぞれ違う事を言ってたりしたら
混乱するばっかりだ

それと同じとは言わないが
サッカーでも練習についても(少年サッカー)
教えすぎることもありはしないか?
と思う事がある

例えば攻撃の際、
一見パスの出しどころがない状況では
サポートをする、数的優位をつくる、第三の動きをする
こんな事を大人たちは子供たちに教えようとする

つまり大人たちは効果的な打開策を知っているので
それを教え込む訳だ

ところが打開策の中で挙げられなかったこともある
自分で仕掛けていってゴールに向かう
ということ

1対1で日本人が勝てないのは
普段そういった練習をしていないからではないのか

ブラジルでもオランダでも若いうちは
どんどん仕掛けていく(ディフェンスの連中でさえも)と聞く

ところが子供たちの試合でも漏れ聞こえてくる
コーチ陣の不満は「一人でやりすぎる」

つまりみんなで揃って攻撃したり守ったりしようということ
それが真のチームワークと思っている節がある

ところが現実的には
得点が入るシーンは個の力に頼る事が多い
(厳しい試合の時は特にそう)

サッカーはより多くの点を取った方が勝ち!
ならば、より効率的な点を取る方法が正しいのであって
みんなでボールを前に運んで
ゴールに向かおうというのは
必ずしも正解ではないのではないか?

とにかく言いたいことは
特に子供のうちは先走って答えを教え過ぎない事が
大事なのではないかということ
(子供たちが自分なりの解決方法を見つけるまで我慢したり
 アドバイスしたり)
たとえ教える事があったとしても
子供たちに気づかせるような教え方をすべきだという事
(頭ごなしに教えるのではなくて)

サッカーは判断のゲームと言われる
その判断が人に言われるままであったとしたら
それはつまらない!
自分で自由に判断できるから楽しい
(一歩間違えると勝手にもありうるが、それでも)

大人たちが知っている答えは
必ずしも正解ではなくて
単に答えの中の一つに過ぎない

その答えを教えすぎるのは
子供たちの可能性をつぶす事にもなりそう

だから子供たちに教えるとしたら
考える癖、感じる癖、自分の特徴の活かし方
そういったものを教えていきたい

しかし、なかなか主流にはなれない考え方のようだ
残念!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする